おっさんの恋 | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 (一)

 失恋の痛手は、誰しも一度や二度は経験があるだろう。ほろ苦い失恋の思い出は、むしろ青春の勲章であり、私自身もそんな勲章をいくつも胸にぶら下げている。軍隊の階級でいけば、相当上のクラスに属するかもしれない。

 この(二〇一三年)秋、私は恋愛をし、続けて失恋をした。「続けて……」と言うのは、恋をしてから失恋するまでの一連の動作が、わずか二週間だったからだ。朝、目にした朝顔が、夕方には萎(しぼ)んでいたように、芽生えたと思った恋が、次の瞬間失恋に変わっていた。

 女性に会ったのは、たった二度だけ。出会いも別れも電撃的で、思い返せば走馬灯どころか、まるで新幹線の車窓から飛び去る風景を眺めたような、目にも止まらぬ瞬時の出来事だった。五十三歳のことである。

 私は平成二十二年(二〇一〇)に妻と離婚している。二十一年連れ添った妻が、別の男のもとに走ってしまった。長年精神を病んでいた妻は、同じ病気を共有する入退院を繰り返していた仲間の男性を選んだのだ。理性を失った妻は、何を言っても聞く耳を持たなかった。

 妻が出ていった一年後、私は転勤で東京を離れ北海道へ戻ってきた。それまで生活を共にしていた大学生のひとり娘は、東京に残した。娘のアパートを捜し転居させた後、自分自身の引越しの準備をしていた私に、娘が涙ながらに訴えた。

「再婚はしないで欲しい。私の実家はチチ自身なの。私のふるさともチチなの。だから、私の居場所をなくさないで」そんな内容だった。そのときは私自身も、もう結婚はこりごり、再婚などありえないと思っていた。

 だが、突然目の前に現れた女性に、そんなことが吹き飛んでしまった。この人なら大丈夫、娘とも上手くやっていけると思った。女性のことをまだ何もわかっていないのに。それは私の「勘」だった。単なる勘ではあるが、確信するものがあった。妻と別れてから三年半、娘も二十四歳になっていた。

 

 札幌で小さなイタリアンレストランを開いている幼なじみのさとみから、

「ケンちゃん、紹介したい友達、いるんだけど。四十五歳で子供が二人。下は二十歳少し前だと思う。今度、一緒に飲もうよ。それまで、オ・ト・コ、磨いといてネ」

 さとみらしいメールだった。彼女を通じて知り合った飲み友達は、これまでに何人かいた。だが今までの誘いとは、少しニュアンスが違っていた。

 さとみとは幼稚園から中学まで一緒で、中学では私が野球部、彼女はマネージャーだった。さとみのダンナも同級生で、彼は柔道部。それが今ではイタリア仕込みの本格的な「シェフ」である。黙っていればそれなりに格好いいのだが、話をするとふるさと北海道・様似(さまに)の浜言葉丸出しの田舎のオッサンになる。そんな田舎者夫婦が、お洒落なレストランをやっている。「マーノ・エ・マーノ」(「手と手」)といい、隠れたファンを数多く持っている。

 そのマーノ・エ・マーノで、女性に会った。

「シバタ、こちら、ケンちゃん。そして、こっちがシバタでーす。あとはよろしくネ」

 そう言ってさとみは厨房に消えた。(オイオイ、それだけかよ。いきなりツーショットはないだろう)と思った。この日は、小さな団体の予約が入っていた。私たちはカウンターに並んで座った。少しの緊張はあったが、ぎこちなさはなかった。以前からの知り合いのように、スムーズに会話が進んだ。少なくとも私にはそう感じられた。

 色白で、清楚で、笑顔が素敵で、笑ったときの目がとても優しくて、輝いていて、明るくて……。とびっきりの美人ではないが、きれいな人、心地いい感触を秘めた人だなと思った。彼女は、私との出会い頭の刹那(せつな)に、どんな印象を持っただろうか。

(なんでもっと早く、この人を紹介してくれなかったんだよ)という気持ちを抑えながら、私はときめき始めていた。

 この人ならイケる。だから、この人との出会いを大切にしなければ。少年のようなはやる気持ちを抑えて、彼女とのひと時を過ごした。この一週間後、また同じ場所で彼女に会った。そして場所を変え、夜中までカラオケで騒いだ。この日はさとみのほかにもう一人別の女性も加わった。彼女ら三人は若いころの職場仲間だった。

 ふだんカラオケなどやらない私が、飲んで歌って時間を忘れた。隣に彼女がおり、歌いながらテーブルの下で彼女の手を握りしめていた。ときおり彼女が握り返してくる。その力が心地よい。私は有頂天になる気持ちを抑えつつ、すっかり忘れていたこの種の「幸せ」という感覚に酔っていた。夜は瞬く間に更けていった。

 

 

 (二)

