新年明けましておめでとうございます | ごんたのつれづれ旅日記

ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

このブログへの御訪問をありがとうございます。
 
令和4年が始まりましたね!
 
昨年は新型コロナウィルス一色で、本当に大変な思いをしました。
11月に何とか流行が収まり、年末年始、少しだけですが一息つけたのは、幸いでした。
 
久しぶりに家族で恒例となっていたスキーで塩沢に出掛けました。
大抵は1月、2月に出掛けるのですが、初めて12月の年末に2泊3日で行ってみました。
12/29は本当にいい天気で、赤城高原SAからは谷川岳連峰がよく見えました。
 

 
それでも、この日、雪用タイヤ規制が関越トンネルの手前の北牧PAから長岡ICまで敷かれていました。
北牧PAの入口では本線が1車線に規制され、冬用タイヤでない車はPAに入るように指示する標識が立ち、立っている係員が、通過する全車の冬用タイヤの有無をチェックして──いただろうと思うのです。
なにしろ、車は徐行するものの、決して停車させられることはありませんでした。
 
「え?走りながら分かるものなの?」
 
と妻は怪訝そうです。
 
関越トンネルを挟む区間の「冬用タイヤ規制」は、金属製のチェーンを装着する場合、トンネル内では外さなければなりません。
群馬県内では谷川岳PA、新潟県側では土樽PAでチェーンの脱着をするのですが、12/29の下り線では、ノーマルタイヤかつ金属チェーン持参の車は北牧PAでチェーンをつけ、谷川岳PAで外し、土樽PAで再びチェーンを装着する必要がありました。
雪が積もっていない10kmもの距離を、金属チェーンは切断することなく走れないのでしょう。
ところが、北牧PAから谷川岳PAまで、12/29は雪がなく、あちこちで路面が濡れているだけでした。
僕は自分の運転で金属チェーンを使ったことがないのですが、おそらく切断を恐れて速度は上げにくいのでしょう、時速30~40kmくらいで走る金属チェーンの車を横目で見ながら、
 
可哀想よね……
 
と、妻と話し合ったものです。
 
新潟県に入っても、路面は濡れているものの、雪は積もっていませんでした。

 

 
12/30も時々ホワイトアウトが生じる大雪でしたが、下の写真のような見通しの良い時間もありまして。
行きつけのスキー場はコースが2つあるのですが、1つは12/29が、1つは12/30がスキー場開きで、新雪と凸凹がひどく、エッジは利かないし、少しばかり怖い思いもしましたけど。
こういう時、信州出身の僕としましては、
 
「全く、新潟の雪は滑りにくいよなあ」
 
と、文句を言いながら滑る訳です(笑)。
 
でも、新幹線の駅や高速道路のインターから20~30分でスキー場に着ける新潟の利便性には、とても敵いません。
それに、南魚沼の民宿で出される御飯の美味しさにも。
 

 
12/30の夜から予報通りの豪雪になりました。
観測を始めて以来の大雪とのことで、明日は帰れるのかなあ、と不安になりながらも、子供たちがどうしても12/31も滑りたいと主張し、大粒のボタン雪が降りしきる中の滑走と相成りました。
民宿の人やレンタルスキー屋のおじさんは、
 
「関越道は湯沢や六日町から長岡方面は止めるけど、湯沢から東京方面は止めないから大丈夫」
 
と笑っていましたので、まあ、安心して滑った訳です。
 
宿泊した民宿の駐車場で、車が、車高の半分もある雪をかぶって埋もれているのを見て、
 
げ!一晩でこんなんなっちゃうのか!──
 
と、たまげました。
 
民宿では、従業員さんが総出で駐車場の雪かきをして車を発掘して下さり、また車に積もっている雪を払う道具も貸して下さったので助かりましたが、スキー場ではそうも行かず……。
 

 
滑っていた3時間程度で、どの車もすっかり雪に埋まり、お客さんたちは、誰もが車を雪の中から出すのに1時間近く汗をかくことになりました。
僕の後ろに一晩以上駐車していたらしい御家族は、2時間近く雪かきに奮闘した挙句、どうしても出ることが出来ず、車を置いて何処かへ行ってしまいました。
あれからどうしたんでしょうか?
 
