惜別球人2021 | かものはしの口遊〜くちずさみ〜

かものはしの口遊〜くちずさみ〜

島根から札幌に来て18年目。相方、娘に猫(雌)も加わり、居場所が徐々に奪われていく様子を口遊みます

 

東京ヤクルトスワローズ

 

・歳内宏明
東日本大震災の年の福島代表聖光学院のエースとして甲子園を沸かせた、同校初のプロ野球選手。阪神退団後、独立リーグ香川で活躍しヤクルトが獲得。4年ぶりとなる勝利もあげた。羽田エキスパートエージェンシーとエージェント契約を結んでる現役唯一の選手。母校の甲子園連続出場が14年で途切れた年に二度目の戦力外。


・中尾輝
名古屋経済大から初のプロ野球選手。中継ぎを中心に18年には7勝を挙げ、リーグ最下位からの交流戦首位という躍進の一翼を担った。母親が経営する名古屋で居酒屋「団」は燕党の名古屋遠征の聖地。新型コロナの影響で苦労したお店の為にもまだまだ活躍する姿を見せたい。


・大村孟
福岡県小竹町ならびに福岡教育大学から初のプロ野球選手。高校・大学・社会人と全国大会に縁が無くトライアウトで独立リーグ石川に入団。育成1位でプロ入りを果たすと翌年には支配下登録を勝ち取りさらに翌年にはプロ1号を放つも、プロ入りに時間がかかりすぎたか。


・蔵本治孝
高校まで外野手でベンチ外も大学で投手となり、トミー・ジョン手術を乗り越えて近藤弘樹と共に岡山商科大学から初のプロ野球選手となった。昨年は高津監督の就任に伴い、背番号22と監督のコーチ時代の背番号99と入れ替え、今年は監督と同じサイドスローに転向するも、容赦なく戦力外に。

 

・雄平
151キロ左腕として鳴り物入りで入団し、2学年下のダルビッシュが憧れの人として名を挙げた高井雄平。1年目から5勝するなど通算18勝をあげるも制球難から7年目に野手に転向。藤村富士男以来となる通算10勝での20本塁打など結果を残し、史上4人目の野手転向での一億円プレイヤーに。ベッキーは小中学の1学年先輩。

 

 

阪神タイガース

 

・中田賢一
中田宗男スカウトが「親戚だ」と嘯いて他球団を牽制し、中田も中日以外なら他球団と公言し入団したが、FAでソフトバンク。更に無償トレードで阪神へ。両リーグで与死球王となり、現役最高の与四球率を誇る球界の暴れ馬も阪神では未勝利のままついに引退。奥様は元朝日放送の角野友紀アナウンサー。

 

・桑原謙太朗
横浜に入団するも2度もトレード移籍を経験し、17年には最優秀中継ぎ賞を獲得し「ハマのオッパッピー」は「和製リベラ」として名を馳せた。何故か二度の移籍先に高宮和也がおり、2人で「安定の横浜ブランド」を関西方面に知らしめた。

 

・岩田稔 
高校時代に発症した1型糖尿病のため卒業後の社会人野球が白紙となり関西大に進学、そこでの活躍で希望枠での入団を勝ち取り、WBC代表にも選出され優勝にも貢献した。同じ病気の人を励ますべく著書を発行も、一番の励ましは岩田が活躍することだった。

 

・伊藤和雄
古葉竹織氏が指揮を執る東京国際大学を初優勝に導いた同校初のプロ選手。一時は育成契約も好投を重ねわずか5か月で再度支配下登録。かつて藤川球児の背番号92を背負ってブレイクを期すると、昨年ついにプロ初勝利。埼玉県小川町初のプロ野球選手。

 

・石井将希
野球に興味0のバスケ一家で育つも野球をしてみたら育成でプロ入りするまでに成長。フォーム改造で支配下を勝ち取るも1試合でサイドスロー転向。野球を始めた頃、野球が分からずとりあえず右利きのグラブでプレイしていたが、指導者から左投げを勧められて才能が開花したリアルBUNGO。


・荒木郁也
プロ10年で通算本塁打0、打点2ながら代走、守備固めでチームを支え「数字以上に必要な男」と矢野監督に言わしめた。万能の守備力を買われておるのに一塁の守備固めが一番多いという荒木の無駄遣い。史上2チーム目となる阪神通算5000勝を決めた試合では全6打席出塁、2盗塁と活躍し貢献した。

