「 きゃ~♪ 」

「 雪~♪きれ~い♪ 」

「 ママ~!外いってくるー! 」

 

 

昨夜の雪は

すっかり雨になって

 

今朝は積もらずに

溶けてしまったけれど

 

 

降り注ぐ小さな雪と

ほんの小さく積もる白さのなかで

 

夜のうちに

外へ飛び出して遊んでいた

わが家の下の3人の子ども達。

 

 

 

子ども達の

はちきれそうなほどの

うれしくてたまらなそうな声と

 

 

「 ママみてみて~! 」

 

雪で真っ赤になった手を

うれしそうに

見せてくれて

 

「 触って、触って! 」

って、雪でキンキンに冷えた手を

ママにペタペタ。

 

 

また少し

部屋で身体をあたためては

外にかけていく。

 

 

 

 

 

 

 

近所中の

住宅街の

窓という窓からも

 

 

子ども達が

雪にうっとり

外に顔を出している姿が

 

 

かわいかった

初雪の夜。

 

 

 

子ども達のいる世界は

どこも、幸せにあふれてる。

 

日本の少子化は、そうなるべくしてならされてきたこの数十年。

今さら、歯止めがきかない、という、焦ったそぶりのようなその言葉はいったい誰のセリフなのかと感じる。

 

 

 

子どもがいなくなっていく

日本はこれから

 

 

 

 

そんな

 

 

 

何気ない雪に喜ぶひとや

雨を遊ぶ心や

世界を不思議がる視点や

純真なまなざしが

 

 

学校や、街中や、公園や、自然のなかで

 

 

 

静かに

静かに、見られなくなっていく世界。

 

 

 

 

子どもの感性

子どもの笑い声

子ども達という喜びを

 

 

 

受け取れる喜びこそが

少なくなっていく、世界。

 

 

 

 

 

日本は

それを望んでいた社会に

いま、在るということ。

 

 

 

 

 

少子化の原因は

国だけにあるのではなく。

 

 

 

 

 

それ以上に

 

 

この

15年間で

 

子育ての

現場で

 

 

肌で

感じてきたことは

 

 

 

日本社会全体が

子どもが

好きじゃなかったんだと思うよ。

 

 

 

 

 

そして

少母化になっていった、日本だよ。

 

 

 

 

 

 

15年前

 

 

 

当時は

 

産婦人科(医)を主導に

女性に対して

「 家族計画 」

という

言葉がけを

よく使っていた。

 

 

 

 

つまり

子どもは

 

ひとり、または

ふたり程度に

 

抑えようとしていた圧力が

社会全体にあったのを覚えている。

 

 

 (  公には言わない、実質、日本人の一人っ子政策。)




 

さらに

産婦人科での出産は

ブラックボックスに秘されていて

 

 

出産するまで

母体は

なにをされるかわからない。

 

( 事前に知れたら、産婦人科を選ばずに済んだのに。 )

 

 

 

 

 

わたしは

初めての出産を

産婦人科で経験して。

 

 

 

これが

出産というものなら

 

 

私は2度と

出産などしたくない!

と強く思った。

 

 

辛く、痛く、屈辱的で

まるで交通事故にあったあとの人間のように

ボロボロになり身動きがとれない。

 

 

 

不自然で不必要な

会陰切開すら

 

 

分娩台のうえで

やめてください!

とどんなに拒否をしても

 

「 赤ちゃんのためだから! 」

と押し切られて

 

メスで必ず切られる子宮口は

産後も痛みつづけ、身体だけでなく、私の心も蝕んだ。

 

 

 

 

強引な

お腹を押しての

赤ちゃんを押し出そうとしてくる処置

( クリステレル )は

 

産後の母体の腰痛として

1年間も消えず。

 

( これは、分娩台に寝ている状態だから産みにくいだけで、陣痛促進剤など使わずとも、ちょっと姿勢を変えれば、産みやすいだけの話。)

 

 

 

 

出産してすぐに

赤ちゃんを抱っこしたい、と言っても

「 そんな身体で? 」と言われ母子分離。

 

 

母親のわたしに許可なく

赤ちゃんに対して

ミルク育児を勝手にスタートされていて

 

赤ちゃんには声かけもなく

人形のように熱い湯船にドボンと入れて

大泣きしている赤ちゃんたちに

 

心が痛すぎた。

 

 

 

 

 

 

日本というのは

母子にこんな扱いなのか。

 

日本の産婦人科とは

こんなにも遅れていたのか。

( 日本は、母子福祉後進国。⇒少子化、は自然な相関関係。)

 

 

 