 初めて彼女に会った日の翌日から、私たちはメールのやり取りを始めた。携帯電話の操作が苦手だというと、彼女は自分の電話番号とメールアドレスを私の携帯に登録してくれた。仕事から帰って、真っ先に彼女にメールをする。彼女から先にメールが届く日もあった。彼女に出会ってから、生きることが楽しくなっていた。私の中に小さな灯りがともり、私はその灯火を大切に育もうと決心していた。決して逃してはいけない幸せだ、と思っていた。

 だが、毎日、何度もメールするのは彼女の苦痛の種になりはしないか、そんな危惧も心の片隅にあった。でも、彼女と繋がりたい。繋がっていたい。二度目に会う前夜、

「毎日メールして、しつこいと嫌われたら困るので、今日はメールしませんから」

 とメールすると。「(笑)してるし☆」と即座に返ってきた。それだけで私は、ほんのりとした心地よい温もりに包まれていた。

 

 二度目に会った翌日、一緒に撮った写真を送ろうと、彼女にメールをした。

「ユリさん、昨日の写真、とてもよく撮れていたのでプリントしました。ボクの机の前で、ユリさんが笑っています。住所、教えてもらえるとありがたいです。ストーカーのようなことは決してしません。大丈夫です。って、みんな言うよね。ムリしなくていいけど。明日から一泊で釧路へいきます。出張です」

 このメールに、返信がなかった。どうしたのだろうか。どうして何とも言ってこないのだろう。何かあったか、と心配になり始めた。数日前に一度だけ、彼女に電話していた。だが、今回電話することは、ルール違反のような気がした。彼女の中で何かがあったはずだ。一体、何が……。逡巡(しゅんじゅん)した末、思い切ってメールをした。これで反応がなかったら、ダメだということだ。そんなことを考えながらメールをした。彼女からのメールが途切れて三日経っていた。

「おーい、元気かい。夕方、釧路から戻ってきました。帰り、快調に飛ばしていた電車が、トマムを過ぎていきなり急停車しました。ものすごく高い鉄橋の上で。眼下は深い谷底です。何が起こった? 一瞬、TVでよく目にする、乗客が線路をトボトボ歩く光景が頭をよぎりました。ここ数か月、JR北海道、何かとトラブルが多いよね。車内がざわめき始めました。するとアナウンスがあり、『ただいまこの電車がシカと接触したために急停車をいたしました。これからシカの撤去作業を行いますので、しばらくお待ちください』と。ほどなく軍手を手にした車掌が、足早に通り過ぎていきました。電車は三十分遅れで札幌に着きました。てな感じです」

 だが、反応はなかった。「(ムリです)ゴメンなさい」のひとことでいい、何かサインが欲しかった。ダメならダメでいい。すぐには諦めがつかないだろう。けれど、それが区切りになる。私は、悶々(もんもん)とした日々を過ごした。何度も「ウソだろ」、とつぶやいている自分がいる。何かの間違いであって欲しい。「連絡くれよ、ユリ……」、机の前に置いた彼女の写真に語りかける。

 音信が途絶えて五日目。私は意を決し、再びメールを打った。「さよならメール」である。潔(いさぎよ)く身を退こうと考えた。彼女の方からさよならが言えないのだから、私から言えば彼女の気持ちも楽になるだろう。おそらく彼女は、私に対して申し訳ないという思いを抱きながら、やりきれない日々を過ごしているはずだ。彼女はそういう不器用な女性に違いない。いろいろ考え、たどり着いた私の結論である。

 もしかしたら、私からの最後のメールで、彼女の気持ちが動いてくれるかもしれない、そんな一縷(いちる)の望みをメールに託した。

 

「どうやら、ダメみたいですね。

 ユリさんとは、たった二度会っただけ。でも、楽しかった……、時間を忘れるほど。この人となら、きっと上手くやっていける、そんな予感を勝手に覚え、少年のように夢中になってしまいました。

 ユリさん、あなたに会ってから、色を失っていたボクの日常がにわかに色付き、バラ色に変わりました。こんなウキウキした気持ち、独身時代以来のことです。人を好きになるっていいことだなと思いました。だから、とても名残惜しく、残念です。夢中になり過ぎちゃって、ゴメンなさい。

 ユリさん、あなたとの出会いは夢のような出来事でした。幸せな大事件でした。だから、気持ちの整理に少し時間がかかるかもしれません。机に飾った写真、片付けなきゃね。

 ああ、あなたを失いたくない。もし、またボクのことを思い出してメールしたくなったら、お願いします。……そんなの、ないか。

 楽しかった。ありがとう」

 

 

 (三)

 私は長年のサラリーマン生活の中で、数多くのオッサンに接してきた。そんな中で、こういうオッサンにだけはなりたくない、という「なりたくないオッサン像」をもっている。それは「理想像」とは真逆なものである。

