ラベンダーの季節に思うこと | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 ここ数年、夏になると決まって富良野へいっている。えみ子がラベンダー畑を見にいきたいというので、ドライブがてら出かけるのだ。彼女は私と出かけた後、間を置かずに娘たちとも出かけている。札幌―富良野間は一二〇キロの道程、ドライブにはほどよい距離である。

 観光客に紛れてラベンダー畑の中で写真を撮る。丘陵一面のラベンダーは壮観である。テレビドラマ「北の国から」で、純と蛍が走り回っていた畑だ。どこまでも続く紫の絨毯(じゅうたん)、すべてがラベンダーの香りの中にある。えみ子がきたくなる気持ちもわかる。ましてや、本州からの観光客にとっては、夢のような光景に違いない。目の前に旅行パンフレットと同じ風景が広がっているのだから。しかもその中に自分がいる。コロナ前までは、日本人よりもアジア人観光客が圧倒していた。

 見慣れた光景ではあるが、どこまでも続く大地は圧巻だ。この地を切り拓(ひら)いた先人に思いを馳(は)せる。並大抵の苦労ではなかっただろう。だが、あまりのスケールの大きさに想像が追いつかない。遠くに広がる畑とも相まって、見渡す限りパッチワークのような鮮やかな色彩が広がり、現実離れしたバーチャルな風景と映る。もはや畑ではなく、芸術作品を眺めている気分になる。

 皆と同じように、私も胸いっぱいにラベンダーの香りを吸い込んでみる。身体の中も外も香りに包まれる。吹く風もラベンダーだ。いい香りなのだが……。

 ラベンダー畑に立つと、決まって別の思いが頭を擡(もた)げ出す。その思いが、あっという間に私を凌駕(りょうが)してしまうのだ。それは、「なんだか、便所の匂いを嗅(か)いでいるみたいだな」というものでる。公衆便所で深呼吸をしている自分を想像してしまう。トイレの芳香剤や消臭剤が頭をよぎるのだ。

 売店には、ラベンダーの枕まで置いてある。安眠が謳(うた)いなのだろうが、「こんな枕を使ったら、便所の中で寝ている気分だな」と思うのだ。富良野観光協会にケンカを売っているわけではない。私の思考回路が、どうしてもそちらへいってしまう。えみ子は、「おかしいんじゃないの」という顔を向ける。確かに、私はズレているのかもしれない。いったんそう思ってしまうと、頭にこびりついてしまい、もうダメなのだ。

 実は、金木犀(きんもくせい)でも同じような経験がある。東京で暮らしていたころのこと。燃えるような熱暑が去った秋の入り口の季節、住宅街を歩いていると、どこからともなく金木犀の甘い香りが漂ってくる。オレンジ色の小さな花の散らばりを足下に見つけ、ふと仰ぎ見ると金木犀の花が咲いている。金木犀とはそんな控え目な花である。小さな花々は、夜空に輝く満天の星ようにも見える。香りによって開花に気づかされる花である。ああ、夏が終わったのだな、という思いにさせられる。初めてこの金木犀の香りに出会ったとき、「どこかの家の便所の窓が開いているのか?」そう思ったのだった。

 私は、匂いに限らず、何かにつけて普通の人との感覚にズレがある。「オレは普通とはちょっと違う」「皆と同じではない」そんな思いを長年、抱き続けてきた。若いころは、それが気になっていた。人一倍、孤立を恐れていた。

 どうしてそうなのかはわからない。これまで六十年以上を生きてきて、自分に似た人に出会ったことがない。不思議なことだ。多くの人たちと私の違いは、私が左利きだということぐらいだ。左利きは全人口の一割ほどだという。だが、私のような左利きを見たことはないので、‶左〟で括ってしまうのは乱暴すぎる。

 ちなみに、私は見取り図などを書いていて、鏡に映したように正反対の図を書いてしまうことがある。言われて初めてそれに気がつく。かなり意識していないと、そうなってしまうのだ。しかも私は、人並外れた方向音痴でもある。札幌に暮らして十年になるが、まるで道が覚えられない。

「えっ? どこへいくの?」

 そう言われて、慌てるのである。どこがどこなのかサッパリわからない。最初のころは「覚える気、ないんじゃない」と言っていたえみ子も、今ではカーナビよろしく教えてくれるようになった。

 加えて私は、車の運転がダメなのだ。「オマエは、稀にみる運転不適格者だ。やがて免許は取れるが、車には乗らない方がいい」運転適性の結果を見た教習所の教官に言われた。

 私は車線変更ができないのだ。だいたい、免許を取った田舎には二車線の道路などなかった。信号機すらろくにないところである。周りが牧場なのだ。だから、車線変更をする際は、あらかじめ数キロ先から車線を変えておく。これまでに、どれほどの数のクラクションを鳴らされてきたことか。札幌市民の寛容な心に支えらえながら、ハンドルを握っている。東京では一切、運転をしてこなかった。

 これらが左利きと関係しているのか、となると大いに疑問である。私の脳の中では他の人とは違った変換が行われ、そのせいで空間処理がおかしくなっているのだ。とりあえずそのように理解し、強引に納得している。

 北海道の冬は長くて厳しい。寒い夜はナベが手っ取り早く、温まっておいしい。ナベには、たっぷりと春菊を入れる。春菊の独特な香りが好きなのだ。でも、食べながらいつも思う。「なんだか、茹でた蚊取り線香を食っているみたいだな」と。そんな話を友達にすると、

「うちの主人、春菊は葬式臭いと言って食べてくれないのよ」という。同類の匂いを感じ、嬉しくなった。

 今年もまた、ラベンダーの季節がやってくる。

 

  2023年4月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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