醍醐(だいご) ('22.6.12)
引き続き醍醐寺。
旧伝法学院。花頭窓の並ぶ細長い建物がある。
その奥に、内部が大きく壊れた建物があった。
ここも、2018年の台風の被害に遭ったのだろうか?
下醍醐のここから奥は、総称して大伝法院と呼ばれる。
建物はいずれも1930年(昭和5年)、実業家・山口玄洞の寄進によって建てられた。
山口玄洞は、多くの学校、病院、インフラ、災害復興支援、寺院などに、多額の寄付をした人らしい。
まさに「日本のカーネギー」である。
比叡山延暦寺東塔の阿弥陀堂なども、山口玄洞の寄付で建立されたらしい。
……私も、ゲーム制作なり何なりの事業で成功して、儲けることができていたら、こんなふうに社会に貢献したかったなあ、と思う。
特に『横浜妖精奇譚』を作ったときは、制作中に東日本大震災が起こったこともあり、これがヒットしたら義援金が出せると思って頑張ったのだが……。
日月門をくぐって、観音堂へ向かう。
日月門に引っかき落書きが目立つのが、ちょっと残念。
ここの鐘楼も立派。
観音堂は、大伝法院の中心となる建物。
正面の石段は塞がっているが、裏から入れる。
外回廊に行列ができていた。御朱印待ちだろうか?
観音堂はもともと大講堂だった。
2008年(平成20年)、山上の上醍醐にあった准胝(じゅんてい)堂が落雷で焼失し、御本尊の准胝観音が、この大講堂に移された。
それ以来、観音堂と改称されている。
観音堂の中へ入る。行列はやはり御朱印待ちだった。
正面中央には大きな阿弥陀如来。
准胝観音は見当たらない。手前の厨子の中におられるのだろうか?
阿弥陀様の左右および正面に、金色の仏様。その左右にも仏様が2尊ずつ。
向かって左端は明らかに大黒様。右端はお地蔵様か?
お遍路さんに似た装束の女性が、一心に祈りを捧げている。
ここ醍醐寺は、西国三十三観音の第十一番札所。
四国ではよく見かけるが、西国三十三所でも、本格的な巡礼の方がいらっしゃることに、何だか心を打たれる。
そういえば大津の園城寺(三井寺)でも、巡礼の方を見かけていた。
お守りをお受けする。
どれにするか迷いに迷って、ここでこんなに迷ってる時点で、なんかダメだなと思う。
弥勒菩薩、薬師如来、准胝観音、五大明王など、個々の仏様に関連したお守りが中心で、1つ2つに決めきれないのだ。
結局無難に、小さな開運守を選ぶ。桜の形をした鈴がついていた。
あともう1つ、対極的に、物凄く攻めたグッズも購入。それは……
京都観光Navi(京都市観光協会) 京都府観光連盟
JRおでかけネット(JR西日本) 京都市交通局
※旅のマップはこちら。
※これ以前の「日本縦断ゲーセン紀行」はこちら。
・第240回 百夜後に死ぬ深草少将(醍醐→小野)
・第239回 アジサイと刀剣とモテない男子(JR藤森、墨染、醍醐)
・第238回以前
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