僕がマクロビオティックをやめない理由・最終章 | noahnoahの21世紀カラダ島ブログ

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カラダは不思議。カラダはロマン。私たちの知らないことがまだまだいっぱいのタカラ島。カラダの未知なる可能性をめぐって、あなたも宝探しの旅に出かけよう!

 

 

今まで「長文ブログ」という名の険しい山を、山頂目指して私とともに登ってきてくださった読者の皆さんに心よりお礼申し上げます。正直、今回のテーマがこんなに長くなろうとは運営者である私自身、予想していませんでした。このブログ、閲覧者レポートなる機能が付いていまして、毎回の記事の閲覧数や国別閲覧者数などが細かくデータでチェックできるのですが、先月までは順調に伸びていたはずの閲覧者数が記事の文字数に反比例して激減していく様子を目の当たりにしながら、なおも書かずにはいられない自身の思いと葛藤しながら今日まで筆を進めてまいりました。

 

また、閲覧者の中には、遠く海を越えアメリカやヨーロッパ諸国、ニュージーランドやキプロス、トルコやモンゴルにお住まいの方なども読んで下さっているのを確認し、密かに悦に入っていた私でしたが、ここのところ海外の閲覧者数はほぼゼロ。・・・でも、いいんです。こうして今、愛機Mac Book Airの向こうで読んでくださるあなたが日本にいる限り、私は世間の評価に屈することなく登山ガイドを続けます。

 

現在、私たちは山の7合目まで来ています。山頂はあと少しです。「今回こそこのテーマをしっかり完結させるぞ!」そんな決意を持って臨みます本編。山頂には一体どんな風景が待っているのでしょう?無事登りつくことができましたらご喝采。あなたと一緒に祝い酒いたしましょう。では、始まります。

 

■私の出した結論とは?■

マクロビオティックを批判される方から受ける質問に「なぜ、マクロを世界中に広めていたリーダーの久司道夫がガンで亡くなったんだ?本当に有効な健康法であれば指導者がガンで亡くなるなんておかしいじゃないか?」というのがあります。最後にそのことについて、私の考えを述べさせて頂いてこのテーマを終えたいと思います。

 

これからお話しすることは、あくまでも私が久司先生と近しかった方からお聞きした内容をもとに解釈したもので私自身の見解ですので、そんな話信じられないという方は信じられなくて結構ですし、読みたくないという方は読まれなくても結構です。また、たぶんにスピリチュアルな内容を含むため、そういった方面に否定的な意見を持たれる方も読まれない方が良いかもしれません。ちなみに私自身はスピリチュアルを肯定も否定もしません。スピリチュアルと言ってもその方面の記述には、真実と嘘とが混在しているからです。ですが、私自身は過去に随分と不思議な体験をしていますし、自分の体験したことに関してはそういう世界もあるのだなと認識してはいます。

 

■脳の進化について■

さて、そのことについてお話しする前に、過去に私が人間の脳について関心を持ち、調べていた末に辿りついたある脳の構造についてご説明しなければなりません。これを知った時、この宇宙はある意思を持って私たち人間をデザインしたにちがいないと確信しました。そして、そのことがこれから述べる結論と深い関わりを持つことになるのです。

 

私たち人間の脳というのは、この地球上における生物の進化の歴史が、そっくりその機能と役割を継承したカタチで器官として備わっています。というのも以下の図にあるように3層構造になっていて、内側から外側に向かうに従って生物としての高度な活動ができるようにプログラムされているのです。

 

 

 

 

●脳の3つの構造 

 

脳の3層構造について説明しますと・・・

①本能を司る爬虫類脳

②感情を司る動物脳(哺乳類脳)

③思考を司る人間脳

このうち、一番古い脳が①の爬虫類脳。

ここは脳幹にあたり、基本的な生命維持機能を司っていて、いわゆる「食べたい」「寝たい」「ヤりたい」など人間の食欲・睡眠欲・性欲という、生命を存続させる上で必要な部分を自律神経を中心にして統括しています。

意識せずとも心臓を動かしたり、呼吸ができたりするのもこの爬虫類脳のおかげ。爬虫類には感情や思考が育たず、自己保存の本能が最も強く働きますが、この地球上に生物が誕生し、脳が備わった太古の昔から存在する基本単位です。