 

・俊介
本名は藤川俊介。福岡県桂川町初のプロ野球選手。俊足堅守が売りも、盗塁は意外と少なく28。11年には代打・金本の打席で盗塁死をして、金本の連続出場記録を1766試合で止めたことも。17年には打撃開眼しサンスポMVP特別賞。

 

 

読売巨人ジャイアンツ


・大竹寛
広島で連続イニング無失点の球団記録などエース級の実績を引っさげFAで巨人に移籍も、人的補償の一岡が広島で活躍しついに年俸が逆転されるも、中継ぎで活路を見出し、19年には18年ぶり日本代表に返り咲いた。登場曲はKANさんの「愛は勝つ」。奥様は元NHK静岡キャスター光部杏里さん。


・野上亮磨
神村学園初のプロ野球選手。17年に元モーニング娘の石川梨華と結婚した上で2桁勝利しFA宣言と順調に見えたが、古巣の西武はそこからリーグ2連覇。巨人では移籍初先発で初勝利を挙げるも、巨人では通算5勝。阪神ファンの石川梨華への余計な気遣いが垣間見える。

 

・亀井善行
強豪犇めく大阪にあって、創部わずか2年目で甲子園に導いた上宮太子高校のエースにして、同校初のプロ野球選手。中大を経てプロ入りすると規定打席にも達した事のないにも関わらずプロ5年目の09年にWBCに出場しブレイク。14年には交流戦MVP、19年には日本シリーズ敢闘選手賞し、プロ15年目で初の一億円プレイヤーと、5年ごとに印象深い活躍を見せた。今季は史上初開幕戦での代打サヨナラ本塁打で幕を開け、プロ100号本塁打を放ち引退で幕を閉じた。

 

 ・松井義弥

折尾愛真高校では「九州のゴジラ」と呼ばれ、高校通算40本塁打の実績を引っ提げ同校から直接プロ入りした初の男子選手。先輩ゴジラ・松井秀喜氏が五輪開幕式にレジェンドと並んで登場した一方で、ほぼ三軍暮らしのまま戦力外に。

 

 

 

広島カープ

 

・今村猛

清峰高では長崎県勢初となる甲子園制覇を果たし、同期の古川とともに同校初のプロ野球選手となった。セットアッパーとして君臨しリーグ最多登板などリーグ3連覇にも貢献。WBCへの出場も果たした。プロゴルファー佐伯三貴との熱愛の行方ともども今後に注目が集まる。長崎県小佐々町(現佐世保市)唯一のプロ野球選手。

 

・中村恭平
サッカーの強豪・立正大淞南高出身の唯一のプロ野球選手。高橋建の背番号を引き継ぐも故障も重なり通算2勝。背番号を変更するとセットアッパーとして開花し13ホールドを挙げた。歌舞伎町でホストに勧誘されるほどイケメンで、奥様は元グラビアアイドルの清水ゆう子さん。

 

・鈴木寛人

完成されたフォームと礼儀正しい人格に注目が集まるも、プロに入ってフォームを崩し、二軍で通算1試合登板で3暴投。霞ヶ浦高から入団2年で早すぎる戦力外。どうした、育成の広島。

 

・行木俊

高校3年時に投手に転向すると、先輩の伊藤翔と同じ独立リーグ徳島に入団。バイトを4つ掛け持ちしながら、投手転向わずか10試合の登板で徳島史上2位となるドラフト5位で入団。特別指定選手に指定され4月から二軍登板を果たすも、その1試合登板で投手転向通算11試合、わずか1年で戦力外。育成契約へ。

 

・桒原樹
桑原ではなく桒原。常葉菊川高では一年の春に本塁打、二年夏で二期連続となる大会第1号本塁打を放ち大型内野手として注目を集めるもプロでは6年目の昨年ようやく、守備率1.00の菊池に替わり二塁守備で一軍初出場を果たすもタイムリーエラーを犯し、まさかの守備率.000

 

