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(画像はwikipediaより転載)

 

読書の感想など

 

大石五雄『英語を禁止せよ―知られざる戦時下の日本とアメリカ』

 最近ではもう忘れ去られてしまっている戦時下の「英語禁止」。その経緯を丹念に描いた作品。著者は日本人で同時に米国で長期間生活した経験から日米双方の視点で英語禁止について考察する。日本の英語禁止はまずは芸能人の芸名から始まり、その後、徐々に拡大していくが、大切なことはこれが明確に国家からの命令という形ではなく、いわゆる「空気」によって促されていくことだ。英語禁止の論理というのは、戦争をしている敵国の言葉を使うというのは前線の兵士に申し訳ないという感情的なもの。同時に当時の日本人も「舶来品」等という言葉に代表されるように、外国の文化に対して憧れを抱いていることが分かる。

 敵性語を禁止を強硬に主張すればするほど、それは自分達自身の心の中にある欧米への憧れの大きさであるということもできる。前線の兵士はこんな形で自分達を利用して欲しいとは思っていないだろうが、英語禁止の論理の弱さと共に感情的というよりもむしろ感覚的に英語を禁止して嫌なものを見ないという当時の日本人の視点が分かる。

 これに対して米国は日本語の地名などを禁止するという意見も主張されたが、地元の人達が抵抗した結果、禁止されることはなかった。それどころか米国は日本語学校を開設して日系二世などに日本語の訓練を施し、情報部員として活躍させていた。日本との違いには驚くが、この理由としてはやはり米国と日本の国力の差というものが大きかったのだろう。米国には余裕があったのだ。

 全体的に米国はおおらかで合理的、日本は感情的で非合理的という感じを受けたが、果たしてそうだろうか。おおむね同意はするが、少し米国を美化しすぎのような印象もある。まあ、それはともかく英語禁止についてここまで事実を追った記録は貴重。本棚にあると便利である。a

 

 

柳田由紀子『二世兵士激戦の記録』

 では、実際に米国にいた日系二世の人々はどうであったのかというのは若干気になる。そこでおすすめなのが本書。日系二世のことを丹念に調べた著者。当時の日系米国人は明治時代に米国に移民した日本人たち。本国日本では失われてしまった明治の日本の価値観をそのまま保ち続けたいわば「純粋日本人」といえる。米国のために死ぬこと、生き恥を晒してはいけない等の教えを受けた日系二世たちは軍に志願するも、最初に与えられた任務は軍用犬に日本人の匂いを覚えさせるために噛まれる役割だった。

 激しい日系人差別の中でついに日系人部隊である442連隊が結成され、ヨーロッパ戦線に送り込まれる。しかしこの部隊は米軍の白人部隊の盾となり消耗していく残酷な運命が待ち構えていた。凄まじい戦死者の数、「消耗品」として使用された日系人兵士の「ママ」「お母さん」という断末魔の声が戦場に響き渡る。

 それでも「突撃」の命令が下ると全員が塹壕から出て機関銃に向かって突進していく。捕虜になることを恥じて手榴弾で自殺した日系人兵士もいたという。最悪の用兵で戦死者の山を作った日系人部隊。そこまでして差別を克服したのだ。

 同時に情報部員として活躍した日系人たち、沖縄の戦場で日本に留学していた時代の同級生を助けた日系人、戦後のGHQで活躍した日系人など、それぞれの戦争があった。丹念に二世兵士に取材して作り上げた本書は貴重。もう生存者もどんどんいなくなってしまっている。

 

 

 

ルース・ベネディクト『菊と刀』

 第二次世界大戦中に書かれた米国人による日本文化研究の本。著者は一度も日本に来ていないものの、日系人や日本人捕虜、日本映画、書籍を徹底的に調査した。結果、日本人は「義理」と呼ばれる価値観の下に生きているとことに注目する。著者は、「義理」に対して「恩」を返すこと、それが日本人の根幹にある思想であると見た。全ては「義理」に対する「恩」のためで、戦争に行くのも天皇や世間から受けた「義理」に対する「恩」である。とまあ、正解と言えば正解であるが、ワレワレはそこまで一つの価値観で統一されているのだろうか?と日本人としてはピンとこない部分もある。

 むしろ山本七平が指摘するように「空気」と解釈した方が日本人のアタクシとしては腑に落ちるところではある。しかし日本人が社会での自分の立場、人からどう見られているかを異常に気にすること等、視点は鋭い。日本人は序列を好みその序列が変化するのを嫌う。米国では尊敬を集める一代で財を成した成功者を日本では「成り上がり」と軽蔑するのがその典型だという。

 上下関係を中心とした社会的秩序を重んじ、変化を嫌う。これは子供の教育から形成される。子供時代に「そこの家の子供になっちゃいなさい!」と子に言う母親を知って著者は驚愕する。子供を家族という群れから排除する発想は米国にはないのだ。さらに子供が世間から嘲笑などの攻撃を受けた場合、日本の親は子供を守ろうとはせずに世間と一緒になって「世間に嘲笑されるような」子供を非難する。それによって日本人は社会から排除される恐怖を知るのだという。

 その結果、日本人は社会の人の目を非常に気にするようになる。と、恐ろしいほど正確に日本人を見ている著者はやはり只者ではない。全て何もかも著者の主張が正しい訳ではないが、その視点の鋭さには舌を巻いてしまう。内容と共に、戦争中にこのような対日研究をやっていた米国とはすごいものだと思う。かたや日本はというと敵性語として英語禁止、米国研究以前のレベルであった。それを考えると日本は米国に国力のみで負けたのではないと理解できる。

 

 

つげ義春『無能の人』

 主人公は著者自身。世の中はバブルの真っ最中の1980年代。その世間の喧騒とは全く別世界に生きる「無能」な人々。河原で拾った石を売る著者、鳥を捕まえる人、それを売る人、買う人。全てにおいて何も生み出すことがなく、世間からも存在を忘れられ、夢もなく目標もなくただその日を生きる人々。シュールでどこか詩的な美しい世界。寡作の著者が生み出した代表作。

 と、なぜか書評のようなことを書いてしまったが、本書は漫画。私が数年前に購入してしばしば読み返すのだ。何ともいえない世界観。諦めた訳ではなく、希望もない。ただ日常が過ぎていくのだが、何かに惹かれる。それが何なのか、何度読んでも分からない。恐らく著者も分からなくて感覚的に描いているのではないかと思う。つまらない日常が淡々と描かれていくだけなのだが、読み始めると止まらなくなる不思議さ。

 鳥を捕まえる男が転落して死ぬ時に大鳥が飛び立とうとしていると「見えた」鳥屋の主人が「飛べ、飛ぶんだ!」と叫んだあとに「俺も連れていってくれ!」と叫ぶシーンが忘れられない。あれは何だったのだろうか。鳥屋の主人はどこに連れて行って欲しかったのだろうか。答えはもちろんなく、考え続けるだけなのだが。

 

 



無能の人・日の戯れ(新潮文庫)
つげ義春
新潮社
2017-02-10

 

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