昨年中、故母キヨ子とラビママは、多くの皆様からたくさんの応援をして頂き、とても支えられてきました。大変励まされました事は、凄く有り難く心から感謝しております。
ブログのお友達
とても心温かいコメントやメッセージのお陰で、沢山励まして頂きました。心身共に大変支えられました。
リアル友達
LINEで心温かい言葉、又、プレゼントを頂いたり、介護中は、もちろんのことですが、母キヨ子が永眠後は、私を心配して頻繁に会いに来てくれました。
故母キヨ子の主治医及び介護関係者の皆様
母の健康管理や、ラビママこ介護の大変さを話し、心もサポート、母キヨ子の入浴、食事、リハビリ、施設での交流、又、故母キヨ子が、二の腕の骨折時には、多くの方が、駆け付けてくれて、心配してくれました。
母キヨ子が、ちょうど亡くなる前日が訪問介護の日だったので、ヘルパーさんに手伝って頂き、ベッドの上で洗髪してもらい、手足をお湯で洗ってもらい、身体は、温かいタオルで、拭いてもらって,ボディミルクを塗布してもらい綺麗にしてもらってました。
その翌日、母キヨ子の異変に気づき慌てて主治医に連絡しましたら、自宅にも駆け付けてくれました。
救急車で病院へ搬送され、いろいろ処置後、死亡と診断されました。老衰でした。
母キヨ子を最後に綺麗にして下さる看護士さんから、とても綺麗にしてもらってたんですねと、母の身体を見て言って下さいました。
2年近く寝たきり、自分で、食事も食べれなくなってたので、オムツ交換、オムツ交換時は,お湯を使って、洗い流す、あまり擦らず押さえ拭きする。赤みが有れば軟膏やワセリンを塗布、デンタルリンスを使って歯磨き、着替え、蒸しタオルで洗顔、ボディミルクの塗布、床ずれなどにならないように小さなクッションを使ってポーズに変化をつけたり膝と膝の間や床ずれ(褥瘡)が出来やすい場所を保護したり、寝返りを頻繁にしてあげてました。
1日何回も母キヨ子を抱きしめてハグしてました。
また、長女が、お誕生日に会いに来てくれたり、孫と次女達も、頻繁に会いに来てくれて、爪切り、耳掃除、鼻掃除、など
細かいケアをしてくれて、ボディミルク、着替え、などなど、いつも助かってましたし。孫達との触れ合いでキヨ子も笑顔が多かったです。ひ孫を見ると可愛いね〜とよく言ってました。
お陰さまで、数日で出来てしまう床ずれ(褥瘡)も出来ない状態で過ごせました。
初めてのショートステイでの二の腕の骨折後の1ヶ月は、これまた、大変で、寝返り片側しかダメで、すぐに床ずれになりかけて、慌てて、介護ベッドマットをエアーマットにしてもらって、寝返り無くても、圧力が分散されるようになったものでしたが、少しでもポジションを変えてあげてました。夏場、お風呂に入らなくなって、本当にかわいそうだったけど、ヘルパーさんと一緒に少しでも、快適に過ごせるようにと全力で介護してました。
二の腕の骨折完治するまで、3ヶ月と整形外科の先生からも診断されてて、それまで、頑張ろうねと母キヨ子を励まして、自分自身も元気付けてました。
叶うことが出来ませんでした。
☆*:.。. o .。.:*☆*:.。. o .。.:*☆*:.。. o .。.:*☆
その後、整形外科の先生にお電話で対応して頂きました。
整形外科の先生にいろいろ質問してみました。
母キヨ子の骨折の原因として考えられるのは?