そして、それを覆うようにしてあるのが②の動物脳(哺乳類脳)。

自己保存の本能を基調とした爬虫類脳が、長い時間かけて進化したものが次の哺乳類脳です。これは脳の部分で言えば大脳辺縁系に当たる脳で動物脳とも呼ばれます。イヌとか、ネコなど哺乳類は爬虫類に比べると表情があり、感情が豊かです。

私たち人間も喜怒哀楽といった感情を持っています。私たちが豊かな気持ち、幸せな気持ちを感じられるのも、この動物脳の感情の働きのおかげなのです。

さらに外側にあるのが③の人間脳。

人間に進化の過程で備わったのがこの3つ目の人間脳です。これは最も新しい脳で大脳新皮質にあたります。ここは、理性・思考・論理・認識を司り、想像力を駆使してモノゴトを創造していく力を有します。ヒトがなぜ万物の霊長で最も優れているかといえばこの人間脳があるからです。あなたがお腹が空いたからといって「そうだ誰かを襲って食べよう!」と思わないのも全て人間脳が理性の力で抑えるからです。これら3つの脳がそれぞれ相互に機能しあって人は行動し、感じ、考えることができます。

 

 

■70億人分の幸せを私たちは感じることができる■

人間が幸せを感じたり、快感を感じることができるのは、脳内で機能する神経伝達物質に由来します。いわゆる脳内麻薬とも呼ばれるものです。食べ物にありつけたり、ぐっすり眠ることができたり、好きな異性と愛し合うことができた時、脳幹にある視床下部からこの脳内麻薬が分泌され、人は満足感や快感、幸せを感じることができるのです。

 

しかし、この爬虫類脳で感じられる幸せというものはあくまでも個人的な幸せ。自分一人の幸せでしかありません。しかし、私たち人間にはその70億倍の幸せを感じられる能力が備わっているといったならあなたは信じますか?

 

最近、脳科学の分野でわかったことがあります。それは、人間の場合、中脳から始まる快感に関係する神経軸索が大脳新皮質まで伸びているのです。しかも、大脳新皮質に分布する神経軸索の方が脳幹に分布するより数が多いのです。これはどういうことかというと、人間は進化の過程で、本能的な欲求が満たされて幸せを感じるだけでなく、子供を育てる、他者と喜びを分かち合う、互いに愛し愛される、人や世の中のために役立つなど、より高次で社会的・長期的な目標や欲求が達成された場合にも大きな喜びを感じることができ、実はその方がより深い幸せを感じられるようにできているのです。

 

逆に言えば、他者が不幸であれば、自分も不幸に感じる。他者が悲しければ、自分も悲しいということです。他者のことを自分のこととして感じられる人は抽象度が高く、より大きなゲシュタルトを有している状態と言えます。ブッダやキリストが願ったのは、全人類の幸福であり、魂の救済でした。彼らにとって他者の不幸は自分自身の不幸であり、他者の幸せは自分自身の幸せでもあったわけです。たった一人でも隣に不幸な者がいれば、真に幸せとは感じられない感性を、本来、人間は持っているのです。そこには自他を分けるものはなく、「自分と他者とはひとつ」という意識が根本にあります。

 

一人分の欲求が満たされる時に感じられる幸せを1ポイントとした場合、全人類70億人すべてが幸せになったところを想像してみてください。人類=自分だとすれば、それは一人分の幸せを単純にかけ算して1ポイントかける70億。私たちは抽象度を上げて大きなゲシュタルトを有した時、70億ポイントの幸せを感じることができるのです。

 

■多くの人々に影響を与えた恩師■

世界平和と全人類の健康と幸福。亡くなられた久司先生もそんな願いを持っておられたお一人でした。

 

 

 

●久司道夫先生(1926-2014) 

 

私は過去に、独身時代と結婚してからの2度、先生がボストン市内に所有されていたお屋敷(通称・久司ハウス)に居候しながらマクロを学んだことがあります。連日連夜のごとく、病に悩む人々のために健康指導や執筆と、身を粉にして働かれていた先生のお姿を今でも思い出します。

 

ハウスでの私の仕事の一つに先生ご夫妻のボディケアがあり、お休み前によくお二人に整体治療をさせて頂いたのですが、たいていは午前2時をまわっていました。先生は一体いつお休みになられるのだろうと何度思ったことでしょう。けれど、先生は治療の後、原稿執筆のため、再び机に向かわれることがありました。

