JR発足の頃 鉄道150周年に寄せて 鉄道建設公団廃止? | 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

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福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。

鉄道建設公団といってもピンと来ない方も多いのではないでしょうが。

現在、この組織は JRTT 鉄道・運輸機構 ( 独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構 )と呼ばれる組織であり。元を正せば。

運輸施設整備事業団 と鉄道建設公団が合体した組織でした。

両組織の概要は以下の通りです。

さて、昭和39年に誕生した鉄道建設公団ですが、誕生の経緯を少しだけ簡単に書いてみたいと思います。
鉄道建設公団に関しては、下記のブログにも書かせていただいたのですが、田中角栄の存在が大きかったと言われています。
田中角栄は、新潟にも新幹線を建設しろと十河氏に迫りますが、十河氏の考えでは東海道新幹線は全国には要らない。
建設してもせいぜい、山陽新幹線の九州博多までと言うのが基本的な考え方でした。
さらに、十河氏はローカル線建設派も受からないのであるからとして極力建設しないでおこうという方針を持っていたわけですが、地方の組織を票田とする自民党にしてみれば地方が疲弊するのは避けたいとして鉄道にあっても公共工事の一環として取り組むこととしたと書かれています。
更に、この際に国鉄及び地方自治体にも応分の負担を求めるとしていましたが、実際には地方自治体からの負担というのは見られません。さらに、国鉄にあっては昭和39年度に鉄道建設公団が発足することに鑑み、工事線として着工並びに答申を受けていた路線の全てを鉄道建設公団に渡す形となり、昭和38年度に計上した工事勘定をそのまま出資金として拠出したほか、その後も出資金と言う名目で、国鉄は鉄道建設公団に支払っています。
鉄道建設に特化した組織として誕生
戦前の鉄道省の頃は、鉄道の建設は鉄道省内に設置された委員会で敷設などが議論されたが、国鉄が運輸省から分離する際、運輸省
には鉄道建設審議会が残り、国鉄に対して新線建設の指示を出してきたわけです。
しかし、独立採算制を建前とする国鉄にしてみれば、建設しても赤字になる路線を建設することは経営上も好ましくないこともあり、十河総裁の時代には思い切って新線建設の費用を圧縮してきたのでした。

そのあたりの事情は、国鉄の部内紙交通技術 1964年5月号 建設線あれこれ公団誕生の背景に詳しいので、引用してみたいと思う。

 

 公団誕生の背景
自民党の高度成長政策は、都市と農村の所得格差をもたらし、人口の郡市集中を生んだ。しかし自民党の基盤は農村にあるため、これが対策は誠に頭の痛いことである。ただ交通の便利を与えることになり、このような格差是正はかなり救われるし、かつ工事そのものが、職を与えるといった考えが、建設線の基本的な考え方である。この点、 世は道路時代ではあるが、わが国特有の山岳地形と雪国の多いことから、鉄道に対する希望は依然として強く、鉄道の使命を改めて見直さんとする動きが自民党交通部会を中心として起っていた。これに対し、国鉄は運賃値上げの道具として建設線を徹底的に圧迫して、これのリアクションが運賃値上げ後表面化し、忠実に建設総の義務を履行せざるを得なくなったのである。
しかし国鉄の従来の経緯からして 、 国鉄はこれ以上踏込んでやることができなかったのは事実であり、これがため昭和37年5月、鉄道建設審議会において政府の公共投資とすべきことを勧告し、別組織をもって建設することが議決された( 別表参照)。これの主たる原動力となったのは現大蔵大臣の田中角栄氏で、当時政調会長であった。その後第 2 次池田内閣で田中氏は大蔵大臣となった関係上、財政的に反対すべき理由を失ったのである。この間運輸大臣は斎藤昇氏から綾部健太郎氏にパトンタッチされた。

参考:別紙:鉄道建設公団の建議

 

再建計画で鉄道路線の新規建設がストップ

鉄道建設公団は、鉄道敷設法に基づき、運輸審議会が答申する路線を建設する組織として誕生したわけで、国鉄は完全にその権限を奪われてしまう形となります。

国鉄は輸送量が見込めるCD線(大都市交通線・幹線)に冠しては有償譲渡ですので、国鉄はその建設費用の償還を鉄道建設公団に対して行う必要があり、更には最終的には国鉄の所有となるので、地方納付金の対象とされていました。

その反面、無償譲渡のAB線の場合は、貸与という形となるため地方納付金の発生はないものの、その運用は国鉄が行わなくてはならず、その路線で発生するであろう赤字は国鉄が負担することとなっていました。

結果的に、国鉄としては新線(特にローカル線)が開業する度に、その赤字が増大すると言う結果となり、国鉄の経営を更に悪化させる結果となるのでした。

そこで、鉄道建設公団をどうするかと言うことが真剣に議論されるようになりました。

その辺はもう少し資料を探してみることとしますが。
当初は、青函トンネルを除く全ての建設中の路線が中止されたことから、廃止しても良いのではないかという意見も出されたのでした。

結果的には、三陸鉄道の例(鈴木善幸が首相であったことから、実現したとも言えるわけですが)から、地元がその建設を求めて開業させる場合に限りその工事を再開できるとして、智頭急行や北近畿タンゴ鉄道(運営はウイラートレインズ)ほくほく鉄道などが開業することとなり、鉄道建設公団は生き残ることとなります。

さらに、国鉄が建設主体となっていた、東北新幹線盛岡以北、及び九州新幹線、鹿児島ルート、長崎ルートに冠しては、鉄道建設公団が引き継げるように法律案が改正されています。

 

旅客鉄道株式会社が建設主体とされている新幹線鉄道の建設に関する事業の日本鉄道建設公団への引継ぎに関する法律(昭和62年法律第104号)

 
こうして、着々と気がつけば、一時期は青函トンネル完成で解散と言われた鉄道建設公団は、地方自治体が引き受ける場合に限ってその建設を請け負うという形で生き残ってからは、新幹線の建設主体である旅客鉄道から新幹線の建設主体を譲渡して貰うなどして生き残りを図る事となりました。
さらには、清算事業団の業務も引き継ぐなどしてその業務を拡張、JRTT 鉄道・運輸機構として現在もJR並びに在来ローカル線などを助成する組織として君臨していることになります。
 
次回はもう少し、国会議事録なども探してみたいと思います。

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日本国有鉄道研究家・国鉄があった時代

 

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