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佐賀の旅




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西川(兄)です。

超久々の更新になります。熊本の震災、残念です。遅ればせながら、お悔やみ申し上げます。

こんな時こそ、九州の話と思い、投稿しています。
さすがに、熊本の話はかきにくいため、ついに佐賀の話になります。

実は、佐賀と福岡の県境には、日本一の大きなもみじがあり、佐賀に行くならば、そこに寄って行くのがお勧め。こちらは、検索するとすぐ出るのと、今回は福岡ではなく佐賀編のため、ここでは張りません。
雷山のおおかえで、で検索してみてください。 ビックリします。



まずは、我々の慣例、神社におまいりです。

佐賀は、かつて、肥前の国で、肥前の国一ノ宮とされるお宮が二つある。

一つが、與止日女(よどひめ)神社。肥後の国風土記にその名があり、一説に神宮皇后の妹ともいわれる。

社の設立は欽明天皇の564年と言われているようだが、この時代を少しさかのぼれば、神宮皇后の願いで、朝鮮半島の新羅に攻め入った将軍 大伴狭手彦と作用姫の神話が、肥前の国現在は長崎は平戸に残り、同じ神話が大伴狭手彦の本拠地である和歌山県の今はその子孫が宮司を務める佐田比古神社にも残る事から、時代背景的にもありえない話ではない。

近くにある、かつての肥前の国の唯一の大社、田島神社には、作用姫を祀る神社がある。





與止日女神社の近くには、肥前国庁跡とその資料館がある。なんと資料館は無料。

出土品などが展示されており、歴史好きな人には一見の価値がある。




少し離れるが、千栗八幡宮も一ノ宮。ここは、時代をもう少し遡るが、平安時代以降、一宮を争ったとされる。八幡神なので、応神天皇を祀る。ここは階段が厳しい。






千栗八幡宮を訪れるなら、少し離れるが、秋ならば、鳥栖市にある大興善寺に行くと良いかもしれない。 とても、もみじの風景が美しい寺。




大興善寺からそう遠くない場所には、吉野ヶ里遺跡がある。

邪馬台国推定地でもあるだけあって、すごい集落である。みどころ十分。

はっきりいう。ここは超広い。館内に無料のバスが巡航しているので、それに載っていく方が絶対に良いだろう。 普通に一日かかる。






秋ならば、この近くに、九年庵があるが、限定でしか空いていないため、人だらけになる。
駐車場もいっぱいで、この吉野ヶ里遺跡の駐車場に殺到するので、大混雑で要注意だ。


夜は、佐賀市の北の方、清水の滝ライトアップに行くと紅葉と滝が、非常に綺麗かもしれない。付近には小城温泉がある。






さて、佐賀にきたからには、佐賀城。もともとは竜造寺氏の本城だった。近くには竜造寺八幡宮もある。

竜造寺氏といえば、戦国時代、大友氏から独立を果たし、大友氏、島津氏と九州三国志を演じた大国の主。当時は、常広城主で鹿島衆を率いた鍋島信房や、
佐賀城で時の竜造寺氏当主、竜造寺隆信を補佐した、その弟の鍋島直茂、
それに、龍造寺四天王(実際には五人)と呼ばれた成松信勝、江里口信常、百武賢兼、円城寺信胤/木下昌直などの名将ぞろいである。

この百武氏の子孫は、太平洋戦争の時のガダルカナル撤収戦の指揮を執った百武晴吉中将。お兄さん二人も海軍大将で、この地の武士の血は現代まで続いている。

竜造寺隆信は、一国の王の器ではあったが、大国の王の器ではなかったらしく、配下の赤星統家
の武士としての誇りを逆なでする行為をし、赤星氏が出陣拒否しただけで、赤星氏の嫡男14歳とその妹8歳を処刑。赤星氏の14歳になる嫡男は、家に恥にならぬよう、赤星氏の方をむいて粛然として十字架に登ったと伝わる。

これにより、赤星氏は当然激昂し離反。有馬氏などと組み、島津氏を引き込む事になる。

その時おきた戦いが、沖田畷の戦いである。

この戦いには島津氏の先鋒を務める島津家久の陣に、赤星氏は、赤装束に縄襷(なわだすき)という出で立ちで、50人の兵とともに参加した。

実は、島津本軍が、島津歳久の采配で準備されており、島津義久、義弘、歳久の三名が本軍とともに出陣していたにもかかわらず、大軍にあぐらをかいた竜造寺隆信は、さまざまな情報の確認を怠り、自ら自殺行為となる采配ミスを繰り返し、なんと、先陣だけであっけなく、竜造寺氏は敗退してしまい、衰退し、肥前、肥後は島津氏の配下となる。