それが

はじめて出産を経験し

母親になった27才のときの私の感想だった。

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 

↑日本と同じく少子化が加速していたフランスでは、少子化が回復していて、社会がどのように母子をフォローしているのかが、日本との対比のなかで分かりやすい一冊。私が感じていた、この、日本の母子に対する、後進国な出産、産後ケア、子育ての在り方への、私の全違和感は、間違いがなかった。まさに、日本で出産、産後、子育てをしているなかで、全くフォローがない部分のすべてを、フランスでは、長期的かつ丁寧なフォローが徹底している。読みながらフランスに移住したくなった。

 

 

 

 

 

 

こうした

日本の産婦人科での

 

1回目で

トラウマの多い出産の在り方が

 

 

女性に対して

2度と出産したくないという

 

 

心と身体への

多大なダメージを

与えることで

 

 

少母化へ

貢献していたのも

現在に至る所以。

( 厚労省 )

 

 

 

わが子をかわいいと思うホルモンでさえ、出産後ほんの2時間の間に分泌される。これが生涯の、わが子を愛おしいと感じる母性になる。赤ちゃんは、この間、ちゃんと起きている。この時間を母子分離されると、わが子なのに、他人の子のように感じてしまう。母子分離によってこれに悩む日本人のママたちは、どれだけ多いだろうかと思う。

 

 

 

 

出産のときの

この肉体への

トラウマとダメージは

 

女性の潜在的な怒りとなって

 

 

その後

夫婦間のトラブル

産後クライシスの原因や

産後うつ

赤ちゃんをかわいいと

感じられないホルモンバランスへ・・・など

 ( ひどい方では虐待へも発展するのでは )


 

長期にわたって

あらゆる弊害を

母子にもたらすものになる。



出産という


分娩台での

女性への暴力は


女性の内側で

消えることのない怒りになる。

 

 

 

 

↑そのときに出会った一冊。『 分娩台よ、さようなら 』驚いたことに、私が産婦人科で経験して、ほんとうにいやだった辛く、痛く、屈辱的な経験のすべてが、まるで私のこと?というほどに「 これが日本の産婦人科の実態! 」というふうに詳細に書かれていて、同じ憤りを感じていることを伝えていた本。この本の著者は、自身が生まれてくるときにも、この産婦人科の屈辱的な在り方のために、生涯、「 怒り 」を感じていて、自分が産むときにも、やはり産婦人科の在り方に対して「怒り」。ついに、自ら産後、女医になり、至福の出産を先導するための産婦人科医になっていかれた話。

 

 

 

 

 

 

あれから

ふたり目を

妊娠した私は

( もう2度と、日本の産婦人科での出産はするまい!と )

 

 

 

 

 

 

助産師さんが

自宅に来てくださる

自宅出産を選んだことで

 

 

出産というものの

あまりの至福感と

心と身体の軽やかさの違いに

びっくりしつつ

 

( 同じ出産と思えない。出産が、心から幸せだった。 )

 

 

さらに

身体の回復も早く

 

赤ちゃんがかわいい、と感じる

思いもずーっと溢れ続け

 

 

また出産したい

と思えた。

 

 

 

 

 

 

 

そして

また2年後。

 

 

 

当時

出産適齢期にある全女性が

( 結婚している2,30代の女性全員 )

 

 

ひとりにつき

子どもを6人産まないと

日本の少子化は回復できない

 

と言われていた

時代のなかで

 

私は3人目を妊娠した。

 

 

 

 

 

すると

こんどは

 

 

 

 

 

周囲の女性や

あらゆるひとたちに

 

 

 

 

避妊の仕方しってるの?

何考えてるの?

どうやって育てるつもり?

おろしなさいよ

それくらいにしておきなさい!

よくやるよね。笑

産めない身体に手術しなさい

ママ大変になるわね~( 子育ては女性だけがするもの、という当時の常識 )

 

 

 

っと、日本では

そんなことばを

かけられた。

 

鎌倉の大銀杏の根。

( もちろん、当時の私が、実家が近いわけでもない場所での子育てで、今後のひとりで3人育児への未知なる不安感のなか、否定的な言葉をよりひろって聞こえてしまっていたのもあると思う。しかし、それにしても、一度でも、そういうことをよく言えるな、という言葉を、3人目の妊婦さんにかけられるほどの、当時の日本での、3人目、ということに対して、暗黙の圧力の強い壁があった社会だったという事実。子どもは、ひとりか、ふたりが、常識、という暗黙の日本社会ルールの押しつけ。)

 

 

 

 

 

 

 

3人目を

出産後

( これもまた、助産院での、自然で至福な出産だった。産後翌日には起き上がり家事をしていたほど元気だった。 )

 

 

 

こんどは

日本社会の何がみえたか??

