夜になるとまた、雪が降りだした。雪の上に更に雪が積もり、その深さは二尺にもなった。この雪深く足場が悪い中、将軍家は八幡宮で拝賀の儀を執り行っている筈だ。前年の六月には、将軍家の左大臣拝賀の儀が八幡宮で執り行われ、その儀式には父と叔父が随兵として参列した。
今回の儀式には、父も叔父も参列には加わっていない。我が一族からは時村殿が一応加わってはいるが、三浦が外されたと叔父はたいそう怒っていた。そう言えば北条も、今回は執権のご子息の泰時殿が参列から外されている。
三浦の館の庭では松明の火が赤々と灯っていた。儀式が終われば、私は床に就く筈だった。その時だ。
「まずい、これはえらいことになったぞ」
ひそやかな声と鎧の擦れる音が庭から聞こえた。私が不信に思って、縁側に出ると、そこには儀式に参加をしている筈の、時村殿がいた。姿は儀仗兵のままである。私があっけに囚われていると、時村殿が私に気づいた。
「おお、泰村殿、はよう義村殿を呼んでくれ。さっきから待っておるのだ」
眉間に皺をよせ、何か酷く焦っている様子だった。何度も何度も手をこすり合わせているのは、寒さのためかそれとも、落ち着こうとしているのか。私は、とりあえず父を呼びに行こうとした、その時、背後から父と叔父が現れた。
「義村殿」
時村殿は雪に足を取られながら、急いで駆け寄った。
「先に使者から話を聞いた。公暁様の居場所はまだわからぬようだな」
「申し訳ござらん、どうやら仲間がいるようで、どこに逃げたやら」
「公暁様は都育ちだ。鎌倉にそうは知り合いはおるまい。行くとすれば、師匠の備中阿闍梨(びっちゅうあじゃり)か、あるいはここに来るか」
そこまで話をして、父はようやく私に気づいたようだ。
「泰村、お前も来い」
「は、はい」
私は状況が呑み込めぬまま、父と叔父と時村殿の後を追った。
時村殿は急ぎ平服に着替え、白湯を一気に呑み込むと、息をつく暇もなく喋り始めた。
「こちらも最初は何が起きたかまったくわからなかった。なにせ我ら従者は、儀式に直接参加することは出来ぬ。同行できたのは太刀持ちの執権と都からの公家連中だけだ」
時村殿は、苦しそうに呻いた。
「してやられた。警護が手薄になるのを、別当ならよく知っていた筈だ」
私は訳がわからないまま、時村殿の話を聞いていると、叔父がそっと耳打ちをした。
ー将軍家が、公暁様一味に討たれたのだ。
えっと私は叫びそうになった。そんな馬鹿な、どうして。私は自分の心臓がどくどくと脈打つのを感じた。
「生き残った公家連中の話によると、将軍家は背後から一太刀浴びせられ倒れ込んだ所を、押さえつけられて、首を刎ねられたそうだ」
私が固まったまま、何も言えないでいると、叔父が言った。
「執権はどうした。将軍家がやられて見ていただけか、それとも殺られたか」
「執権は同行していない。急に差し込みが痛くなったと、太刀持ちを源仲章殿と変わったのだ。仲章殿は殺された」
そこまで言って、時村殿は白湯をぐいっと飲み込んだ。
「義村殿、我らも急ぎ公暁様を探すしかないだろう、探して捕らえて」
そこまで言って時村殿は口ごもった。父は公暁様の乳母夫(めのとぶ)なのだ。公暁様が産まれた時、父と母は頼朝公から乳母を命じられ、三浦は一族を上げて、公暁様を盛り立てて行こうと誓った。
その後に、頼家公が亡くなり、公暁様が都へ送られ仏門に入られた後も、三浦は公暁様への忠義と支援を忘れたことはなかった。弟の駒若が公暁様に弟子入りしているのも、その縁だ。その公暁様を我らが捕らえなければならないのか。
「でも、なぜ公暁様は将軍家を討たれたのでしょうか。公暁様は将軍家の猶子ではないのですか」
私は混乱しながらそう言うので精一杯だった。公暁様は都に送られる前に、将軍家の猶子(ゆうし)となり親子関係を結んでいる。都で成長した後、尼御台(あまみだい)様のお計らいにより、八幡宮の別当職についたのだ。
「それが、公暁様は妙なことを言っていたらしい。今こそ我は、東国の大将軍であると」
将軍家にはお子がいらっしゃらない。さすれば、父を殺した自分が将軍だと言うのだろうか。
「公暁様はどうかしてしまったのか」
叔父は吐き捨てた。将軍家が猶子に殺される、前代未聞の事件を自ら引き起こして将軍になろうとは、とても正気の沙汰とは思えなかった。
「考えの浅いことよ」
慌てている私達を後目に、父は静かに言った。
その時だ、
「父上、父上」
引き戸をどんどんと乱暴に叩く音が聞こえた。声の主は駒若だ。私はいらついた。あれ程、大人しくしていろと言い含めていたのに、よりにもよってこんな時に、邪魔をしに現れるとは。
「追い払って来ます」
私は腰を上げると、戸まで歩いて行った。そして勢いよく戸を引くと、
「父上!これを!」
開けた瞬間に駒若が転がり込んで来た。私は慌てて、駒若を羽交い絞めにしたが、父の手には駒若から渡された文がしっかりと握られていた。