 

また、病人さんの中には現代医学による治療同様良くなる人もいれば、なかなか改善が見られない人もいて、時に理不尽な不満を先生にぶつける人もいます。けれど、先生は終始笑顔を絶やさず、辛抱強く病人さんの訴えを聴き、良くなる道を共に見つけようと励まされます。私ならここで怒るのにと何度思ったことでしょう。けれど、先生は一度だって怒った顔は周囲に見せませんでした。

世界中から沢山の若者たちを受け入れ、マクロを学ぶ機会を与えて下さった先生。私もそうした若者の一人でした。食べ盛りの若者が十数人は滞在している久司ハウス。あっという間に食材が底をつきます。ハウスの家計は大丈夫なのだろうかと何度思ったことでしょう。けれど、先生は私がごはんをおかわりしても、嫌な顔ひとつせず「よく噛むんですよ」とおっしゃって、次の日、食糧倉庫には新鮮な食材がたっぷりと補充されていました。

 

末期ガンをマクロに出会って克服し、人生に新たな意味を見つけた医師や科学者、自分の創作する作品の質を高めるためにマクロを取り入れている芸術家、その思想に惹かれ学びに来た社会活動家・・・当時さまざまな人が、さまざまな理由でハウスに集まっていました。

 

彼らの多くが、久司先生と出会い、マクロを教わって、人生が大きく転換したといいます。その喜びと感謝の気持ちを涙ながらに語る人がいたり、私が先生と同じ日本人であるというだけで握手を求めてくる人々に今までどれだけ出会ったことでしょう。

アメリカでは、マクロビオティックが単なる食事法ではなく人類の進化や宇宙の調和につながる鍵となることをしっかりと理解している人が多いのに驚いたと同時に、久司先生が今まで海の向こうで行われてきた活動の意味と大きさに胸が熱くなりました。

 

■桜沢先生と久司先生の会話■

ある時、そんな久司先生が私に語ってくださった印象に残る話があります。

 

64年前、後にマクロビオティックの世界的リーダーとなられる久司青年が渡米される直前、師の桜沢如一先生と会われました。桜沢先生は戦時中、反戦活動により特高警察に逮捕監禁されながらも、大戦中の満州に単身密入国し、ソ連の仲裁を経て、日本と対戦国との戦争をやめさせようとした反戦活動家でもありました。

 

当時、東大で国際政治学を学ばれ大学院を卒業された久司先生は、これからの国際社会で人類が二度と戦争という大きな過ちを繰り返すことのないように、どうすれば調和した世界を築くことができるかを模索されていました。そんな中で出会ったのがマクロであり桜沢先生だったのです。

「久司君、アメリカのことは頼んだよ」

その時、桜沢先生からそう言われた久司先生はこう答えられました。

「・・・桜沢先生。私は戦争のないアメリカを創ります。そして、アメリカの将来の責任は、私がとります!」

「久司君、ありがとう。頑張ってくれたまえ」

桜沢先生は、目に涙を浮かべながら、再び訊ねました。

「戦争のないアメリカが実現したなら、君は次にどうするかね?」

「・・・先生、アメリカの平和が実現したなら、私は次にヨーロッパに渡り、ヨーロッパを戦争のない地域にします。ヨーロッパの将来の責任は私がとります」

「・・・そうかね。久司君、よろしく頼むよ」

二人はそう言って互いに涙しながら、固い握手を交わしました。

・・・それから60年以上もの歳月が流れた現代。久司先生は私に言われました。

「けれども、未だ桜沢先生との約束を私は果たせていない」

先生はそう言われると私の前で涙ぐまれました。

きっと、多くの方は、「この二人、なんて酔狂な」と思われるに違いありません。一個人が一国の責任をとるなど、ずいぶんと大き過ぎる話だからです。しかし、この時のお二人の気持ちは真剣だったと思います。

 

人の意識はどこまでも成長します。「私」という概念は、もちろんこの小さな一個人の肉体だけに限定することもできれば、全人類をも含めて「私」と考えることもできます。人間という生き物は、そうした抽象的思考ができる脳を授かっているのです。お二人にとって「世界平和の実現」は、人生の真の目的だったのでしょう。そうした思いがお二人の中で響き合っていたのだと思います。お二人から発せられたその「響き」は、今なお多くの人々の心に伝わり、共鳴しています。