・高橋大樹
外れ外れながらドラ1で入団した衣笠2世の初安打は、衣笠氏が亡くなり喪章をつけて挑んだ追悼試合。2位指名の鈴木誠也がポスティングでメジャー移籍が噂される一方で、通算2215試合出場の鉄人2世と称された以上、通算46試合、本塁打1本では終われまい。

・永井敦士
二松学舎大付OBで日本代表で金メダルに輝いた鈴木誠也を目標とし、誠也塾に入門するも一軍出場なし。渾名は似てるからという理由で香香(シャンシャン)。ドラ1の中村奨成の命名。今年末に中国に返還される香香に先立って、こちらの香香が戦力外。

 

 

 

中日ドラゴンズ

 

・山井大介
日本シリーズで8回まで完全試合も、9回を岩瀬にマウンドを譲り話題になるも、後年しっかりノーヒットノーランを達成。初めて2桁勝利を挙げたのはNPB史上最高齢の36歳。その36歳で初タイトルの最高勝率と最多勝。39歳で初本塁打、18年には史上9人目の40代での完封勝利を挙げるなど大器晩成でプロ通算62勝。

 

・三ツ間卓也
BCリーグ武蔵でリーグ記録の20セーブを挙げ育成でプロ入りし、武蔵ヒートベアーズ出身で初めて支配下登録を勝ち取ったのは、先祖の菅原道真公のお導きか。昨年は野手を使い切り、投手ながら代打で登場。プロスピのシナリオプレイで圧倒的1位を記録した。隔年病で今年は活躍の年のはずだったが…。妹はグラビアアイドルの三間エレナ。群馬県榛名町(現・高崎市)初のプロ野球選手。

 

・遠藤一星
中日入団までずっと東京で過ごし、モデルにもスカウトされた新宿出身のイケメン選手。斎藤佑樹や田中将大と同じ世代で最後の88年世代。次世代のアライバと期待されるも気付けば外野にコンバート。レギュラー獲得はならなかったが即戦力ばかり指名した2014年のドラフトでは一番の活躍。今年の5月には審判への侮辱行為で退場処分を受けた。

 

・井領雅貴
四街道市初のプロ野球選手。2年連続社会人ベストナインの即戦力も、社会人ENEOS時代と同じ7年間在籍し戦力外。2014年の即戦力ばかり補強したドラフト選手はついに球団から全滅。今年、長女が生まれた数日後に4年ぶりとなるプロ2号本塁打。娘の成長に合わせて覚醒する可能性も…。

・武田健吾
17年の交流戦では首位打者争いを繰り広げブレイクを予感させた新庄二世。オリックス時代はサファテキラーとして名を馳せ、今年は中日移籍後初の開幕一軍と初本塁打、さらに一年間一軍帯同するもまさかの戦力外。昨年は新庄が46歳でトライアウトに挑戦、27歳の武田が新庄二世の意地を見せられるか。

 

・藤井淳志
豊橋東高初のプロ野球選手にして俊足強肩で福留以来となるルーキー開幕スタメンを勝ち取り、球団で最も長く背番号4を背負った。2007年の祝勝会では「びんぼっちゃま」、2010年にはソーセージの姿で「打倒プホルス」と記しファンの度肝を抜くも、ブホルスがエンジェルスを戦力外になるもドジャースで復活した今年、引退してる場合ではない。

 

 

横浜DeNAベイスターズ


・齋藤俊介
新人研修で「活躍して女子アナに振り向いて貰えるよう頑張る」と宣言したハマのお笑い担当。打率を挙げる方法を子供に聞かれ、バットンに「毎日斎藤さんと対戦すれば打率が上がる」と言われる始末では女子アナも程遠いか。戦力外当日はスーツ姿で一軍練習に参加し別れを告げた。

・飯塚悟史
新潟県勢を準決勝に導いた日本文理の四番でエース。高卒2年目で初勝利をあげるも、圧倒的な被本塁打率を誇り通算2勝。東京03の飯塚悟志と間違われないくらい知名度を上げたい。沖縄の三線デュオ「いーどぅし」の羽地奏絵さんと入籍、今年第一子が生まれたばかり。まだ終われない。

・武藤祐太
毛呂山町出身で初、そして飯能南高初のプロ野球選手。中日に入団し史上16人目の3者連続3球三振など実績を残すも戦力外を受けDeNAに入団し3年ぶりの勝利もあげた。奥様はチアドラゴンズの早川真央さん。チアドラの人気者の導きで再び中日の獲得にならないか。