ここは、鍋島氏時代の佐賀城本丸跡。鍋島直茂は、竜造寺隆信が、血迷った采配で思いがけぬ戦死を遂げると、次第に本城で発言力を増し、結局、政権を簒奪。

竜造寺氏の嫡男、竜造寺政家は君臨すれども統治せずということで、江戸で暮らし、その嫡男高房はそうした境遇に耐え切れず自殺。

忘れ形見の竜造寺季明は複権運動をするものの、認められず、会津送りとなる。子孫は会津藩士となり、竜造寺性のまま、明治維新を迎える。

佐賀では、鍋島氏にはばかり、竜造寺性の分家諸侯はすべて領地名に名をあらためたため、竜造寺の名は歴史から消えてしまう。

一方で、鍋島直茂は次男であり、兄であり、鹿島で隠然たる力を持ち、竜造寺氏に忠誠を誓っていた鍋島信房が健在であったため、江戸初期は不穏な空気が流れていた。

結局、この兄の鍋島信房の鍋島本家筋は、兄の死後、その長男が切腹を命じられるなどややこしい事態がおこっている。

結果として信房に始まる鍋島氏は、諫早にある神代領に領地替えとなり、一門家老となるが、
この神代領は、領を接する、天草領などと相当入り組んだ構造になっており、統治しづらい。
よほど警戒されたのだろうと思われるが、これを知ると、大名の鍋島氏に私は好感が持てない。



さて、歴史の話はおいて、佐賀氏は嬉野温泉、武雄温泉のすぐ近くに、御船山楽園がある。
ここは、秋のライトアップは超おすすめ。

京都などの人が多い地域では紅葉のライトアップなどお勧めもできないのだが、ここは非常に人が少ないので、ゆっくりと、美しい紅葉のライトアップを堪能できる。京都にも負けない。








夜には佐賀牛を食するのも良い。ただし、日本で優秀賞をとっているので、高い。
けれど、相当うまい。

私の昔の部下が佐賀にいて、この部下が嬉しいことをいってくれた。
わざわざ会いにきてくれたから、私がおごりたい。これ行きますか?と。

なんと一食1.5万円もするステーキセット。私は丁重に断り、その気持ちを嬉しく思い、
8000円くらいのセットを逆におごってさしあげた。




二次会には佐賀県海の幸。ムツゴロウも食べる。ぶよぶよしていて、べらぼうにおいしいものではないが、変わっていてまあいける。他の海の幸はおいしい。人も良い。

ここで、私の元部下は、西川さんに若い頃最初に出会って今の自分があります。
世間の風潮が悪いのも分かりますし、ニシカワイズムは私の中で生きていますと言ってくれた。
これが、佐賀にきた何よりの思い出となった。





ちなみに、連れて行ってくれた有明海でみたムツゴロウはこんな感じである。





佐賀には見るところが多い。足を伸ばせるなら、北の方にある唐津城にもいってみるべし。
ここは美しい見栄えで舞鶴城といわれる。

歴史的には、島原の乱を引き起こした寺沢氏が領主で、ちょっと微妙ではある。



唐津城の近くには、豊臣秀吉が行った朝鮮出兵の前線基地となった名護屋城跡がある。
ここには、大きな博物館があり、そこも無料。

歴史好きにはたまらない。





さて、唐津にきたからにはぜひよらないといけないのが、呼子。

ここのイカは絶品だ。






呼子からもう少し南に下ると伊万里と有田がある。

ここで、伊万里焼きや有田焼きを、現地で調達するのもおつなものだ。有田は観光化していない感じで、路肩にとめて焼き物を値切りながら買う感じだが、伊万里はかなり観光地化されているので、店も多く入りやすく、買いやすいだろう。







さて、さらに南に下り、長崎県付近にいくと、太良がある。
ここの渡り蟹は有名なのだが、値段は高い。観光地化されすぎだと言う印象。
せっかく現地にきてるんだから、もうちょっと安くしてほしいもの。


とりあえず、渡り蟹のセットくらいは食べる。美味しいのはおいしい。
他の魚介は佐賀市で食べた方がよほど安くありがたみがあると思ったので、たのまなかった。





ここまでくると行きたくなるのが、上述した鍋島信房の諫早神代鍋島家の館。
残念ながら休館日だったが、すごい見栄えのする門までは拝見した。

またいってみたい土地である。





佐賀は、人口も少ないが、幕末には、江藤新平など骨の太い人材を数々出し、
人も良い。飯もうまい。昔のふるきよき日本が残っている。

江藤新平に関しては割愛する。また次回佐賀に行った時に書こうと思う。

佐賀では、女性は男性を公の場ではちゃんとたてつつも、家ではしっかりしている印象。
男性たちは背後を心配せず、外でいきいきとがんばっている。
女性たちも女性たちでいきいきと暮らしているように見える。

