江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

安房・館山の一泊研修旅行記(Ⅰ)

2023-04-30 | 江戸川区教組
青木繁「海の幸」記念館




青木繁が油絵「海の幸」を描いたのは、小谷(こたに)家であった。

小谷家が青木繁に油絵を描くからといってよくもまぁ、場所を貸してくれたものだと思う。




小谷家に現在ある「海の幸」の絵は複製がある。

本物の常設展示は石橋美術館であるという。













小谷家には、青木繁にまつわる資料がたくさんある。

小谷家の「婿」さんが一生懸命に私たちに青木繁のエピソードを教えてくれる。

27名で記念館に押しかけたから、小さな小谷住宅は一辺に案内できない。

私たち27名の半数を小谷住宅で説明し、後の半数を外のモニュメントの説明にあててもらった。



















 青木繁の油絵「海の幸」は漁師が魚を吊しているところを、実際に見て描いたものではなかった。

もちろんゆかりの浜辺がある。

当時この辺の漁民はサメ漁をしていた。

青木繁は小谷家の畳の部屋の中で、図譜を参考にあの力強い油絵を描いたのだった。




「海の幸」に出てくる漁師がサメを吊した絵は圧巻だ。

その当時の漁村のサメ漁の一端を知ることができた。




地理的に見ると、白浜は勝浦や銚子に近く、これらの漁港には太刀打ちできるほどの漁港の規模ではなかった。

サメ漁で、だんだん遠くに出て行かざるを得なくなった。

漁師たちは無理をした。

サメ漁は衰退していった。

大島の方まで漁に出ていったという。




 小谷博物館には青木繁とその妻の福田たねの写真が置いてある。

それだけではなく、その息子である福田蘭童(映画「笛吹き童子」の作曲者)とその孫のクレージーキャッツの石橋エータローの写真が飾ってあった。

おもしろい「海の幸」記念館だと思った。
















(つづく)



ーY.Kー


※私たち江戸川区教職員組合&同OBG会は、数年前に館山市で合宿をしましたが、
その際に訪れる予定だった「青木繁『海の幸』記念館」は都合により閉鎖期間中で入場できませんでした。
仕方なく隣接する布良崎神社を見学し関連資料を見ただけでした。
そこで、この地を後に見学した友人による手記である『郷土教育全国協議会』のブログをお借りすることにしました。
尚、表題の一部修正を含む転載に当たっては『郷土教育全国協議会』より転載許可を得ています。(管理人)

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