 

■久司先生の「死」について聞いたこと■

2年前、そんな久司先生が膵臓がんで亡くなられたとの報告がありました。ネット上ではそのことについて批判的な意見がSNSによって拡散されました。「健康をテーマに活動した者がなぜがんで亡くなるのか?だからマクロはカラダに悪いのだ」という意見です。しかし、その後、私は先生と近しい間柄にあった方とお話をする機会がありました。その方のお話に私は納得しました。内容は以下の通りです。

 

久司先生が亡くなられる10年前、腸にがんがあるのが見つかりました。その方は、「がん発症はブッシュ大統領のイラク侵攻が原因ですか?」と久司先生に伺いました。先生は「それももちろんあります。しかし、今、アフリカが大変でその影響がとても大きい。なんとかしなければ」と答えられたそうです。

 

確かに先生は2004年に一度結腸がんを患い、切除手術を受けられています。アメリカがイラクに侵攻したのは2003年のこと。時の米大統領はブッシュでした。その後、2010年以降、アフリカがその発生地とみられるエボラ出血熱が世界的に流行します。その後、2014年12月に久司先生は亡くなられます。享年89歳。死因は膵臓がんとの発表。

 

しかし、そのがんは確かに膵臓で見つかったものではあるけれど、従来のがんとは細胞の組成が全く異なっていたというのです。いわば未知の細胞。実は悪性腫瘍とも断定できない全く新種の腫瘍で、病院側では研究のためその腫瘍細胞の一部を現在でも保管しているとのことでした。

 

■今も思い出す久司先生のあの言葉■

私がその方のお話を伺った時、脳裏に浮かんだある言葉があります。・・・それは「祈る人」という言葉。

 

久司先生は、いつだって世界の平和と全人類の健康を祈っていらした方でした。深夜、私が整体治療のために先生の寝室に伺った際、先生が指で印を組んで瞑想のようなことをなさっている場に出くわしたことが何度かありました。今思えば、あれは瞑想ではなく祈りだったのだと思います。

 

ある時、偶然、先生と私以外には誰もいないハウスのダイニングルームで食事をご一緒させていただくことがあり、私は先生にある質問をさせていただきました。それは91年にアメリカが湾岸戦争に突入して2ヶ月ほど経過し全米各地で反戦デモが起こっていた時期で、私の質問とは次のようなものでした。

 

「先生、戦局はこれからどうなりますか?世界はどうなっていくのでしょう?」

それに対して先生はこう答えられました。

 

「今起こっている湾岸戦争は表面上は、もう直ぐ終結するだろうね。しかし、中東地域に暮らす指導者や人民の意識と食べ物が変わらなければ、この地球上に平和は実現しない。これからもこの地域が人類の紛争の火種となる。私はこの中東にマクロビオティックの思想を深く理解する人をもっと増やさねばと思っているんだよ。時間はない。急がねばと思っています」

 

そして、先生は以前からサウジアラビア政府の要請を受けており、近々国王と会いマクロについて話をする予定でいるとお話しされました。実際、その翌月先生がおっしゃった通り湾岸戦争は終結しました。

 

■人類を生み出し、新たな病を生み出す大陸■

先生の意識はいつだって世界へと向けられていました。深夜、寝室で目にした先生のあのお姿は、やはり「祈り」だったのだと思います。人類が創り出すネガティブなエネルギーを毎夜あのようにしてその身で受けられていたのではないのかと思うのです。

 

先生と近しかった方が教えてくださった久司先生がおっしゃっていたという言葉「アフリカが大変でその影響がとても大きい。なんとかしなければ」という言葉の意味を私は次のように捉えます。

 

新種の伝染病は多くアフリカで誕生します。エイズもまた然り。私が初めてアメリカを訪れた年は世界中でエイズが蔓延し全米でも大きな話題となっていました。この時すでに久司先生は地元のボストン大学と組んでマクロビオティック食による免疫力の強化を立証し、 WHO(世界保健機関)の大会で「マクロビオティックによるエイズ治療」という講演を行われた後でした。

 