元部下や、居酒屋などで現地の人たちと交わって思ったことだ。

佐賀、今の日本に失われた大事なものが、まだしも残る土地だと感じた。
また何度でも行きたい土地である。

佐賀と言うと、どこ?とか、観光のイメージが少ないかもしれないが、実は、非常に見所の多い土地である。

あなたも何か思い出せるかもしれないし、何かに気がつけるかもしれない。





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メキシコの旅

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西川兄弟(弟)です。



本日は、海外編です。
ちょっと前にメキシコに行ったときのことを紹介します。
兄と共に、みなさんにお伝えできる内容を深めるために、海外でとあるセミナーを受けた後、メキシコによりました。

メキシコには、数多くの世界遺産があります。
多くの世界遺産が、遺跡などの文化遺産です。


今なお発掘されずに眠っている遺跡群がたくさんあるようです。


メキシコの首都であるメキシコシティの街中にも発掘中の遺跡があったりします。


旅の目的は、そんな遺跡を見てみたい為に行ってきました。



これが街中にある遺跡を撮ったものです。サボテンが生えてますね!






因みにサボテンは食べてきましたよ。


特においしいとは思いませんでしたが・・・・。


まずは、
メキシコシティの中心部のソカロ広場の正面にあるカトリックの大聖堂であるカテドラルです。
メトロポリタン大聖堂



この大聖堂は、スペイン人が征服した時に、建てられたものだが、
その前は何があったかというと、アステカ帝国の宮殿が建てられていたようだ。

征服したんだという象徴であるようにも見えるこの建物だが、中は荘厳な雰囲気だった。



そして、第一の目的であるティオティワカン




広大な土地に、大小のピラミッドなどの遺跡があります。



有名な月の神殿です。




簡単に登れそうなんですが、階段が急で、しかも標高が高いので、結構しんどいです。
ただ、景色はすごい良いのでおすすめです。

太陽の神殿の方は、もっと高くで、観光客も多いです。

近くに通称:黒曜石おじさんがおります。磨かれた黒曜石をペンダントにしてくれます。
訪れる方はおみやげにどうぞ。
近くに色々なお店がありますが、基本、高めに設定されてるので、ごにょごにょ(笑)

アステカ時計なんかもおすすめかも。

実は、メキシコには遺跡がたくさんあり、未発掘のものがごろごろしています。
予算の関係で発掘できていないというのが現状のようです。

さて、遺跡の話ばかりではつまらないので、メキシコ料理の話にしましょう。

メキシコ料理で有名なのは、タコスですよね。
とうもろこしで作った皮(トルティーヤ)にいろいろな具をはさんで食べます。
もちろんおいしいです。

ですが、初めての方はご注意を!

基本的に必ずと言っていいほど、トルティーヤが出てきます。
どんな料理にも!





最初の方は、郷に入っては郷に従えで食べてました。
ですが、毎回毎回出てくると、さすがに飽きてしまいます。
そして、もっと恐ろしいのが、一度トルティーヤを触ると、とうもろこしのにおいが手から離れません。

メキシコでの滞在が2,3日だったので、食生活で飽きることはないと思ってたのですが、
恐るべし!しばらく、とうもろこしはいらないなと思いました。

ただ、メキシコシティの果物屋さんで買って食べたマンゴーは美味しかったです。
しかも安い!!
デザートにおすすめです。

ただし、帰国の際、メキシコから帰ったと言うと必ず聞かれるのが、マンゴー隠し持ってないだろうな?です。信用されません。隠し持って帰らないようにしましょう。






ここは、国立博物館。アステカやティオティワカンだけではなく、色んな遺跡の情報や内容が展示されています。

HISのツアーに申し込んだのですが、ツアーガイドのお兄さんが非常に勤勉な方で、とても、
多くの知識を教えて頂き、勉強させて頂きました。


次の日、少しメキシカンシティを離れ、ソチカルコと言う遺跡に向かいました。
今度もHISツアーを申し込みましたが、今度は別のお姉さんが登場です。

このお姉さんは、お兄さんほど知識はなかったのですが、非常に柔軟かつ楽しく過ごさせて頂きました。留学でメキシコに来て現地に触れ、大好きになってしまったそうです。

ソチカルコには、イグアナがいるのですが、イグアナが大の苦手らしく、きゃーきゃーいってました。時間が早く帰ってこれたため、集合場所ではない場所ですが、我々が行きたい場所に送ってくれたのが、嬉しかったです。柔軟な方でした。