写真の右の真ん中の僕の車は、無事救出が終わったところです。
 
帰りの関越道は、凄まじい状態になってました。
まず、道路情報で、六日町ICと長岡ICの間が雪のため通行止めになっているのは、想定内。
六日町から南も、あちこちで、交通事故の発生を示す×印がついていました。
塩沢石打IC、湯沢IC-関越トンネル、水上IC付近など。
 
12/31の冬用タイヤ規制は、長岡ICから赤城高原SAまでに延長されていました。
塩沢石打ICから上り線に乗ると、路面は真っ白。
国道17号線の方が除雪が行き届いている感じでした。
 
当然、どの車も制限速度の時速50kmどころか、30km程度でノロノロ。
時々、ホワイトアウトですぐ前の車も見えなくなってしまいます。
スキーで滑っている時のホワイトアウトより遥かに怖いものでした。
しかも、湯沢ICと関越トンネルの間で発生した事故のため、渋滞が起きてしまい、湯沢ICからの7~8kmは時速5km程度のノロノロ運転。
湯沢から関越トンネルまで1時間もかかりました(笑)。
 
登り坂ですから、停車してしまうと、動き出す時に前輪が空回りして、スタックしかねないような積雪でした。
これは、なかなかの恐怖です。
 

 
事故や立ち往生する車が出て、車の走りが遅くなって時間当たりの通過台数が減れば、それだけ雪はどんどん積もって来る訳ですから。
しかもこれだけの交通量ですから、除雪車もなかなか割り込んでは来れないでしょう。
 
令和2年12月に数百台が閉じ込められた関越道の立ち往生事故は、こうやって起きたのだな、と実感しました。
今回の積雪量は、その時よりも多いと言うのですから、妻には笑われましたけれども、僕がびくびくしていたのも無理はないと思いません?
 
窓にもどんどん雪がくっついてしまい、ワイパーを動かすと重そうなこと。
しかも、雪が窓の下にも押し積もってしまうので、ワイパーが完全に下に下がりません。
壊れてしまうのではないかと思いました。
でも、降りて雪を払うにも、それほど長い時間の停車はないのです。
暖気でフロントガラスをがんがん暖めれば、そのうちに消えましたので、ホッとしました。
 
 
雪道は、高速バス旅で何度も経験していますし、大雪の日にバスに乗るのは嫌いではありません。
北海道や東北、北陸で雪の中を高速バスで走れば、雪見の情緒とスリルが同時に味わえるのです。
学生時代に、東京で珍しい大雪が降れば、うきうきして路線バスや高速バスに乗りに行ったものです。
真冬の「関越高速バス」池袋-新潟線に飛び乗れば、雪景色を手軽に楽しむことも出来ます。
 
しかし、自分でハンドルを握れば、印象は一変するものですね。
雪国のバスの運転手さんに脱帽です。
 
 
渋滞の原因となった事故現場は、走行車線で2台が後ろ向きになって停止していたのですが、車の破損はそれほどでもなかったようです。
おそらくスピンして接触した程度なのでしょう。
いくらスタッドレスタイヤを装着して、運転技術に自信があっても、過信は禁物ですね。
 
事故現場のすぐ先の走行車線では、1台の車がスタックして、同乗者が一生懸命に車を押していました。
事故現場を過ぎ、
 
あ、走行車線があいてる、ラッキー!
 
と車線変更を試みたのでしょうか。
事故によって長時間車が走っていない車線ですから、タイヤの半分が埋まるほどの吹き溜まりになっていて、突っ込めば、即アウトです。
 
ようやく辿り着いた関越トンネル内は雪がなく、ホッと息をつくことが出来ました。
外気温は-4~-5℃でしたが、トンネル内は5℃にまで上がりましたから、凍結の心配もありません。
群馬県内も路面には雪が残っていましたが、赤城高原SAのあたりから路面も乾き始めました。
結局、塩沢石打ICから5時間くらいで東京に帰り着くことが出来ました。
 
そして、夕べのうちに、関越道は水上ICから長岡ICの間が雪で通行止めになりました。
朝、僕が妻に「ほら見ろ」と威張ったのは、言うまでもありません(笑)。
そうなる前に東京に帰れたのは、僥倖でした。
 

 
今日は、元旦から仕事です(泣)。
 
写真は、出勤途上の外環道で拝んだ初日の出です(ドラレコの写真ですので画質はあまりよくありません)。

それでもお食事にお節料理が出たのは嬉しかったですねえ。


また、遥か彼方ですが、富士山も見えました。
幸先の良い1年のスタートです。


今年も新型コロナウィルスに翻弄されそうですが、オミクロン株をはじめ、今後の変異種が定説通り毒性を薄め、普段通りの生活が取り戻せますよう、祈っています。
 
皆様にとって、今年が良き1年でありますように!

(仕事が終わって)
 

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