先生は何人かの弟子をマクロ普及のため、アメリカから世界へ送り出そうと試みられたのですが、アフリカへ旅立つことを望む者は皆無でした。皆、かの地を恐れていたのです。少々古い資料になりますが、2009年の世界のHIV感染者の分布図を見てもアフリカ地域は2,250万人と全地域の中でも群を抜いています。

 

 

 http://blog.livedoor.jp/loveai0221/archives/40062421.htmlから転載 

 

それからしばらくして、このアフリカ地域からエボラ出血熱という新種の伝染病が発生し、瞬く間に広がって世界を震撼させたのは記憶に新しいところです。次々と誕生する新種の病の多くはアフリカから生まれます。この大陸はアダムとイヴを生み出した人類誕生の地であり、また新種のウィルスが跋扈する最も新しい病の誕生の地でもあるのです。

 

そしてアフリカは、長い間、欧米列強により搾取され続け、人間の魂を傷つけられてきた地域。奴隷、人身売買、政治支配、繰り返される民族紛争、大量虐殺・・・いわば人間の業が渦巻く地域。

 

中東地域に加え、久司先生がなんとかしなければといつも思いをかけていらしたのがこのアフリカだったのです。私には、先生が日々この地域の平和を祈り、人民の健康を祈り、大きな業の渦を一身に引き受けて浄化しようと努めていらしたように思えてならないのです。それはまるで全人類にとっての身代わり地蔵のように。

先生の腫瘍が現代医学では解明できない未知なる細胞であったのも、あるいは・・・

 

■祈る人■

この世の中には「祈る人」の存在があります。彼らは、人々の幸福と健康、繁栄を日々祈っています。ある人は毎日定刻にそれを行っています。何か宗教的な組織に属している人もあれば、全く個人的に行っている人もあります。

 

・・・私たちの国・日本の象徴とされる天皇陛下。

 

 

 ●天皇皇后両陛下 http://virates.com/society/3318826から 

 

その天皇陛下も「祈る人」であることを知る国民は案外少ないのではないでしょうか。日の出前に御所で身を浄め、身装いを正して祈りに望まれる天皇陛下。一体、陛下は何を祈っているのでしょう?

それは、「国民一人ひとりの幸せ」です。

 

例えば、アメリカの大統領は国民の幸せを「願うこと」はあっても、祈りはしません。アメリカの大統領が祈るのは「自分の罪が許されること」です。自分の身の安寧は祈っても、国民一人ひとりの幸せを祈ることはしません。道徳の問題というよりもアメリカにはそういう習慣がないからです。

 

報道される皇室関係のニュースだけ見れば、一般参賀や地方訪問でのお手振りなどが天皇のお仕事だと考えられがちですが、実際はそれだけではありません。もっと重要なお仕事である「国民の幸せのための祈り」は皇室の私的行事と位置づけられ、ほとんど報じられることがないのです。しかし、国民には伝えられない「祈り」こそ、皇室が常に最重要視し、自らの存在意義としてきた重要な活動なのです。

 

日本の天皇は皇紀2600年以上もの間、どの時代においても、国民の幸せを祈らない時代はありません。その伝統は今なお続いています。私は右翼思想家でもなければ、国粋主義者でもありません。ところが今から30年前、天皇皇后両陛下が札幌にお見えになった際、偶然にも街頭で陛下を拝見したことがありました。

 

黒塗りの公用車で目の前を通り過ぎる陛下。ガラス越しに陛下と目が合った瞬間、私の心の中に何か熱いものが生じ、思わずありがたくて涙が出てしまいました。すると、私の隣にいた見ず知らずの老人も思わず感極まったのか、突然大きな声で「天皇陛下、ばんざーい!!」と両手を上げて叫びました。

 

それまで天皇陛下という存在に特別何の感情も持っていなかった自分にとって、あれは不思議な体験でした。しかし、今思えば、あれこそが「祈る人」の存在感というものなのでしょう。

 

意識はエネルギーを持ちます。自分さえ幸せであればそれで良いという意識、そして生きとし生けるものすべてが幸せであってほしいと祈る意識。どちらの意識のほうがより大きなチカラを有するかは論ずるまでもありません。

