さて・・・
少し前に新聞でも取り上げてもらったトーチカを含む陣地ですが・・・
説明には「旧海軍見張所の遺構か?」とは書いてましたが、陣地名も配備部隊も不明。
さて、どーしたものかねぇ。。。
旧海軍の「大阪警備府小松島航空隊機銃砲台」が小松島にあったのは記録にあります。
これは『昭和18年12月1日~昭和19年11月30日 呉海軍警備隊戦時日誌』より。
アジ歴ファンレスコード「C08030474900」等・・・
また、「小松島照聴所」の文字も、別記事で確認できます。
照聴所とするには地形的に消去・・・
機銃砲台とすれば・・・どうやろ。。。
もう少し範囲を広げて遺構を見つけなければ何とも言えませんね。
海軍の遺構であれば、同時期の遺構が残る伊島や大島で確認できている「標柱」があるはずなんですけどね。
なので海軍の遺構ではないような感じがします。
因みに、大阪警備府小松島航空隊機銃砲台の資料として、下士官1、兵19
25粍単装機銃3門+3門 13粍単装機銃3門+3門 工事中(4992)
資料は、昭和19年11月なので未完なのか完成なのか・・・備砲完了してたのかまでの資料が確認できてません。
大阪警備府小松島航空隊機銃砲台や小松島照聴所の遺構は別に残ってるかも知れません。
じゃあこの遺構は何?的な感じになりますが・・・
別資料で、独立混成第121旅団(菊水兵団)729大隊第4中隊が日峰神社で任務にあたってた記録も残ります。
て事で・・・位置的にも陸軍の遺構の可能性が濃厚ですね。
恐らくですが、独立混成第121旅団(菊水兵団)729大隊第4中隊の陣地跡でしょう。
確認できてる遺構をアップします。
素掘り壕・・・
5m程・・・
素掘り壕・・・その②
L字の貫通壕です。
3m程で左に折れます。
左に折れて4m程で反対側の壕口です。
竹が邪魔で出られません。
引き返して・・・
反対側の壕口を外から。
そこより続く塹壕・・・
きれいに残ってます。
塹壕途中にある素掘り壕・・・その③
状態は良さそうですが、壕内水没。3m程奥で左に折れてますが、その先は不明。
更に塹壕を進むと・・・
突き当りには蛸壺壕。
水没壕まで戻り、塹壕を反対側へ進みます。
尾根を回り込んだ場所で塹壕は消えかかってます。
塹壕が消えた場所より下りながら付近をウロウロすると塹壕が確認できる場所があります。
塹壕を辿ると・・・
トーチカですね。
銃眼は埋まってます。
上より。
元々は素掘り壕の突き当りがコンクリート製で銃眼があったはずですが、壕もトーチカ上部も崩落してます。
裏側・・・元々は銃を構える小さな空間がありました。
トーチカに出入りする為の壕は崩落して塹壕の様になってます。
銃眼は銃を構える内部側が小さく、段が造られて表側に向けて放射状に広がってます。
付近をウロウロしましたが、トーチカはこれ一基だけでした。
尾根まで戻り付近に残る塹壕を辿る。
辿る。
辿る。。
辿る。。。
辿る。。。。
辿る。。。。。
挫けるwww
いやホンマ、竹藪最強です(-_-;)
まだ何かしらの遺構が残ってる感じがしますので、寒くなればフル装備でリベンジします。
新たな遺構が見つかればアップしたいと思います。
とりあえず・・・以上ですね。
~おしまい~
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