 

 

 

 

日本社会が

 

そもそも

子ども3人用に

できていない

ということだった。

 

 

 

 

世の中

すべてが

家族4人用。

 

 

 

 

レストランに

いっても

4人用席しかなく。

 

 

遊園地の乗り物も

4人用。

( 家族5人でいくと、観覧車から何から、いつもバラバラになってしまう遊園地がある。)

 

 

児童館へ行っても

室内遊具施設へ行っても

 

おとなひとりにつき

子どもふたりまでしか入れません

 

と言われて

ママひとりで

( 末っ子はスリングで抱っこで寝ているだけでも )

 

2才差3人の子どもを

遊ばせられなかった

入れられなかったことも

何度もあり。

 

 

 

 

 

少子化対策って

いつ、だれが、どこで

する気があるの?

 

 

 

という

 

3人育児から

急に、受け皿がない社会に

しんどさを実感した

日本社会だった。

 

 

 

 

と、同時に

3人目を産んで
( 2015年 )

 

大きく感じた

社会の変化といえば

 

 

 

男性が

エルゴで赤ちゃんを抱っこする姿が

はじめて登場した時代。

 

 

 

それまで

( 2011年~2013年生まれ )

 

赤ちゃんは

女性が抱っこする姿しか

世の中になかった。

 

 

抱っこひも系のすべて

女性用。

 

 

 

 

わが家も

3人目から

 

パパさんに

エルゴ抱っこしてもらって

 

ようやく

違和感なく過ごせるように。

 

 

 

 

 

 

 

2才差3人の

子どもを

 

ママがひとりで

育てていても

 

あたりまえの

まなざしだった日本社会では

 

 

ちょっと

パパさんが

手を貸したり、手伝ったりすると

 

えーっ!!っと

激しくびっくりされる

くらいの世の中から

 

( 男性が家事育児をすることを『 手伝う 』と言っていた時代。)

 

 

 

 

男性が育児をするのが

当時者なんだから当たり前

 

へ、移行していた時代だった。

 

おかげで、ようやく初めてママがひとりでcafeタイムができるようにも。

 

 

 

 

それから

 

4人目を

出産したころには

 

( 2020年 )

 

 

世の中は

すっかり

様相が変わってきた。

 

 

 

 

赤ちゃん用の

エルゴは

はじめから

パパ用、ママ用、と揃えられて

 

 

 

女性だから

という理由で

 

過剰な子育ての大変さを

ひとりで抱える

というのは

もう、しなくなった。

 

 

 

 

そういう

世の中の圧力も

もうなくなっていた。

 

( 日本社会全体も、男性が子育てするのもようやくあたりまえになり。)

 

 

 

 

 

さらに

 

見知らぬひとから

たびたび

 

 

4人もお子さんがいらっしゃるんですか?

ありがとうございます!

少子化のなかありがとうございます!

子育てどんなにか大変なのにありがとうございます!

 

 

っと、

この

ありがとう

 

というのを

たびたび

いろいろなところで

言われるようになった。

 

 

子育ての大変さが

ようやく社会全体で

共有されているようになった感じがする。

 

江戸時代の資料館。かつての日本人たちは、子どもが大好きだった民族。

 

( 現在の産婦人科では家族計画、なんて言葉は聞かれなくなり。新しい産婦人科医さんに世代交代されて母子福祉に優しいところがとても増えた実感がある。母乳育児やミルク育児でさえ、初めての子育て時代、母乳育児をしている私はとても珍しがられたり、完ミだ、完母だという不毛な戦いがネット上で繰り広げられていたり、母乳育児の私は昭和の母ちゃんか、と産婦人科医に言われるほどだった。当時、乳幼児検診に行ったら100人中母乳育児をしていたのは私を含めて3人のママだけだった。けれども、その後母乳育児の良さが再確認されてきて、現代では母乳育児がベースでミルク育児は補助、という在り方がスタンダードに。私個人的にも、母乳育児でもミルク育児でも、母子が健康ならどちらでも良い、むしろ混合で良い、というスタンス。)

 

 

 

 

ただひとつ

 

 

 

 

4人目で

はじめて

一時保育を利用したときのこと。

 

 

 

 

横浜市で

いちばん子どもの多い区となった

私の住んでいる場所なのだけれど

 

 

 

 

横浜市って

私もそうだけれど

 

地域柄、全国からお嫁さんにくる女性たちが

ママさんに多い場所で。

 

 

 

 

 

なので

実家が遠くて

 

頼れる親が
( おじいちゃん、おばあちゃん )

そばにいない。

 

 

 

 

 

 

そんななか

私の住んでいる区には

 

 

 

 

