宮崎県都城市横市町・・・母智丘公園の入口付近に残るトーチカです。
都城西飛行場に関連する遺構です。
都城西飛行場の建設が始まったのは、昭和9年のことです。
当初は民間の飛行場として造られましたが、昭和19年8月より、陸軍航空隊が全面使用する事となります。
幾度かの拡張で最終的に飛行場は正方形で対角線上に未舗装の滑走路(1200m)が整備されていました。
昭和20年4月より特攻基地となり、4月6日に都城西飛行場から沖縄方面に向け第一特別振武隊8名が出撃。4月28日の空襲により西飛行場が壊滅。
その後は東飛行場(都北町)からの出撃となってます。終戦までに都城の飛行場からは昭和20年4月6日~7月1日にかけて10隊、79人が出撃しています。
ちなみに・・・北飛行場(野々美谷町)もありましたが、特攻機の出撃はありません。
さて・・・話は少しズレましたが、都城西飛行場防備の為に造られたとされるトーチカですね。
昭和18年頃に造られたとされてます。付近には多数のトーチカが造られてたそうですが、現在確認できるのは1基だけです。
米軍機の空爆が激しくなり、このトーチカからも機関砲で応戦していた・・・そうですが。。こんな低い位置から航空機を機関砲で応戦・・・してたようには思えないのですがどうでしょう?
トーチカではなく監視哨でしょうね。
そんな遺構です。
ポツンとね。。。あるんですよ。
一度、通り過ぎちゃいましたw
銃眼・・・ではなく監視窓は3か所。
上部には「田の神様」が座ってます。
田の神(たのかみ)は、日本の農耕民の間で、稲作を見守り、豊穣をもたらすと信じられてきた神です。
裏手に出入り口が1ヵ所。
内部・・・狭いですよ。こんな場所で飛んでる敵機を機関砲で撃てますか?
ムリでしょうwww
そもそもトーチカは対航空機用ではないですしね。
天井部はセメント袋か何かを敷いてコンクリート打設した感じですね。
~おしまい~
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