・進藤拓也
西仙北高時代に40イニング連続無失点の秋田県記録を樹立し、大学を経て同校初ならびに大仙市初のプロ野球選手になった。平成最後の試合ではショートスターターとして初先発も経験。横浜の進藤がプロで先発出場したのは達哉以来19年ぶり。


・風張蓮
九戸村および伊保内高等学校から初のプロ野球選手。イースタン初登板は11球で危険球退場と華々しいデビューを飾ると、一軍初登板初先発は8球で危険球退場という九戸村の英雄・九戸政実もびっくりなデビュー。昨年ヤクルトを戦力外になり、トライアウトを経て横浜に入団も再び戦力外。奥様は女優の松浦亜由美。

 

・勝又温史

狛江市初のプロ野球選手。日大鶴ケ丘三年時には打倒日大三を目指すしたがサヨナラ負けを喫したものの、熱中症で倒れるほどの熱闘を繰り広げた。高卒ドラフト4位ながら、紀田、秦、北方など高卒ドラ1が背負ってきた背番号を担ったが一軍登板なくわずか3年で戦力外。育成契約へ


・笠井崇正
旭川西高出身初のプロ野球選手。早大野球部を2日で退部し独立リーグ信濃に在学しながら入団。早大に在学しつつの独立リーグからのプロ入りとなり、信濃出身で二人目の支配下を勝ち取ったが、未勝利のまま戦力外。


・中井大介
読売巨人軍第83代四番を務め、巨人球団通算10,000号本塁打を放ったユーティリティプレイヤーは、中畑政権時代から続く伝統の打倒巨人の急先鋒として代打を中心に活躍、巨人戦力外の翌年にはバックスクリーンへ特大の恩返し弾を放った。


・乙坂智
本名は乙坂・ルーセロ・智・ニコラス。初出場・初安打・初本塁打・初盗塁が全てパリーグ相手。シーズンオフのメキシコリーグ挑戦では首位打者を上回る打撃で周囲を驚かせるも日本では定位置獲得出来ず。最後の打席は引退する日本ハム・斎藤佑樹の二軍最後のマウンドだった。文春砲を食らっておったがそちらで活躍してどうする。

 

 

大阪オリックスバッファローズ


・吉田一将
青森山田高では3番手投手、日大でも目立たなかったが、社会人では史上2人目となる久慈賞と若獅子賞をW受賞でドラフト1位で入団。先発・中継ぎで活躍し、2度の50試合登板と、7年連続勝利を挙げた。首が長いので愛称は「キリン」。大河「麒麟がくる」が終わった年に戦力外。

 

・荒西祐大
玉名工業高等学校初のプロ野球選手。社会人入社8年目の26歳で入団のオールドルーキーはHondaの先輩・佐藤達也の背番号を受け継いだ以上、サトタツ並みの投球術も受け継いでほしかった。わずか3年で戦力外。

・飯田優也
ホークス二軍ブルペン担当も務めた元育成選手の兄・飯田一弥と三軍で史上初の育成出身兄弟によるバッテリーを実現。兄の果たせなかった支配下を勝ち取ると、その年のビールかけでは孫会長にビールをかける勇者プレイ。伊達に入場曲に「ドラゴンクエスト序章」を使ってない。

 

・榊原翼

育成で入団も高卒2年目には支配下登録を勝ち取り、通算4勝を挙げるもあまりに早い戦力外。19年のファンフェスでは広瀬すず似の女装を披露しMVPを攫った人気者。広瀬アリス似のロッテ・マーティンとの広瀬姉妹対決はもう見られないのか。


・鈴木優
東東京大会では三試合連続完封で旋風を起こし「都立の星」「都立のダル」と呼ばれた雪谷高等学校初のプロ野球選手。昨年は、都立卒としてプロ初勝利をあげた。オリックスバッファローズ史上初のドラフト9位。


・金田和之
大阪学院大からプロ入りし5勝をあげるもその後は成績が尻すぼみ。糸井嘉男の人的補償でオリックスへ移籍し最初の年に4勝をあげるもやはり尻すぼみで通算12勝2敗で戦力外。史上36人目の1球勝利も挙げた。

