人付き合いを広げる | ダンナが初期のアルコール依存症でした。私は性虐待被害児でした。

ダンナが初期のアルコール依存症でした。私は性虐待被害児でした。

海外在住で、アルコール依存症のダンナをもつ私のブログです
2013年4月 ダンナのアル症に気づく。 14年6月 別居開始。 15年5月 同居再開。 16年10月 死別しました。18年2月 自分が性虐待被害児であることに気がつきました。

ウォーキングのグループに参加しました。

数年前にも友人からどっかのグループに入るよう勧められたけど、その時は心身の準備が整っていなかったです。グループに参加して、聞かれるであろう

「ご主人は何人で、何している人?」「え!亡くなったの、何で!」

「ご家族はみなさんお元気?」「え、絶縁!何で!!」「近親かん!?」

そして続く沈黙や好奇心に満ちた質問、無神経なアドバイスなどに耐えられる気がしなかったです。


今回のクリスマスと年末年始が寂しくて退屈で死にそうだった事を話すと、Eさんに再度ウォーキンググループを勧められ「嫌」より「リスク」と「メリット」を取ろうと思いました。


今週で2回目の参加となりましたが、入って良かったです。そして今年まで待って正解だったと思いました。もっと早くやれば良かった〜とは全然思いません。

なぜなら、みんな仕事内容を聞いてくるし、中には専業主婦を見下す発言もあったので、無職の時期に参加していたら嫌な思いをしたはずだからです。専業主婦をバカにした発言者は1人だけだし、その1人がおかしいだけだと思うけど、無職の罪悪感でピリピリしてる時でなくて良かったです。


去年、夫と死別した人がいて、しんどいよねを共有できました。絶縁で四苦八苦している時は、死別のことも落ち着いて話せなかったと思います。


人付き合いというものを久しぶりに体験しました。私に友達はいるけど、もっと親身で丁寧な付き合いです。ウォーキンググループは浅く広く、運動しながら助け合うので、また違う感じ。こういう感じは久しぶりだわ〜。


ここ10年くらい、アル依→ガン闘病→死別→性虐の記憶→親と絶縁という他人に理解と支援されづらい問題をクリアしてきて、孤独に殻に引きこもって闘い続けてきたから「みんなでワイワイ」はご無沙汰でした。やっとここまできたのね〜と思います。


問題をクリア中は、助けてくれない理解しない人は「いない方がマシ」でした。


問題をやっとオールクリアしたので、理解と支援しない人達に腹が立ちません。困っていないから、どうでもいい感じです。ここまでくるの長かったです。


問題がある時は、支援者や理解者以外に会うと腹立つし、実際邪魔なんです(笑)

退け!わたしゃ今忙しいんじゃ、ヘラヘラしやがって、邪魔!!って感じ。

のんびり世間話するには、問題解決した後さらに気力体力の回復も必要でした。正しいタイミングで参加できたと思います。


それでも無理せず、やり過ぎず、自分ケアをしながら居心地のいい人付き合いを楽しみたいです。

専業主婦を見下しパーソンとは距離を取ります。関わりたくねー。


今読んでる本。

「母という呪縛 娘という牢獄」




読み終えたら感想を書きますが、読むのがめっちゃキツいです。


母殺しをした娘のルポです。

母親を殺して、死体をバラバラにして捨てたのですが(実話。2018年の事件)、殺人方法がキツいのではなく、母親から娘への教育虐待が壮絶過ぎて、読んでてツラい。

フィクションだったら、おそらく母親の罵倒は短くまとめられて読者の負担にならないようにすると思うけど、これ実話ベースのルポなので、母親から娘へのLINEが延々と公開されているんです。


もう本当に酷くて、読むのに時間がかかります。

そう感じるように書かれているんだろうけど、「殺されて当然」って感じです。


私も親を燃やして殺したかったです。妄想で何度も放火しました。実行せずに、絶縁で済ませた私に、親は感謝すべきです。もしかしたら父が寝ている間に鈍器で頭を割っていたかもしれない。


絶縁した全ての元虐待被害児にエールを贈りたい。よく殺さず、真っ当な解決方法を選んだ、と。


この本は読んでいる途中なので、これからどう追い詰められて、殺人までいくのか。読み進めます。


こんな話しはウォーキンググループでシェアしにくいので、ブログに書き記しますw


使い分けです。







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