自分というのは、誰よりも身近な存在である。当たり前だが、自分のことを最もよく知っているのは、自分自身だ。自分が自分だから。だが、そんな自分が、自分のことをうまく描けない。書いても、書いても表現しきれない自分がいる。本当は、自分のことをよく知らないのではないのか。わかっているようで、理解できていない、それが原因ではないか。そんな思いが頭をよぎる。
いや、一概にはそうとも言えない。自分を描こうとすると、それを抑制しようとする力の存在を感じる。磁石のプラスとプラスの反発のような、もう一人の自分がそれをかわそうとする。自分を正当化し、よく見せようとするのだ。「自分のみっともない生き様を包み隠さずさらけ出せ、なにをカッコつけているんだ」そんな叫びとのせめぎ合いが始まる。
いやいや、それも少し違う。そんな格好のいいことではない。ただ単に、表現力が欠如していて、満足のいく文章が書けないだけだ。それが最大の原因だろう。「説明するな、描写しろ」そんな言葉が降ってくる。わかってはいるのだが、言葉が出てこない。それが正直なところだ。出口の見えない自問自答が続く。
私は四十歳を機にサラリーマン生活の傍らエッセイを書き出した。今年で二十三年になる。二〇一四年からは、所属同人誌でエッセイの添削指導を行っている。これまでに五七〇本ほどの作品の添削を行ってきた。会員さんの作品原稿が東京の事務局を経由して、札幌の私のところに送られてくる。朱筆を入れながら、実にもっともらしいコメントを書く。
「……説明するのではなく、描写してください。映像が見えるように場面を写し取るのです」
へたをすると傲慢(ごうまん)ともとられかねない。
「……どんなに美しい花でも、美味しい料理でも、いくら美しい、美味しいと連呼しても、その美しさや美味しさはちっとも伝わりません。美しい、美味しいという言葉を使わないで、いかに美しいか、美味しいかを描写するのです」
これまでに私は、愛している、好きだよという言葉を使わないで、恋焦がれる思いを表現してきただろうか……。
「一から十まで細かに書いてはいけません。省略によって読者は想像を働かせることになります。行間から滲み出てくるものを読者に読み取ってもらうのです」
「題材に選んでいただきたいものは、人生の葛藤です。生きにくい、思うようにならない人生の中で、真剣に生きる姿を描く。大真面目に描けば描くほど、それが滑稽(こっけい)に見えて笑いの中でいつしか涙が滲(にじ)んでくる、そんな作品になるものです」
どこかで聞いたようなことを、よくもまあ、のうのうと書けるものだ。誰かの受け売りではないのか。オノレを省(かえり)みてみろ。読者の琴線に触れるような作品が、どれだけ書けているか。まったく呆(あき)れてモノがいえない。
「八十歳になられたのですか。素晴らしい! 私なぞ、その年齢まで生きていられるだろうか……。ましてやモノを書き続けるなんて……。八十代の境地からでなければ見えない景色があるはずです。何気ない日常生活を切り取って、書き継いでいってください。そして私たちにその景色を見せてください。ますますのご健筆を祈念しております」
私の所属している同人誌も、ご多分に漏れず高齢の会員さんが多い。中には、老人施設に入所していて、そこから添削原稿を送ってくる人もいる。かつては、夫婦で入居していた人もいた。
ニ十歳以上もの目上の方に対し、無礼千万な物言いであることは百も承知である。しかも相手は、かつて教職にあったり、高名な大学の先生やお医者さんだったりする。ネットで本名を検索して、ギョッとする。私のような若輩者に偉そうに教示されるのを、どのような気持ちで受け止めているだろう。
だが、私も立場上、書かざるを得ない。因果な役割を引き受けたものである。大きなため息をつきながら、毎回、真剣勝負だという気持ちで原稿と対峙(たいじ)し、朱筆を入れている。一つだけ自分に言い聞かせていることがある。それは、歯の浮くような美辞麗句を述べないということだ。思ってもいないことは、口にしない。過剰に褒めてしまうと、書いている端(はな)からウソになる。そんなものは、簡単に見破られる。
ウソは書かない。いい部分、優れた箇所を見つけ出し、そこを広げてやる。真剣勝負で向かってくる原稿には、それなりの殺気、迫力がある。書くという孤独な作業の中から生み出された作品には、一種異様な怖さがある。読む前からそんな雰囲気を漂わせる原稿を目にすることがある。背筋がスーッと伸びる。
自問自答の中で溺れていては何もできない。まずは自分を棚に上げることだ。鈍感力を高めなければ、とてもじゃないがやっていられない。
2023年5月 初出 近藤 健(こんけんどう)
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