子ども達を

わが子のように

慈しんで

 

安心して

乳幼児のわが子を

預けられる

 

実家のような

一時保育施設がある。

 

( 保母さんたちが、みなさん、子どもを3人以上育ててこられた、子育てが終わった子どもが大好きなママさん達で、ほんとうにやさしい。)

 

 

 

 

そこでは

私たちのような

 

 

 

 

ひとりで

子育てをしていて

 

息抜きすらできない

ママたちの大変さも

分かってくれていて

 

 

 

 

 

いつも

 

あたたかく

優しく

ママたちへのねぎらいも篤く

 

こうした一時保育へ

安心して

わが子を預けているママたちが

たくさんいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

ところが

 

 

 

 

 

 

こうした

一時保育の施設も

 

 

 

 

 

元々は

私立の学園の付属として

学園の敷地内にあったのだけれど

 

 

 

子どもの一時保育施設の部分は

( 乳幼児の預かり施設は )

利益がでない部分だから

 

 

 

 

ということで

学園の敷地内から

追い出されてしまった。

 

 

 

 

 

そこで

住宅街のなかに

移転してからというもの

 

 

 

 

 

やはり

住宅街のなか

( とはいっても、周囲とは離れているけれど )

 

 

という

だけあり

 

 

 

 

近隣の

じじばばが

 

 

うるさい!

出て行け!

 

 

 

と連日のように

クレームが入るようになったそうで

 

 

 

 

一時保育の保母さんたちが

連日

ママの私たちに

心配をかけまいとされながら

子ども達を守りながら

 

 

 

 

近隣住人( 地主の老人 )に

頭をさげて謝りつづけている。

( 現在も進行形 )

 

 

 

 

 

その姿が

 

ほんとうに

胸が痛くて

たまらない。

 

 

 

 

 

 

この姿が

日本社会の

縮図にみえてならない。

 

( 女性や子どもという、弱者を攻撃する日本社会。)

 

 

 

 

 

 

日本社会の

少子化を加速させてきたのは

 

 

国が、、、

というけれども

 

 

 

それ以上に

もっと身近な

現場の日本の暮らしのなかで

 

 

 

 

子ども達へ

母親たちへ

 

 

 

どういった

言葉かけ、まなざしがあるか??

 

 

子どもを連れた

母親になったときに

 

女性がこの日本で

どんな思いをしているか?

 

 

 

それが

この20年間をかけて

 

 

 

つくりつづけてきた

少母化からの結果の

少子化そのもののように、思う。

 

 

 

 

 

 

国が

どのようであったとしても

 

 

 

現場が

母親と子ども達に

やさしい社会であったら

 

 

 

それだけで

 

この国で母親になることや

この国にうまれる子ども達は

もっと幸せで、安心して

存在できていたはずだから。

 

 

日本人のママが、なんでひとりで罪悪感を感じながら、子育てをしているのか。

 

 

 

 

 

 

 

食医ママサロン

この8年間

 

 

 

不妊治療でも

なかなかお子さんを

授かれないと悩まれていたご夫婦が

 

 

 

食のみで体質を改善されて

赤ちゃんを授かられたり

 

 

 

 

ご高齢でなかなか

赤ちゃんを授からずにおられたママさんが

 

40代でも

元気に赤ちゃんを授かられて

ご出産されたり

 

 

つわりが軽くなられたり

出産後のお子さんが

とても健康的で育てやすく

クスリいらずで

すくすく育って行かれたり

 

 

多くの幸せなママさんや

すこやかに

赤ちゃんが誕生していかれた日々に

 

 

 

わたしは

なにがほんとうか

 

何が命の源の在り方として

正解なのか

 

( 命が繁栄してゆくのか )

 

 

 

 

 

 

 

 

それを

自分自身と子ども達

多くのママさんたちから

 

教わり続けることができた。

 

 

 

 

 

社会は、時代とともに

真反対のことが正義になる。

 

 

 

 

 

 

タイムリミットのある

赤ちゃんを産める

身体であった時代のときに

 

 

外側に惑わされずに

 

 

 

いまの、愛しい

わが子たちに出会えて

ほんとうに良かった。

 

 

 

 

 

 

 

少子化が

加速していく日本とは

逆行して

 

 

幸せなママと子ども達を

うみつづける

 

 

食医ママサロン

別名

子宝サロン

 

 

 

それが

日本のスタンダードで在れ。




 

 

これからも

すべてのママと子ども達が

安心安全のなかで、愛と繁栄に満ち溢れますように☆*・。

 

 

 

 

 

今日もありがとう

芳恵ママ

 

 

 

。・*★―命の本質を尊重する医食同源―★*・。

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