【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

めくるめく知のフロンティア・学究達 =173= /吉田憲司(14/15)

2021-05-11 06:18:48 | 浪漫紀行・漫遊之譜

仮面ライダー? 月光仮面? なまはげ? それともプリキュア?

連想ゲイムで並んだ語彙の共通点は、顔面に装着する仮面であろう……

アフリカの仮面に魅せられて、ザンビアの秘密結社に参加したレアでディープな体験から、

アフリカの仮面の魂と真実にたどりついた吉田憲司

【この企画はWebナショジオ_“日本のエキスプローラ”/研究室にいって来た”を基調に編纂】

(文=川端裕人/写真=藤谷清美 & イラスト・史料編纂=涯 如水)

吉田憲司(14) / 「異界」の力を形にした「仮面」 =3/3= ◆◇

 そもそも話題のきっかけは、知人で軽症うつと診断された人が、アニメのコスプレに目覚め、以来、症状が大いに改善した、という話。これは「1症例」にすぎないのだけれど、なぜかこの件も、頭の中に引っかかっていて、「仮面」の話題とは別だとは思いつつも、話題にしてみた。

「私は医学的な知識は全然ないので、責任のあることは言えませんし、うつと直接関係があるかどうかもよくわかりませんけれど、もともと、すべての人間にとって、自分ほどとらえどころのないものって、ないですよね。人間の他者の認識と言うのは、顔に集中しています。人は「私」をこの「私」の顔で認識するのに、「私」自身は、その自分の顔を自分で見ることができない。ところが、仮面をつけると、周りの人はその仮面がかたどったものとして扱ってくれるので、要するに自分と世界との関係が固定できるのです。コスプレも、そのコスチュームを着ることで、同じ作用ではないでしょうか。流動的でとらえどころのないような状況から、自分自体が世界の中で固定できて、一種の自信みたいなものが芽生えることは、仮面の場合と同様コスプレにもあるのかなという気はしますね」

 これは吉田さんが言うとおり、医学的な裏付けはまったくない。なぜか、ぼくが気になってしまっていたことについて、見解を問うたら、真剣に答えてくださったので紹介した次第である。

 とにかく、ここではっきり分かったのは、吉田さんが、「セーラームーン」やら「プリキュア」やら、仮面をつけないけれどもコスチュームが変わって変身するものも仮面のバリエーションと考えているということ。冒頭で述べた小学2年生女子の考えは、実は仮面の専門家、吉田さんと同じだったのだ!

「そもそも、水戸黄門なんかもそうでしょう。要するに変身して、他者との関係性を変えるという意味では、仮面と同じ。ただ、他者にとっての認識の集中している顔を変えるのが、効果としては一番大きいだろうというのはあります。よく化粧と仮面が、似たものとして語られることがありますけども、化粧というものは関係性を十分には固定しえないので、むしろ違う。仮面は自分の眼でその姿かたちを確認できるけれど、化粧は先ほども言ったように、自分の眼では確認できない。むしろ制服なんかのほうが、自分の眼でその姿かたちを確認できるし、それゆえにその姿かたちが求める他者との関係性を固定しますね。銀行に勤めている人が、出勤して、制服に着替えたら、もう銀行員としての役割を求められるわけですから」

 というふうに、仮面にまつわる「普遍」の部分をつっつくとどんどん話が連なっていく。突き詰めると(?)、いったいどんなことが言えるだろうか。

「──仮面の研究に限らず、文化人類学のとりえは、私たちの社会がどういう多様性をもってるのかを明らかにしつつ、同時にその中で人類としての普遍性を見出していくところだと思うんですね。異文化に属する人たちと出会うと、異質性のほうが先にたってしまうことのほうが多いと思うのですが、それだけではなく、われわれはいろんなところでつながっているんだ、この地球上に同時代人として生きているんだという共感を育むことが、この学問の使命だと思っています。」

「──こういう作業は、すぐに直接的効果があるものではないかもしれないですが、最終的には地球上のいろんな人たちと一緒に生きていくための身構え、視点をそれぞれが身につけていく手助けになるものだと思います。アフリカの仮面は、非常に遠く離れた土地の特異な存在に思えるかもしれませんが、それを深く知ることを通じて、私たち自身、アフリカの人たちと同じ時代をいろんなかたちでつながりをもって生きているんだという共感をつくり出していけたらと思っています」

