六十歳の坂道 | こんけんどうのエッセイ

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  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 今年(二〇一九)、同級生の大半が還暦を迎える。私は早生まれなので年を越してからだが、大差はない。みな、それぞれに感慨があるようで、さかんに「還暦」という言葉を耳にする。

 私たちが幼いころ、還暦といえばとんでもない年寄りだった。赤いチャンチャンコに赤い頭巾を被らされ、座布団にこぢんまりと座って孫たちに囲まれ写真に納まっている、そんなお祝いの画像が目に浮かぶ。そのころの六十歳の人たちは、全員が明治生まれだった。ちなみに私が生まれる五年前、昭和三十年(一九五五)の男性の平均寿命は六十三歳で、女性は六十七歳である。当時の六十歳は、今でいえば八十五歳くらいだろうか。

 私が幼いころ、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が「三種の神器」といわれた。もちろん、パソコンも電卓もない時代である。自宅に電話がある家も稀だった。五十年ちょっとでこれほど景色が変わるものなのかと、隔世の感に驚きを禁じ得ない。

 むかしと比べ、今の六十歳は若くみえる。だが、六十歳はやはり六十歳なのである。老眼が進み、年々忘却力が漲(みなぎ)ってくる。男たちは頭が禿げ上がり、女は化粧を落とすと顔認証が危ぶまれるほど別人と化す。個人差はあるが、そう遠くない将来に、みな枯れてしまう。

「ねえ、〇〇クン、亡くなったんだってよ」

「えッ……」

「ガンだったみたい」

 すでに何人もの友達がポロポロと欠け落ちている。死んだヤツらは一体どこへいったんだ? 素朴な疑問が頭をかすめる。北海道の小さな漁師町で育ったがゆえ、たいがいの者たちは幼稚園から高校までを一緒に過ごしている。つまり我々はエスカレーター式の一貫教育を受けてきた。それだけに何十年会っていなくても、深いところで繋がっている。

 そんな私も昨年の秋、前立腺がんの疑いをかけられた。いきなり目の前に人生の期限をチラつかせられ、ギョッとした。ある日突然、招待状が届く、そんな〝お年頃〟になってしまったのだ。カツオの一本釣りよろしく、選ばれた人から順次昇って逝くのだろう。話が八十過ぎの年寄り調になってきたので、話頭を変える。

 私が北海道に戻ってきたのは二〇一一年の三月であるから、もう八年前のことになる。三十二年ぶりの北海道生活の再開である。幼なじみ夫婦が札幌でイタリアンレストランを営んでおり、久しぶりの対面となった。店に入って、

「おっ! アツホ、さとみ、久しぶりだな!」

 と声をかけたのだが、二人ともまじまじと私を見つめて怪訝(けげん)な顔をしている。ややあって、

「あの……、失礼ですが、どちら様でしょうか?」

 申し訳ないという真顔で訊かれた。古いなじみ客とでも思ったようだ。

「オレだよ、オレ! ……」

 二人は穴が開くほど私の顔を見ていたが、とうとう私のことがわからなかった。やむなく名を明かすと、二人とも叫び声をあげて飛びついてきた。昨年、数人の同級生がこの店に集まった。そのときも、誰一人として私のことがわからなかった。

「えっ? 誰だっけ?」

 互いに顔を見合わせ、首をひねっている。私の変貌ぶりは、並大抵ではないようだ。単に頭髪が失せただけではなく、星霜を経て彫琢された私の風貌は、まるで別人の趣になってしまったのだ。簡単にいえば、激しい経年劣化である。

 私は四十代の後半あたりから、実年齢より十歳ほど老けて見られるのが常態になっている。元来私は消化器系が弱いので、耐用年数の経過した水道管よろしく、内側の老朽化が表面に出てきているのだろうと、勝手に了解している。

 このような私だが、五十六歳の秋に縁あって一人の女性と出会った。幼なじみのさとみから紹介されたのだ。えみ子は二歳下で、お互い一度はパートナーを持ったことがあり、それぞれに娘もいる。私には孫も。そんな私たちが、一緒に歩み始めて三年になる。歩んできた道程も、趣味も好みもまったく異なる二人だが、妙にウマが合う。なにより一緒にいて心地がいい。これからの人生を共に歩んでいこうと決めている。

 早く結婚しろよ、という声が聞こえる。それを誰よりも切実に受け止めているのは、私たちである。若いころのように「好きだ、結婚しよう!」という単純な図式が成立しない。大人の事情というのがある。一緒に暮らすタイミングは、もう少し先のことになるだろう。

 なにせ、こちらは定年退職が目前である。ゴールのテープが、すでに手のとどくところにある。零細企業に身を寄せる者には、豊かな老後など待ってはいない。仕事を続けながら、質素に慎ましく生きていかねばならない。だが、あまりモタモタもしていられない。握った指の間からどんどん砂が零(こぼ)れ落ちていく。手持ちの時間が刻々とすり抜けていくのだ。

 自分が年寄りになることは、うすうす気がついていた。だが、こんなに早く五十代が終わるとは想像もしていなかった。三十代になり、もう若くはないと中年を意識しつつ四十代を迎えた。四十代から五十代、そして六十代と、倍、倍の体感速度で過ぎ去っていった。六十歳を超えたら、その加速はもう手に負えないのだという。

 年齢を重ねるごとに、坂道がきつくなってくる。上り坂の頂点に達したのはいつだったか。五十歳以降は、すでに下り坂だった。六十歳の坂道を二人で楽しく転げ落ちていければと思っている。

 やっぱり、話が年寄りじみてきた。

 

  2019年8月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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