最後に、簡単なメキシコの注意点を述べておきます。

メキシコは英語が全く通じません。スペイン語です。


物価も安くはないです。


一番注意するところは、治安です。


タクシーも大きく分けて3種類あります。



・空港タクシー


・ホテルが手配してくれるタクシー


・流しのタクシー





空港タクシーはばか高いですが、安全だと言えます。
ホテルが手配してくれるタクシーは、まあまあの値段がしますが、安全です。

空港タクシーは値段がべらぼうに高いので、ホテルタクシーくらいまでにしましょう。地球の歩き方をしっかり読んでおく方が良いです。ただし、タクシー呼ぶために、ホテルのフロントもすごい金銭をチップとして要求してくることもざらなので、しっかり対応しましょう。



以下、現地の女性ガイドに聞いた話ですが、


流しのタクシーは、危険です。
運が悪いとタクシー強盗に遭って、みぐるみはがされるなんてこともあり得ます。
その女性のメキシコ在住のお友達がそういう目に実際にあったようで、結構確率は高いようです。特に女性の方は絶対に流しのタクシーはやめておいた方が無難でしょう。


因みに、警察は当てになりません。その女性は何も返ってこなかったらしいです。


メキシコで一番就きやすい職業らしいです。




警察と言えば、かつて、大学構内で、警察官による大虐殺が行われてしまったようです。
そのため、大学構内には私設の警備団がおり、警察官に対する信頼感はありません。


バスではスリによく遭うそうです。

メキシコには地下鉄もあるのですが、安いです。どこまで行っても3ペソです。
一度乗りましたが、治安は悪いです。兄と二人、背中合わせに身を守りました。

緊張感がありました。もちろん、基本的には陽気で良い人たちなのですが、時折人相が悪く、
危なそうな立ち振る舞いの人がいるので、注意するにこしたことはありません。




幸いメキシコシティには日本の大使館があるので、最悪の場合も考えて、

場所を把握しておきましょう。




遊びに行く際はご注意を。




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2015 大阪 堺市百舌鳥 月見祭り!

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西川(兄)です。



今年度は9月26・27日。 なんと次の土日です!

宮入順は以下

1赤畑町11時00分 ~12時00分
特番子供太鼓連合(8台)12時10分~13時10分
2陵南町13時20分~14時20分
3梅町14時30分~15時30分
4梅北町15時40分~16時40分
5本町16時50分~17時50分
6土塔町18時00分~19時00分
7中百舌鳥町19時10分~20時10分
8土師町20時20分~21時20分
9西之町21時30分~22時30分


お!なんと、梅北町と本町が続くではありませんか!?

実は、勇壮な赤畑町もおススメです。

宮出順は以下


特番子供太鼓連合(9台) 9時30分~11時00分
特番稚児行事11時05分~11時35分
1赤畑町11時40分~12時40分
2陵南町12時50分~13時50分
3梅町14時00分~15時00分
4本町15時10分~16時10分
5中百舌鳥町16時20分~17時20分
6土師町17時30分~18時30分
7土塔町18時40分~19時40分
8梅北町19時50分~20時50分
9西之町21時00分~22時00分




私は子供の頃、梅北町に住んでいましたが、ちょっと離れている憧れや形の格好良さで、本町の太鼓台が一番好きです。二番目が、自分の町内だった梅北町。


すみません、祖母が逝去してしまい、余裕がなく、梅北町の動画で用意できなかったので、宮入宮出順を張り付けておきます。
動画等は前回の記事を参照下さい。#そのうち更新します。





