残月録

残月がやがて消えていく間にも、私の日常生活の中に何か一瞬の輝きを求めて写真を撮っています.

コスモス(思えば遠くへ来たもんだ)

2021-10-25 10:19:40 | 日記










在りし日の歌 (中原中也)より

   頑是ない歌

思えば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ

雲の間に月はゐて
それな汽笛を耳にすると
悄然として身をすくめ
月はその時空にゐた

それから何年経ったことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追ひかなしくなつてゐた
あの頃の俺はいまいづこ

今では女房子供持ち
思えば遠くへ来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであらうけど

生きてゆくのであらうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこひしゆて
なんだか自身が持てないよ

さりとて生きたゆく限り
結局我ン張る僕の性質(さが)
と思えばなんだか我ながら
いたはしいよなものですよ

考えてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやってはゆくのでせう

考えてみれば簡単だ
畢竟意思の問題だ
なんとかやるより仕方がない
やりさえすればよいのだと

思ふけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ

    
    雑感<1>
海援隊の曲の”思えば遠くへ来たもんだ”
の最初のフレーズに
”踏切のそばに咲くコスモスのはなゆらして
貨物列車が走り過ぎる
そして夕陽に消えてゆく”からコスモスを観ると
必ず中原中也の詩が浮かんでくる。
今はもう歌わないれど、
40~50代のころはカラオケでよく歌った
もんだ。

   雑感<2>
思えば遠くへ来たもんだ
ここまで二人できたけれど
思えば遠くへ来たもんだ
今では女房と二人だけ
思えば遠くへ来たもんだ
此の先どこまで行くのやら

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