 私が考える最悪なオッサンは、「チビ、デブ、ハゲ、スケベ、ケチ」の五つの要素をフル装備したオッサンだ。これに、歯周病の口臭とタバコの臭い、酒臭さと飲みながら食べた餃子のニンニク臭が加われば、もはや天下無敵、怖いものなしである。だが、そんな「像」に少しずつ近づきつつある自分を感じている。

 私はチビだが太ってはいない。にぶってきた代謝をジョギングで解消している、といえば聞こえはいいが、酔っ払いの食い逃げのようなヨレヨレの走りである。頭は病気の犬のような中途半端な汚いハゲだが、それを隠そうとはせず、正々堂々とハゲている。だが、その頭蓋骨の中で考えていることは、かなりスケベなことである。金もないのに大盤振る舞いをすることがあり、ケチではないが、お金の使い方が上手とは言えない。これが自身の評価である。自分には、けっこう甘い方だ。

 

 私の渾身(こんしん)のさよならメールに、彼女は沈黙を守り通した。

 結果、私の心に穴が開いた。それは取り返しのつかないような大きな穴で、じっとしていると、その闇の中へ引き込まれていく。二十代の前半、大きな失恋をした時に味わった、あの感覚が甦(よみがえ)る。まさかこの歳で、失恋の痛手を経験するとは……。そんな自分が滑稽(こっけい)で、苦笑する。

 何とか気持ちを紛らわそうと、思いつきで映画を観にいった。映画なんて何年ぶりのことか。特に観たいものもなく、たまたま「おしん」が上映されていた。何でもよかった。真夏の汗を拭ったように、ハンカチが涙でびしょ濡れになった。おしんが健気だった。

 だが、映画館を出ると、ふたたび暗闇に引き込まれる感覚に襲われた。仕方なくその足でサウナへいった。垢(あか)すりで、リフレッシュをと考えた。床屋へもいった。一人で飲むことのない私が、近所のスナックへ足を運んだ。だが、何をやってもダメだった。ひとりになると、真っ暗な深みに引き込まれていく。それは耐え難い苦痛で、じっとしてはいられなかった。

 風邪をひいた場合なら、それなりの対処療法をいくつか心得ている。毒には毒をもって制する式に、恋愛には恋愛を、とはいかない。迎え酒とはわけが違う。そんな気分には、到底なれない。最も失いたくないものを、なくしてしまった。その喪失感は、見た目以上に大きかった。

 そんな私の失恋の顛末(てんまつ)を、後日、さとみへ伝えた。いつまでもだまっているわけにはいかなかった。もう一人の友達にも伝わった。二人とも予想以上に驚いた。

「二人はお似合いだと思い、楽しく過ごしてくれているものとばかり、勝手に想像していました」

 手を握ったのがいけなかったか。調子に乗って彼女の肩に手を回したのがダメだったのか。彼女の理想像は、もっと若くてカッコいい男だったか。私のどこがいけなかったのだろう……。彼女のことはキッパリと諦めようと自分に言い聞かせるのだが、ついついそんなことを考えてしまう。

 私はこの二人を通じて、彼女の本心を訊いてくれ、ということもできた。だが、それはしなかった。二人は彼女と出会うきっかけを作ってくれ、楽しい場を提供してくれた。それ以降のことは、私と彼女の問題だ。そう考えた。というとカッコいいが、本当は訊くのが怖い、それが私の本音だったのかもしれない。

 彼女が沈黙しているのは、私を傷つけまいとする彼女の優しさにほかならない。彼女のそんな優しさに、私は感謝しなければならない。

(それにしても、ひどいよ、ユリ……。ボクは、失くしたくなかった。あなたのことを)

 私の中で二つの気持ちがせめぎあう。

 そんな私の胸のうちを察するかのように、二人からメールがくる。

「でも、人を好きになる心の素晴らしさ、ケンちゃん素敵だよ。片想いもいんでないかい」

「どこがいけなかったのだろう、そんなことを考えちゃダメ。出逢えたことで忘れていた恋心を持てたでしょう。これが恋愛だと実感できたことに感謝です」

 

 マーノ・エ・マーノのカウンターに座って、ポツンと飲んでいる私に、

「シェフ、お店、お願い。ケンちゃん、カラオケいくよ」

 さとみに連れ出され、近所のカラオケ店へいった。二人で歌うこと四時間。まるで居残りのグランドで、千本ノックのシゴキを受けた後のようにフラフラになって店を出た。

「しっかりしろ、コンドウ・ケン! 人類の半分は女だぞ! 次だ、次! くよくよするな、ファイト!」

 マネージャーは健在だった。

(でも、ボクに適合するドナー〈女性〉は、そう簡単には現れないよ……)

 失ったものは大きかった。だからもう少しの間、往生際の悪い男でいさせてください。そしたら……。

 

 追記

 ゆりはその後、二人の友達からのメールにも反応しなくなってしまったという。

 

  2013年12月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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