 

・勝俣翔貴

神奈川県箱根町初のプロ野球選手。世代代表の強打者としてオープン戦で新人第一号本塁打を放ち開幕一軍を勝ち取るも、初打席から8打席連続三振のプロ野球記録を樹立。更に二年連続眼窩底骨折となり、背番号と同じく打撃成績0のままわずか2年で戦力外。


・神戸文也
中学の女子野球大会で日本一に輝いた母親のプロ野球選手という夢を叶えるべく、育成から独立リーグ派遣を経て支配下を勝ち取った孝行息子。最初に打者に本塁打を浴びるものの、そのシーズンで5ホールドを記録した。苗字の読みは相棒の神戸尊と一緒。

 

・廣澤伸哉
別府市出身とあって日頃は行ってきた温泉も入寮を期に温泉断ちしたのが悪かったか。高校生離れしたフィールディングを売りに高卒3年目に開幕一軍を果たし初安打も記録するも、打撃が向上せず4年目に戦力外。

・岡崎大輔
幸手市初のプロ野球選手。花咲徳栄では主将としてチームを牽引し、プロでは高卒ながら1年目から初安打、初打点を記録しアジアウインターリーグではNPBウエスタン代表にも選出されるも、3年目にまさかの育成契約。打撃は向上しなかったものの守備力とチームプレイを評価され再度支配下を勝ち取った。

 

 

千葉ロッテマリーンズ

 

・南昌輝
立正大から入団の西口二世。18年に越智や大隣などが患った特定疾患の黄色靭帯骨化症を発症。そのまま引退にい追い込まれる選手が多い中、妻でハロプロ・元メロン記念日の柴田あやみの支えもあり、一軍マウンドに復帰を果たした。実働8年でついに引退。


・石崎剛
三和高等学校初のプロ野球選手。呉昇桓の石直球を彷彿させる剛球を武器に日本代表にも選ばれるも故障に泣いた。阪神からトレードで移籍し、昨年から阪神時代の背番号30をつけるとプロ入り初の先発にも挑戦。


・永野将司
大分県旧・山香町唯一のプロ野球選手にして日出暘谷高校初のプロ野球選手。広場恐怖症の発症で遠征やキャンプで困難に見舞われるも看護師を目指していた妻との二人三脚で闘い続ける。乗り越える姿を同じ症状の人々に見せたい。


・宗接唯人
兵庫県波賀町(現宍粟市)初のプロ野球選手。小池秀郎の入団拒否もあり亜大から31年ぶりの入団と期待されるも1打席1三振で戦力外。亜大時代には同大で刺傷事件に遭ったアイドル・冨田真由さんにウィニングボールを贈った。


・鳥谷敬
連続試合出場歴代1位の衣笠祥男氏が亡くなった2018年に、歴代3位の金本監督のもとで歴代2位の1939試合連続出場でストップ。19年に阪神を戦力外になるとロッテに入団。昨年、遊撃手としての出場試合数で石井琢朗を抜いて史上最多。今シーズンは史上最高齢の遊撃手の開幕スタメンを飾った。


・小窪哲也
葛城市初のプロ野球選手。カープを25年ぶりの優勝に導いた選手会長。退団後、6月に発足したばかりの火の国サラマンダーズに入団すると、わずか2か月でチーム初となるプロ野球選手としてNPBに復帰を果たしたが、ヒットは本塁打1本のみでついに現役引退を決意。

 

・高濱卓也
俊足強肩で中田翔・唐川侑己・佐藤由規と並び四天王と称され阪神にドラ1で入団。4年目に小林宏のFA移籍に伴う人的補償でロッテに移籍し10年スーパーサブで活躍するも日ハムの弟・祐仁と同日戦力外。2年かけて支配下復帰を果たし、ロッテで4つ目の背番号で活躍を期すも弟がレギュラーを獲得する一方、再度戦力外で引退を決意。


・松田進
アメリカ・ニュージャージー州生まれ、小学生時代はシンガポールで過ごした「井口二世」も、井口監督の下で通算3試合で戦力外。唯一の安打は元メジャーリーガー・ミランダから。