以前、東日本大震災で天皇皇后両陛下が被災地にお出ましになり、避難所を御訪問になった時の映像をニュースで拝見しました。皇后陛下は被災者に対してこうお声かけされました。

 

「生きていてくれてありがとう」

 

私はこの言葉に感動しました。これは親が子供にかける、もしくは子が親にかける言葉です。天皇が国民にとって父母のような存在であること、天皇が存在することはありがたいことであると感じました。あの愛に満ちた美しい光景をきっと多くの日本人が忘れないことでしょう。

 

ここにあるのは、自分と他者を分けない、「いのちはひとつ」という心です。マクロビオティックも、まさにそこから発せられた「祈り」なのです。

 

■名人・坂口直樹は人生を遊ぶ達人■

人を本当に救うのは理屈や批判ではありません。それは「愛」であり、あの天才数学者・岡潔先生が「情」と表現されたものにほかなりません。それは私たち日本人の中にも生まれ持った資質として流れ、この地球上に存在するあらゆる生命を生き生きと活動させる源流ともなるものです。

 

私はそのことをマクロビオティックから、そして、それに関わられた久司先生はじめ偉大な先達から学びました。マクロが食事法として取り上げられたことで、ここ20年ほどで多くの人々が知るところとはなりましたが、それをまるでファッションのように表面的にしか理解していない人や、ネット上の情報のみを鵜呑みにして批判する人が多い現状を私は悲しく感じていました。しかし、マクロを長年実践しているという方の中にも、本当に桜沢先生や久司先生が後世に伝えたかったその思いを真に理解している人はどれだけいるでしょう。

この度、実現しました北海道初の坂口直樹先生の九星氣学講座。それがご縁で坂口先生と初めてじっくりお会いしました。お会いした瞬間、感じたのは「懐かしさ」。もう何も説明が要らないのです。桜沢先生と久司先生から発せられた「響き」を感じていらっしゃる方だと直感しました。

 

 

 ●坂口直樹先生(大久保千和子先生撮影)

 

あの岡潔先生がおっしゃった「『情』のふるさとは『懐かしさ』である」という言葉の意味を心から実感しました。わが家で連日連夜、坂口先生と一緒に語らったあの豊饒な時間を私は忘れないでしょう。

 

マクロの本質をこれからも改良を重ねながら後世に伝えていきたいという思い。桜沢先生や久司先生の意思を継いで世界平和に貢献したいという思い。坂口先生もマクロに対する思いは私と同じでした。本当に嬉しかった。

 

海外での体験をご自身の中で十分咀嚼し、マクロをしっかりと理解されている坂口先生。深いのにそれでいて軽妙で、いつもユーモアと遊び心を忘れず、深遠な宇宙法則をまるで漫談のように面白おかしく解き明かす名人。

 

マクロって、わかればわかるほど生きるのが楽になり楽しくなっていくものと私は常々思っているのですが、それを体現している人物が、名人・坂口直樹先生。

 

今回、坂口先生とこうして出会えたことで、私自身が今まで約半世紀にわたって関わらせていただいたマクロビオティックの意味について改めて考えることができました。その思索の記録がこのシリーズ『名人・坂口直樹と出会って感じたこと』です。坂口先生の魂のダイナミズムとあのとびきりの明るさに触れなければ、こんな長文を書く気にもなれなかったでしょう。彼はまさに人生を遊ぶ達人であり、人の情熱に火をつける達人でもあります。

 

今までマクロを知らなかった人も、今実践している人も、昔関わっていたという人も、批判的な人も、肯定的な人も、本シリーズに触れて、「マクロにはこんな側面もあったんだ」と、どこかで感じていただけたなら嬉しいです。

遠く長野から講座のために来道してくださった坂口直樹先生、当日、講座を受講してくださった受講生の皆さんありがとうございました。そして、この素敵な機会を創ってくださった旭川・つなぎや食堂の小野寺崇・瑞恵夫妻に心よりお礼申し上げます。

最後に、ここまで一万字超えの長文におつきあいくださった辛抱強い読者のあなた。本当にありがとう!

 

今、やっと頂上に着きました。あなたの眼の前にはどんな風景が広がっていますか?

今度会った時、教えてくださいね。まずは、お約束通り、一緒に祝い酒といきましょう!

「あなたがいつも健康で幸せの中にありますように、乾杯!」

 

 

 

 

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