大阪~堺市百舌鳥のお祭り~



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西川(兄)です。



我々兄弟は、小学校時代、堺市百舌鳥で育ちました。



そこには、毎年月見の頃、月見祭りと言うものが開かれ、平日開催なら、小学校の授業が

1時間授業や2時間授業になって、お祭りにいけると言う地域でした。



各町から、太鼓台が神社に宮入りしてきます。色んな場所から来るので、入ってくる入口はまちまちです。

入ってきたら、境内で神前で神輿がパフォーマンスを行います。



そして、次の日、また順に宮出していくのです。



百舌鳥に住んでいると、秋になるのが楽しみで、夏くらいから、予定を立て始めるのが、常です。

どうやら、今年度は9月26・27日。



私は子供の頃、梅北町に住んでいましたが、ちょっと離れている憧れや形の格好良さで、

本町の太鼓台が一番好きです。二番目が、自分の町内だった梅北町。



以下が本町太鼓台の昨年の、いやせと言う大技のシーン。大迫力なので、

是非、見てみてください。







秋風が吹くころ、今度は、梅北町の太鼓台の模様をアップしたいと思います。







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和歌山の紹介~




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西川(兄)です。

久々に投稿します。

忙しいので、地元和歌山の紹介から。

和歌山と言えば、南部の白浜や勝浦、熊野などが有名ですが、実は北部の和歌山市にもいろいろ見どころがあるのです。

南部は非常に遠く、和歌山市から更に南に100kmほどいかねばいけませんが、和歌山市なら、
大阪から一時間程度ですから、実はさほど遠くもありません。

古くは、熊野詣で前の一服や、歌人たちが美しい風景を歌う場所でもありました。

和歌浦と言う場所があります。ここから、山本五十六連合艦隊は出撃していきました。

その和歌浦にたたずむのは、玉津島神社。

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玉津島神社は古来より、和歌の神様を祀る神社として天皇や貴族、歌人たちに崇拝されてきました。今も万葉のおもむきが残ります。聖武天皇が訪れた地でもある。

仲哀天皇の皇后息長足姫(神功皇后)が紀伊半島に進軍した際に創建されたいわれを持つ神社でもある。

和歌浦はシラスが有名で、港ではしばしばシラス祭りが催され、干したてのシラスが手に入る。
これが安くてめっぽううまい。

ここでシラスを食べれば、スーパーのなんて食べれない。

そこから、少し北上すると、紀州徳川家の御殿と庭がある。御殿は最近になって再建されたものだ。

紀州徳川家は、実は徳川総本家と、当初は大変仲が悪く、江戸幕府が武田信玄の軍法を信奉したため、紀州家は、上杉謙信を信奉したと言う経緯が実はある。

紀州家といえば、徳川吉宗が有名だが、有名な吉宗よりも、別の話をしたい。

この時の紀州藩は、柔軟であり、醤油商人で、台風被害を受けた地方救済を行った浜口御陵を、
勘定奉行に抜擢するなど、能力主義を貫いていた。

幼いころ、祖父に連れられ、だれだこれとずっと思っていたが、あまりメジャーではないようだ。

だが、彼は私財を投じて故郷を救った尊敬すべき偉人である。彼の家は大醤油商人で、本家を和歌山は湯浅付近に、分家と支店を千葉県の銚子にもっていた。

当時、和歌山から黒潮に乗っていけば、千葉の銚子についたため、銚子経由で江戸に醤油を売っていたのである。現在でもその名残で、和歌山出身の人たちが銚子にいる。

台風で村全体がつぶれてしまった時、浜口家では和歌山を捨て、千葉一本にしようと言うものが多かった。しかし、浜口御陵は、今、故郷を見捨ててどうすると奮起し、財政難で動きが鈍かった紀州藩に頼らず、私財を投じて、村を独力で数年かけて回復させたのであった。

浜口氏は勘定奉行を務めたのち、旧幕府方ながら、日本郵政の元を創り、初代県議会議長となった。今も県庁前に彼の銅像が残る。

彼は和歌山中部の出身である。和歌山中部と言えば、田辺の町がある。田辺の町を収めていたのは、紀州藩の付け家老安藤氏の居城田辺城を中心とした田辺藩が納めていた。紀州藩に属する支藩(自治国)である。

幕末、第二次長州征伐の際、まっさきに崩れたのが、紀州藩の家老田辺藩兵安藤軍だった。
そこから総崩れになる。

おりしも、紀州にはロシア軍艦がやってきた。その時、領地にいた、紀州藩士2000家だけではなく、農民兵も含め、13000で海上を防御する。交渉の結果、船団は浦賀に向かい、戦火は免れた。

これら一連の事態を重く見た、時の紀州藩では、軍を改革し、旧幕府軍では、先駆けて西洋式に装備から全改装を行った。これが下級藩士出身であった津田出の改革である。ちなみに、津田出の弟は初代県知事になっている。


鳥羽伏見の戦いの際、紀州藩は近代兵装になった約20000で出陣。北上中、将軍が江戸に脱出してしまい、徳川軍総崩れの報に接して、退却する。

この時、紀州藩兵が鳥羽伏見にまにあっていれば、中途半端な明治維新は避けられ、緩やかな変化と、江戸時代全否定ではなく、良い所を残しつつの改革がなされていたかもしれない。

歴史に、たら、れば、はないが、とても残念に思う。

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これが再建された湊御殿である。

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こちらも湊御殿。紀州候は明治維新に際して、さぞ悔しかったことだろう。


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これは、湊御殿から近くにある養翠園と言う庭園。

人もさほどいないが、美しい庭に気持ちが癒される。






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