(ちょっとの気づきであなたは変わります)

 

点と点がつながり線になる。それが三本集まれば形になり一片のピースになる。ピースを集めた人生パズルには、元々何かが描かれているが、私には死ぬ瞬間までわからない。

 

歳をとってピースが集まり形が少しずつ見えてくると、絵の中に明暗が出来る。明るい色のピースは、暗い色のピースがとなりにあって初めて存在に気づく。

 

徐々に絵が出来上がると、今の自分が見えてくる。同じことをしていても、その思いが変われば今までとは違った自分の姿が見える。それが気づいて変わることだと思う。

 

ちょっとの気づきを積み上げることで、やがて自分が変わる。

ゆっくりでいい、気づきを残すこと。何か変? 何か気になる? と思ったことは、今その理由がわからなくても残しておくこと。やがて点と点がつながり一片のピースになり、やがてパズルが完成される。

 

 

役に立つかわからないが、こんな気づきも残しておいた。

 

「私たちは、突き刺さる刺激を求めていた」

 

以前、朝の情報番組で「もこずキッチン」を見ていた。
毎回色々な料理を紹介していた。出勤前に見るテレビのキッチンは、朝日が射したような明るさで、華やかさを羨んでいた。ガーリック入れて、ターメリック入れて、ソースはトマトベース。 仕上げにチーズをまぶして、オリーブオイルをかける。調味料も器具も華やかだ。

 

確かに美味しそう。でもいつ見ても思うのは、どれも全部同じ味のような気がする。平べったい味のベースに、時折「私はガーリック、私は○○」と点で強く主張しているようだ。その味つけは、「突き刺さる刺激」のようだ。
 

また昼のワイドショーを見れば、通称「ゴミ屋敷」についてレポートしていた。

確かに近隣の人に迷惑をかけているが、それをマスコミが面白おかしく「ゴミ屋敷」と名指す必要はない。少なくとも人が住んでいる家だ。この「ゴミ屋敷」という言葉(表現)に嫌悪感を持つ。これも「刺激の強い言葉」のように思う。それを自分も周りの人も何の疑問もなく使っていた。
 

「何か違う、変だ」
 

スマホやテレビの画像がどんどんキレイになっていく。赤色も緑色もどれも鮮やかで、いつもライトに照らされているような色だ。ホンモノの色は違ったように思う。キレイではなく美しい色だったと思う。ここにも「刺激の強い色彩」がある。

 

味も、言葉も、色もどんどん刺激的になっていく。 そして、みんながそれを無意識に求めている。そして感情までも劇的なものを求めていく。

 

 

平和とは、平らで何も起こらない世界だと思う。

取り立てていいことも起こらないが、不幸もない。刺激のない世界は退屈だがしあわせだ。
「しあわせ」の語源は「仕合わせ」と聞いたことがある。「仕合わせ」は、めぐり合わせという意味で、めぐり合わせには、良いことも悪いこともあるという。

 

悪いこともあるが良いこともある。それで平らな平和な世界ができあがる。

 

極端な刺激は、細やかな幸せに気づかなくなる。出汁に込められた遠慮がちだが土台となる素材の旨さに気づかなくなる。

 

だから、無意識に求める「突き刺さる刺激」に注意したい。

 

 

(ちょっとの気づきであなたは変わる)

辛抱と我慢は違う、今は辛さを抱きしめて