川名晋史「在日米軍基地」 | 世界文学登攀行

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世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

在日米軍基地
――米軍と国連軍、「2つの顔」の80年史

正直な話、直前に読んだ本が「冷戦史」だったので、グローバルな歴史を見た後に、あえて日米というローカルな、しかも基地に特定した話を読むのは気乗りがしなかった。
しかし、本を開いて数ページでいかに自分が浅はかであったかを知る。

本書のテーマはタイトルの通り、日本にある米軍基地の話である。
しかし、これは案外単純な話ではない。
種を明かせば、サブタイトルにある通りなのだが、日本にいる米軍は2つの顔を持っている。
それは、在日米軍という米軍と、国連軍としての米軍である。

僕らがよく耳にするのは、日米安保条約だと思う。
これは、日本とアメリカの条約に他ならないから、在日米軍を規定する条約である。
だが、日本は、1951年のサンフランシスコ平和条約の締結時に吉田・アチソン交換公文を交わし、国連軍地位協定を締結している。
これは、日本と「統一指令部として行動するアメリカ合衆国政府」との条約である。
つまりは、国連軍の旗を掲げたアメリカとの条約に他ならない。

アメリカは、在日米軍と、在日国連軍の顔を使い分けながら、日本国内で行動する。
在日米軍といっても、在日国連軍といっても、むろん同一のプレイヤーである。
サンフランシスコ平和条約締結時に、朝鮮戦争が勃発していたこと、アメリカは日本に基地を置いておくことに利益を見出していること、日本にとっても国防の観点からはアメリカ軍が日本に常駐する方が望ましいこと、戦争放棄の憲法を掲げる中で、国内世論、野党の追及を回避するために、表向きの外交交渉とは別次元のアメリカとの対外交渉が必要だったこと。などなど、アメリカも日本も国益というそれぞれの思惑があり、両者の利益を追求した結果、在日米軍と在日国連軍とそれぞれ系統のことなる条約を駆使して、日米関係を築いてきたということは、全く知らなかった。
戦後の日本の歴史について、自分がこんなにも無知な領域があったなんてと驚くと同時に、興味深く読んだ。

ちなみにここで「国連軍」と書いているが、実際には、常任理事国による安保理決議を経ていないため、正規の国連軍ではないそうだ。
ここでの「国連軍」とは、国連旗の使用が許された米国の有志連合軍のことである。

政治的なニュースで印象に残っている、鳩山首相による普天間基地の「県外移設」の公約と、その断念による退陣がある。
著者推論だが、という前提を置いて次のように言っている。
「鳩山は最後の最後まで、国連軍の問題については公にするつもりがなかったか、あるいは逆に、なぜ普天間を移設できないのか自分でもよくわからなかったか、そのいずれかだろう。その判断はのちの研究に委ねたい」(P231)とある、複雑な外交関係は、時の首相ですら、適切な理解がなかった可能性がある、ということは、いろいろ考えることがあった。

戦後長い間、軍事的な外交関係については、デリケートな問題として世論を刺激しないような形で、条文の解釈論の調整などで対応していたようだが、近年では、1997年の日米ガイドラインの改定、1999年の周辺事態法、2015年の平和安全法制と、法整備が進んでいるようである。
今度はアメリカを含めた、日本に駐在する軍隊は「国連軍として動くのが得か、それとも米軍/外国軍として動くのが得か、より適切な地位を選択できる。フォーラム・ショッピングが可能になったということである」(P285-286)とある。またこれもややこしい話であるが、戦争放棄をうたう日本が、他国の軍隊に自国を守ってもらう、少なくとも軍事的脅威を回避するためには、様々な外交手段を駆使する必要があるようだ。

「まず、はっきりさせておかなければならないのは、日米安保条約に根拠をもつ在日米軍は必ずしも日本を直接的に防衛するための存在ではない」(P277-278)や「日本の防衛においては自衛隊が主であり、米軍は従である。在日米軍基地の問題を正しく評価する際の出発点はここである」(P280)という記述など、日本とアメリカの軍事的な同盟関係について、当たり前のことを考える契機になった。
新書らしい良書であった。