書面では書けないけど、と下記の内容を口頭でお答えして下さいました。
①自分で動いて転けて手を着いてしまった時。
②無理な腕の持ち上げによるもの。
③ 腕に力を加えるか。
寝たきりの母キヨ子さんが、寝返りやベッド状で寝てるだけで骨折するとは、考えにくい。上記の事が推測されます。
と口頭で何度も言っておられました。
私も、そうですよね。と同感しました。
また、一度、ケアマネジャーから訪問するように言われて来た日以来、未だに謝りに来ないんです。
と伝えると、上から謝るなと指示されてるんだと思います。ともお話しされてました。
整形外科の先生にしっかりお礼を申し上げて電話を切りました。
上記の内容は、母キヨ子の元主治医の先生にもお伝えしました。
私も整形外科の先生の推測が、妥当だと思います。
主治医の先生も、整形外科のプロの先生がおっしゃるなら、尚更だと思います。
と、言っておられました。
とても心強いお言葉を頂きました。
故母キヨ子が利用し、骨折した施設側と話し合いもまだ、骨折原因も内容が変わって来ました。
施設側は、骨折させて無い。
ベッド上で寝返りなどの際に骨折した可能性がある。何故なら重度の骨粗しょう症の利用者(母キヨ子)さんですからね。
と言われたので、最初の説明と、変わりました。
最初の説明時と事故報告書の書面では、
(①ベッドから車椅子へ移乗や車椅子から入浴用の車椅子への移乗の時。②入浴の際。風呂浴槽への入水の際、脇と足を2人で抱えた時の上げ下げの時。③衣服の脱着。車椅子に座らせたまま脇を持って抱きかかえた時。が考えられます。)でした。
今年、納得の行く話し合いが出来たらいいなぁと思っています。
故母キヨ子が、痛く辛い思いをしたのは、事実です。亡くなるまで、より一層不自由な生活になった事も事実です。
いい方向で、話し合いが出来ますように
母の弟妹からの励ましやお供えなど、本当にありがとうございました。
義姉に 母の訃報を伝えると、すぐに車を飛ばして来てくれました。
小学校の頃からの同級生でもあり友人でもあり現在は、義姉です。
介護を身近で、理解してくれてた一人、
長い介護をしている私の事をいつもいつも励ましてくれて、今回も、
「よう頑張ったなぁ〜、ほんま、よう頑張った。」
と、強く抱きしめてくれて、義姉も泣いてました。
ありがとうございます
7年半間の介護でした。
改めて、本当にありがとうございました。
早いもので、母が亡くなって、今日3日は.命日で、4ヶ月になりました。
喪中で、年賀状が出せない人は、寒中お見舞いを書くのですが、時期は、基本1月7日から2月4日までに出すものらしいです。
(地域によって多少違いもあるようですけど)
☆*:.。. o .。.:*☆*:.。. o .。.:*☆*:.。. o .。.:*☆
タイトルにも書いてあるように
ラビママ 1月1日に誕生日を迎えました。
59歳になっちゃった
この歳になると、両親が揃ってることが難しくなりますね。
産んで育ててくれた両親はもう居ない。
孫は3人になりました。
ラビママもこれからは、可愛いおばあちゃんになりたいと思います。
お正月にお墓参り
主人と2人で行く予定だったんだけど、
上孫が、お墓参り行きたいとLINEをくれたので、一緒に行って来ました
ラビママは、軽く、昼飲み
孫にも
ランチ
朝食みたいになったけど、
上孫からのリクエストです
お友達がお勧めでプレゼントしてくれたこちらのドレッシングが美味しい
毎年頂くお花💐の誕生日プレゼント
ななころさん
ありがとうございます
素敵な雰囲気
癒やされた時間を過ごしたいと思います。
お友達の広さん
高級な洋菓子
帝塚山
ポアール
こんなに高級な洋菓子
初めて食べました。
パパが横から食べ始めて、
全て無くなる勢いだったので、
慌てて、私の分確保しました笑笑
オマケ
地元には
眼鏡橋
片眼鏡橋
があります。
本当の名前は、違うかも笑笑
下記の画像は、
片眼鏡橋
目を回さないでね
孫の住む家へお迎えに行く道中
また皆様にお会いできる日を楽しみにしております
最後までお付き合いありがとうございました
みんな元気になあれ
皆様が、今日も笑顔で過ごせますように
ラビママ