人を当てにするのは、ほどほどぐらいが丁度いい。 | ”秋山なお”の美粒ブログ

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ビジネスをやっていると、部分連合という事がある。いいものを持っていると、商社は、売らしてほしいという事がある。商社とメーカーという関係である。商社は、仕入れたものに口銭と自分たちの正当な対価を載せて、販売する。普通は商社の利益<メーカーの利益である。だから、商社も企業だから、利益を上げなければならない。一人当たりにかかる経費以上の利益を上げなければ、やっていけない。だから、商権を複数、担当することになる。10社あれば、そのメーカーの比率は1/10の仕事ということになる。どこのメーカーとしても、自分の所の商売を多くやって、利益を上げてもらいたいと思う。うまくいっている時はいいが、だんだん、売り先が少なくなってくれば、商社の人は、より利益が上がる商権の方へ移行する。つまり、メーカーの人は、あてにしすぎると、後でひどい目にあうということになる。

 

何事も按排である。あてにしすぎると、リスクがあるし、あてにしないと、相手も本気になって動いてくれない。物事を考えるときに、常に、観察しなければならないのが、相手の本気度である。本気度は、相手のリスク度でもある。相手が片手間にやっているのか、パートタイマ―的にやっているのか、相手に余裕があるのか、ないのかである。商社の動きは、メーカーからみれば、当たり前であるが、片手間である。もし、アメリカでいう最低保証付きの総代理店的な契約を商社とメーカーが結べば、商社はかならず本気になる。売れなくても、最低の保証はしなければならないのだから、当然、頑張る。もし、そういうものがなければ、売らなくてもいいのだから、無理はしない。私は、昔、これに引っかかった。どん底までに落とされた。企業の中の人の性をみた。だから、人を当てにしすぎるとひどい目にあうが、人を信じないとこれまた、ひどい目にあう。

 

世の中には、悪人もいるが、善人もいる。捨てる人もいれば、助ける人もいる。ひどい人は、無制限にひどいことをする。最悪は人を殺すこともいとはないのだから、人を追い込んで、自殺させることは平気である。逆に、善人も無制限には善行はしない。できる限りはやる。私も、色々と善行はしたつもりであるが、それはどこかで限界がある。あくまでも、余裕のある範囲である。善人は必ず善人を呼ぶ。だから、ひとりとんでもない人間に、ひどい目にあわされても、それがー10とすれば、+1の善行をする人に10回、巡り合えば、マイナスはなくなる。

 

世の中は、WIN-WIN,GIVE&TAKEである。相手からTAKEを求めるなら、最初に、こちらからGIVEしなければならない。相手が喜ぶような情報、相手の利益となるようなネタ、技術を提供することである。相手のために、何かをすることである。こちらが貧乏なら、そうすべきである。こちらに余裕があって、動く必要がなければ、殿様商売でいい。相手から売らしてくださいといってくる。今の時代、そういうことはなかなかない。偉そうにふんぞり返っていると、必ずしっぺ返しがくる。いつの世でも謙虚の方がいい。

 

何か仕事をするとき、常に観察しなければならないのは、相手がこちらと同じ時間軸、同じ波長でいるかどうかである。相手が片手間、パートタイム感覚であれば、かならず、感覚はずれてくる。相手が急いでいないのが分かる。急いでいないというよりも、本業があって、そちらの方が優先度が高いからである。それをあてにしすぎていると、ひどい目にあう。それが、リスクヘッジとなる。ビジネスの種を複数もっていることである。つまり、相手を本気にさせるものを持つこと。その情報を拡散させることになる。情報がクローズされれば、誰にも分からない。取られる心配もない。しかし、情報が拡散されれば、マネされるリスクもあるが、善人と巡り合う可能性もあるということである。

 

この世の原理を考えてほしい。もし、世の中、悪人だけだったら、どうなるか、殺し合いで社会は存在していない。つまり、自分は生きていないということになる。人類がいままで生存できているのは、すくなくとも、49:51で、善人の方が多いという事である。病気で命を失う人はどうにもならないが、何か辛いことがあって、自殺しようとする人がいたなら、待った方がいい。出会う人、すべてがろくでもない人であったとしても、かならず50番目の人は善人である。必ず、助ける方向へ導いてくれる。それが人生である。それは絶対に信じた方がいい。だから、50番目の人にであうまで、生き続けることである。

 

何かは、必ず人との相互作用によって生まれる。だから、門戸はあけたほうがいい。しかし、49:51の論理が示すように、ろくでもない人が必ずいる。それにひっかからないように、注意が必要である。情報は、全部出す必要などない。隠すのもまた花となるからである。

 

どんなものでも、種がきれたら、お終いである。だから、常に、ネタを供給できるように勉強して、常に相手から欲される人にならなければいけない。そうして、情報をだしていけば、それが必要とする人に出会う。本気度の高い人、同じ時間軸にいて、同じ波長で頑張る人、それがベストパートナーである。しかし、それも、いつか、離れていく可能性はある。なぜなら、どこかで、人は人生にさよならを言わなければならない時が来るからである。それまで頑張ることである。