中3になり
彼女とはクラスが離れても
変わらず仲良しだった。



学校が終わると
蒲田駅をフラフラしては
屋上でタバコを吹かし
万引きをしては戦利品を見せ合う
そんな日々。

 

 

仲の良いクラスメイトと過ごしたり
時には恋をし
男の子とお付き合いをしたり
中学最後はそこそこ楽しく過ごせたと思う。





そんな私も
高校受験を迎え
普段ろくに勉強もしなかったが


いつも何ごとも土壇場になって焦る私は
試験前日の徹夜の勉強で
無事に都立の高校に合格し入学が決まった。



と言っても実際は
国語だけが得意だっただけで
都立試験で国語は100点満点!

 


ただ国語以外はすべて40点以下で
数学や理科に至っては
どちらも20点台だった。

 

 

塾の先生も
そんな試験結果に加えて
そんなでも都立に合格したことに
かなりびっくりしていた。



そして高校入学と同時に
10年会っていない父から
突然、小包が届いた。



中には
箱に入った万年筆とシャーペン。

 

それぞれに私の名前が彫られていた。



そして便箋一枚の手紙が添えられていた。

 

 


内容は
高校入学おめでとう的なもので
あまり詳しくは覚えていないけれど
今でも覚えている最後の一言。




「何もしてやれないダメな父より」





母の前で開封してしまった私は
読んだ瞬間
溢れそうな涙を我慢し
 

「ふ~ん」
 

なんて冷静を装って読んだけど
翌日ひとりでその手紙を
何度も何度も読み返しながら
一晩中、号泣した。






言葉では言い表せないけれど
淋しさや孤独感が湧いてきた。

 

 


そしてそれ以上に
私にも父親がいるんだ”
という何とも言えない想い…



そんな色んな想いが交差して
涙が止まらなかった。





 

その春
茶髪だった髪を母に黒く塗られ
私は南青山にある都立の高校に入学した。



「清楚にね」
 

という母の教えを守りながら
入学してからしばらくは
普通に楽しい高校生活を送っていた。

 

 



場所が南青山にあっただけに
学校の帰りは友達とディスコに行ったり
渋谷でお茶したり
新しい環境で新しい友達と
それはそれは楽しく過ごしていた。

 

 



比較的校則の緩い学校だったから
みんなスカートも短くして
ピアスを開けたり
髪もパーマをかけたり巻いたりしてる
そんな都会の真ん中のオシャレな高校生だった。





入学して夏休みが終わり
秋に入り文化祭が始まりだした頃
この頃から母が荒れ始める。




今思えば
仕事か恋愛か
きっと母に何かあったのだと思う。



水商売をしていても
お酒は苦手な母だったのに
飲む事が増え
私との喧嘩も増え始める。

 

 

 

 

小学生の頃から言われ続けた
ヒステリックになった時の母の決まり文句

「アンタなんか産まなきゃ良かった!」

という聞き飽きた言葉。





そしてそれに対して
今までのただ黙ってひとりで泣く私から

「産んでくれなんて頼んでねーよ!」

 

という小学生の頃とは違う私の反応。






学校は楽しかったはずなのに
何だか人生や生きる事に
すっかり疲れ始めていた。




この頃から学校をサボっては
ひとり海を見に行くようになっていた。





学校に行く気力がなく
学校をサボって早退しては
ウォークマンに好きな曲を詰め込んで
東京駅から東海道線に乗り
真鶴までひとり海を見に行く日が増えた。






東海道線は
真鶴近くになるとトンネルが続く。



そしてトンネルを抜けると
途端に一面
海が広がる。

 

 


トンネルを抜けたら突然
水平線が広がり
青い空と青い海が一面に広がるのだ。

 

JR東海道本線 根府川駅」太平洋の大海原を眺望できる海が見える駅 | ピクスポット | (絶景・風景写真・撮影スポット・撮影ガイド・カメラの使い方)




たまたま学校をサボって早退した日に
何だか家に帰りたくなくて
東海道線に乗りながら


「もう少しだけ乗ってみよう」


と、気づいたら横浜を過ぎ
茅ヶ崎を過ぎ
小田原を過ぎ
 

そしてそのトンネルを抜けて
一面の海に遭遇した。

 

 

 

 

初めてその景色を見たときは
本当に興奮したし
今でもその時の感動をハッキリ覚えている。



 

 

小田原に2歳まで住んでいた私は
小田原の隣にあるその海に
なんとなく懐かしさすら感じた。



そしてその海を見て毎回思うのだ。



「死ぬときはこの海で死のう」

 


ただ海を眺めながらいつもそう思った。

 

 

 

 

好きな曲をカセットテープに詰め込んで
大好きな海を見ながら
 

なぜ自分は生きてるのか?
なぜ生まれてきたのか?

 

そんなことばかり思いを巡らせる。

 

 

 



小3の時に初めて
死にたいと包丁を手首に当てながら
悔しくて悲しくて泣いた事があったけれど
 

あれは母から見放され罵倒され
悲しくて辛くてやったこと。





冷静にただ「死ぬ」ことを
毎日ぼんやり考え
心から死を望み始めたのは
この頃からだった。

 


 

 

学校は楽しかったはずなのに
何だかすべてがフェイクのようで
作りもののように思えて仕方がなかった。




学校や放課後楽しく笑って遊んでいても
家には居場所なんてなくて
学校での私は本当の私ではないように感じる。




上手く言えないのだけど
海を見ているその瞬間だけが
本当の自分に還れる
そんな時間だった。




そして今思えば
あれは軽い鬱だったんだろうと思う。

 

 

 

 

 

 


そんなある日
いつもの母との喧嘩で言われた言葉。



「本当にアンタには金がかかる!
この金食い虫!!
なんでアンタの学校のお金を払わなきゃいけないんだよ!」


費用の少ない都立の学校に入ったのに
それでも責められたことが
悔しくてたまらなかった。

 


「だったら辞めてやるよ!!」


入学して半年足らずの10月
これがキッカケで私は高校を辞めた。






流石の母も退学手続きをする当日
「本当にいいの?」
と言ってきたが
とてもじゃないけど素直になんかなれない私は
母のせいだと言わんばかりに
中退の意思を貫いた。



後悔したのは
それから数年経ってから…




人生がどんどん脱線していって
普通じゃなくなってしまって
 

普通の平凡な人生が
羨ましくて羨ましくてたまらなくなってしまった数年後に
私は初めて馬鹿なことをしたと後悔した。

 

 

 

 

ここから人生が破綻していくなんて
思いもしないで…

 

 

 

 

 

 

 

 

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