・清田育宏
市立柏高等学校初のプロ野球選手。新人から背番号1を背負うと、長嶋茂雄以来の日本シリーズ初戦本塁打、ポストシーズン2試合連続先頭打者本塁打などポストシーズンで無類の勝負強さを見せた。FRIDAYから不倫と外部との会食禁止についての虚偽報告が報じられ5月まで謹慎し、更なる不倫報道を受けて契約解除。

 

 

東北楽天ゴールデンイーグルス

 

・牧田和久

ルーキーから抑えを務め、先発もこなし、中継ぎでは規定投球回に達するペースで投げるなど「隙あらば牧田」と西武時代にはあらゆる場面で投げ、メジャーでも投げた海を渡ったアンダースロー。WBCでも活躍し、楽天に入団すると中継ぎとしてチームを支えた。今年はかつてのチームメイト栗山巧に2000本安打を提供。奥様はタレントの立木シュウ。

 

・引地秀一郎
故・星野仙一氏の母校・倉敷商から最期まで取締役副会長として務めた楽天に入団した星野2世。同校から直接入団したのは初。一軍にあがるには成績と飛行機恐怖症の克服が足りなかったか。

 

・菅原秀
合同トレで上原浩治から「この体幹で155キロとか意味わからん、腹立つ」と言われ、体幹を鍛えれば160キロとも言われた未完の大器も、ルーキーイヤーでの初勝利、塩見の先発回避での緊急登板で先発初勝利の通算2勝で終わってしまった。


・池田駿
新潟県出雲崎町初のプロ野球選手。社会人野球でヤマハを初優勝に導きMVPを引っ提げての巨人に入団も3年目に限界を感じ引退を伝えるも球団は慰留。翌年、ウィーラーとのトレードで楽天へ移籍すると新天地で2年ぶりの勝利を挙げた。

 

・佐藤智輝
寒河江市初のプロ野球選手。田中将の歴代2位となる18奪三振の試合を球場で観ていたほどの楽天ファン。菊池雄星と合同自主トレを行うなど飛躍を目指した。石井GMが鶴の一声で獲得を決めた以上、もう少し育ててあげてはどうか。

 

・福森耀真

九州産業大を33年ぶりの春秋連覇に導いた。今年から登場曲を「水仙マンのテーマ」に変更したが、東京から夢半ばで帰郷し、長崎で歌手デビューしたという水仙マン。一軍登板ないままわずか2年で戦力外となったが、水仙マンのようにここから花開くことになるのだろうか。

 

・足立祐一
楽天生え抜き初の背番号44。長年、嶋の陰で二番手捕手としてチームを支えるも、嶋が抜けると太田と正捕手の座を争った。打撃がネックと言われるも、初安打が大谷翔平、初本塁打がマシソンと聞くと凄いのだが。

 

・下妻貴寛
甲子園では震災復興を織り込んだ選手宣誓して話題になった史上13人目の選手宣誓経験のあるプロ野球選手。入団時、星野監督が野村克也の背番号19を検討したほど惚れ込んだ逸材は、一時期故障で育成契約になるも復活を果たした。


・藤田一也
暗黒時代の横浜から楽天に移籍した途端に2年連続ベストナインとゴールデングラブ獲得と開花。楽天の日本一にも貢献し、一億円プレイヤーになり、選手会長にも就任。「プロが選ぶ1/100守備編」でも菊池、今宮に続きランクインした守備の名手。

 

・下水流昴
珍名の多いの広島から三好とのトレードで楽天へ移籍した全国77世帯の珍名選手。青学時代のマネージャーで同級の三田パンにプロでインタビューを受ける…という目標が達成されてない以上、まだ引退する訳にはいかない

 

 

 

福岡ソフトバンクホークス

 

・川原弘之
入団時は140キロ半ばの球速も、倉野コーチの指導で当時日本人左腕最速の158キロを記録。故障で一時は育成契約となるも4年かけて復活を果たし平成最後の支配下登録選手となり、初のお立ち台も経験した。まるでダイジョーブ博士の実験を見てるかのようだ。

 

・渡邉雄大
青山学院大では登板なく、BCリーグ新潟で開花。26歳で育成で入団すると3年目に支配下登録を勝ち取り、三軍、二軍、一軍のすべてで防御率0.00という離れ業を演じるも、肘を故障し支配下から2年で戦力外。日本人2人目のNBA選手とは「、」ひとつ違い。