 アフリカのエキゾチックな仮面と秘密結社から始まり、「仮面ライダー」「月光仮面」はともかく、「水戸黄門」「セーラームーン」「プリキュア」にまで通底するものに思いを馳せる時、たしかにぼくたちは、特殊を見ることで普遍を感じ取っている。

 そして、それが、同時代を生きる人々の共感につながるという。是非そうあってほしいとぼくも思う。

次回は“マウンテンゴリラ ダイアン・フォッシーの後継者たち”に続く・・・・

 

■□参考資料: 民族の仮面 ・仮面の世界 (3/4) □■

ギリシャ悲劇の仮面としばしば比較されるのが,日本の能面である。 こで再びジョルジュ・ビュオーの言葉を借りれば,「日本の仮面は個人主義の勝利であり,純粋な本能の造形的抽象化・・・つまり装飾的幾何学のつきまとうモニュメントである黒人の様式化された仮面の対極にある」能面は,個を表現する一種の肖像なのである。 それは人間の心理を,芝居の役者のように,顔という生の変幻自在に動く表情で表現しようとするのではなく,仮面という一元的で動かない固定された面であるが故に,より一層普遍的に人間の喜び,悲しみを浄化し,その可能性を極限にまで追求し得るという東洋的パラドッグスを示している。

 西洋や東洋の人間の心理とか感情を表現し,それを観る者とのコミュニケーションの基盤としている美術は,非常に限られた文化圏に於いてのみ可能である。 仮面の発達した文化圏,即ち前述のアフリカ,メラネシア,エスキモー及び北米インディアンの間では,人間と自然或いは,世界,大きく宇宙と言っても良いが,その関係は,小宇宙に対する大宇宙のようなもので,仮面は生命そのものと深く関与しており,宇宙の創造とも合体している。

 これらの社会では,仮面の着用を社会の中で制度化することにより,仮面という手段を用いて,自分でない自分「他者」になり,同時に自己の限界をも超越する能力を仮面がかち得るのである。

仮面をつけて,宇宙の根源的秩序に定期的に参加する機会がこうして,祭儀という形式によりもたれる。 

 それ故,仮面をつけることは,単に擬装するというのではなく,それ以上の部族全体に関係ある神話の中で,最も重要な地位を占める先祖と直接まじわる機会なのである。 こういう社会は,最近まで残されていたし,今でも限られているが,アフリカやメラネシアの部族に残されている。 そこでは祖先崇拝の信仰と深く結びついており,またアニミズムの世界であり,仮面をつける習慣は,信仰の集団儀式となって遂行される。

African Tribe Masks 

動画のURL: https://youtu.be/VTc7OZZKV-k

 仮面はまた神聖視され,厳しい約束事を伴い,特定の人々が,特定の機会にのみつける組織をもつ社会が多い。 この組織は秘密結社である場合もあるし,多くの場合単なる男性の共同体である場合もある。 アフリカでは,祖先崇拝の対象としての仮面は,部族全体の神話,すなわち,世界はどのようにして創られ,最初の人間がどのようにして生まれ,どのようにして死を経験するに到ったかという,根元に関係しており,仮面を着用する人々は,祖先が初めて死を経験し,如何にして蘇えったかという秘密を知る。 

 そして自からもそれを象徴的に体験出来る特権を持っている。 この儀式は定期的に繰り返えされ,その都度,神話は新しく現在に蘇える。 仮面をつける権利はイニシエーション(ある集団や社会で、正式な成員として承認されること。 また、その手続きや儀式。 成人式・入社式はその一形態。)の儀式を受けた者に限られる。

 一定の年齢に達すると,結社に属する村の長老から,社会における位置づけ,義務,守らなければならない約束事や儀式,結社のメンバーの間でのみ使われる言葉を学び,肉体的にも精神的にも成熟する。 この定期的儀式がイニシエーションと呼ばれるもので,アフリカの場合ほとんど割札伴い,割礼を施す老は,しばしばライオンや豹の毛皮を被り,顔に仮面をつけている。

 割礼は「殺す」という言葉で表現され,この儀式により神話と同じく,死の秘密を知り,祖先のように蘇生するのだと解釈される。 女,子供にタブーとされた死の秘密に接し,割礼だけでなく,この時身体の表面を切ったり,刺青を施したりの成人のしるしを受け,女性を嫁とる権利も与えられる。 ・・・・・・明日に続く 

AFRICAN MASKS 

動画のURL: https://youtu.be/Xld_kRCuGhY

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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