 

・高谷裕亮
小山北桜高初のプロ野球選手。卒業後、社会人に進むも故障で退職。家事手伝いをしながら一念発起し大学を受験し25歳でプロ入りした異色の経歴の持ち主。白歐大学時代に捕逸が一度もないなど即戦力捕手と期待されるも、実働12年で捕逸16。打率も2割に満たないが、控え捕手としてチームを支え続けた。


・釜元豪
長崎県森山町(現諫早市)と西陵高校初のプロ野球選手。育成4年目にようやく支配下登録を勝ち取ると、3年連続ウエスタン盗塁王。19年には4本塁打に11盗塁と故障者の穴を見事に埋めたが、その後出番が減少。通告前日の試合では猛打賞を放つも、まさかの戦力外。

 

・川島慶三
日ハムに入団も2年目にヤクルトへ、その後ソフトバンクへトレード。背番号変更6度を数え、背番号00も99も背負った永遠のブレイク候補もついに引退。兄は競輪の川島勝。初打点はプロ野球史上初の3投手によるノーヒットノーランの決勝点

 

 ・長谷川勇也

打撃一閃で13年に交流戦史上最高打率でMVPを獲得すると、シーズンを終えて最多安打と、フルイニング出場では史上5人目となる首位打者を獲得した鷹の求道者。シーズン198安打は球団記録。しかしその後は規定打席に立てたのは一度のみ。この実績で毎年レギュラー争いをするホークスの外野層の厚さって…

 

 

 

埼玉西武ライオンズ

・松坂大輔
沢村賞をはじめ数々のタイトルや稲尾と並ぶ3年連続ベストナイン、WBCでは2大会連続MVPなど他を寄せ付けない実績を持つ平成の怪物は、海を渡って活躍するも11年にトミー・ジョン手術以降、往年の球威が戻らなかった。故障さえなければ問題なかったであろう日米通算200勝にも30勝足りないまま平成を代表する大投手も引退。


・小川龍也
母がフィリピン出身ということでWBCにはフィリピン代表入りし、台湾戦では先発登板。中日から金銭で西武に移籍すると10試合連続無失点登板を果たすも、直後にロッテ・福浦の2000本安打を提供。今では立派に龍者として俺達に名を連ねた。

・榎田大樹
球団新人記録の62試合に登板し新人リーグ最多となる30ホールドを記録。西武にトレード後に初の2桁勝利で優勝に貢献するなど、トレード相手の岡本が引退した一方で活躍。バレンティンに日本記録となる56号、アジア記録の57号本塁打を献上したのは語り草。

 

・吉川光夫
ダルビッシュが抜けた穴を埋めて12年には最優秀防御率、最優秀バッテリー、ベストナイン、パリーグMVP等、タイトルを総なめし優勝の原動力となったが、翌年には帳尻を合わせるように最多敗戦。巨人から再トレードで日ハムに戻るも1勝もあげられず、かつてのMVPが異例の金銭トレードで西武へ。即、俺達光者を襲名し西武投手陣の仲間入りを果たした。

・齊藤大将
田嶋の外れ一位で西武に入団し、一年目に初勝利を挙げるもそれが唯一の勝利となった。通算37イニングで7死球という将者として俺達に名を連ねるのに申し分ない成績を残した。故障で復帰に1年以上かかるとの診断も、競艇に同学年で同姓同名の選手がいる以上、わずか4年で戦力外になってる場合じゃない。

・中塚駿太
白鷗大から初のドラフト2位。現役日本人投手最重量の103キロと最速157キロの速球を誇り背番号22を与えられたロマン枠も、制球難でイニング以上の安打と四球を許した上に、「投げるおかわり」の称号も平良にとられてしまった。

 

・粟津凱士
高卒後は野球を辞めて就職予定だったが、大学内定辞退者の穴埋めで東日本国際大に入学すると防御率0.17を記録し同校初、および山本学園高校初のプロ野球選手となった。塩崎のシンカーを教わり飛躍を期すも4月に肘を手術し全治1年以上と診断。

・伊藤翔
高卒1年目ながら独立リーグ・徳島から歴代最高の3位指名で西武に入団。1年目からプロ初勝利を含む3勝を挙げるも、その後は成績が低迷。サッカー選手で、海外も経験した鹿島アントラーズの同姓同名の和製アンリに知名度で勝ちたい、

 

・駒月仁人
学生時代、試合の待ち時間に雑草を食べていたというリアル雑草魂にして塔南高校初のプロ野球選手。プロ入り後、外野手として登録されるも17年に再び捕手で登録。プロ8年目でボテボテの内野安打を全力で走り抜け初安打を記録したが、同じポジションに19年パリーグMVPがいる現状では厳しいか。


・綱島龍生
前身の糸魚川高校からは四十年ぶり、糸魚川白嶺高等学校と改称後、初のプロ野球選手。高校時代に捕手から遊撃手にコンバートし、三拍子揃った選手と期待されるも、先輩の関本四十四には遠く及ばず。今年初昇格を果たすと、登場曲は上越市のHilcrymeの曲をチョイス。

 

 

 

北海道日本ハムファイターズ

・斎藤佑樹
田中将大擁する駒大苫小牧の3連覇を阻止し北海道民の夢を打ち砕いた早実のエースは、100代目主将を務めた早大を経て4球団競合の末に何の因果か北海道の地でエースナンバーを背負い、ルーキーイヤーに6勝を挙げ道民の心を一気に掴んだ。通算15勝と数字の上では物足りないが、北海道への貢献度は計り知れない。


・村田透
大阪府熊取町初のプロ野球選手。ドラ1で入団した巨人を3年で戦力外も、海を渡り5年後にはメジャー昇格を果たし、16年に6年ぶりに日本球界に復帰。古巣巨人からプロ初勝利を挙げた。日本の一軍のマウンドより先にメジャーのマウンドに立った稀有な男がこのまま終わるはずがない。


・田中瑛斗
イチローの父の著書に感銘を受けた父親が、練習時間を生み出すために転職してまで猛練習に励み、更に柳ヶ浦高の監督に元プロの定岡智秋氏が就任した事で大きく成長。プロ入りに際し、父の方針と合わず別居していた母親も応援してくれた以上、まだまだ終われまい。

・長谷川凌汰
福井商では県大会で1イニング登板に留まる控え投手だったが、エースの故障で迎えた甲子園で好投。大学を経てBCリーグ新潟では最速153キロまで急成長し育成で指名。2年目に球団投手初となる支配下を勝ち取るとホールドも記録。


・鶴岡慎也
鹿児島県旧高山町(現肝付町)唯一のプロ野球選手。入団テストを受けた日ハム・ダイエー(当時)に共にFA移籍加入を果たした。FA移籍選手のFA出戻りは史上初。東京時代の日ハムを知る最後の選手となった。北広島の新球場でのプレイを希望していたが、それが叶えば同一球団で3つの本拠地を経験する稀有な選手となったのだが。


・樋口龍之介
独立リーグ新潟から日ハムの育成契約入団で入団すると二軍で無双。日ハムの育成入団で支配下を勝ち取った初めての選手。168cmと小柄ながら打力のあり、和製アルトゥーベとも期待されるも一軍の壁に阻まれた。

 

・今井順之助
地方大会4戦連続本塁打の強打者としてプロ入り。ファームでは2桁本塁打を記録し、元阪急の父・茂の果たせなかった一軍出場を果たしたが、プロわずか2安打。一昨年のファンフェスでは物真似で話題を攫ったあたりこのまま戦力外は惜しい。


・難波侑平
高校野球岡山大会決勝では1-2で迎えた9回1死で難波の投ゴロ併殺で試合終了かと思われたが自打球と判定が覆り、打ち直しの打席で安打。逆転勝利し甲子園出場を果たした。6年連続大吉など強運の持ち主も、プロでは一軍出場を果たせなかった。

 

・谷口雄也
高校通算44本塁打を放ったイチロー2世という呼び名よりも、ファンフェスの女装コンテストではブッチギリで優勝を果たした、球界の剛力彩芽の方で名を馳せた。剛力彩芽がオスカーを退社し個人事務所で活躍する今、日ハムを引退する彼の今後はどのような活躍が見られるのだろうか。