からまりは小さな糸のダマから始まる。

さまざまな色の糸がダマをつくり、ダマとダマが絡まってやがて大きな糸の塊になる。

 

赤色、黄色、青色は、それぞれ同じ量が混ざると黒色になるという。

だから、この塊も徐々に黒くなるかもしれない。

汚れて埃をかぶれば気味悪い黒色に成長する。

 

ややこしく絡み合った糸の塊は、人のもたらす利害関係のようだ。

困ったことに、絡み合ったままの方が安定したりする。

 

小さなダマを大きく成長させたのは、「忖度」かもしれない。

他人の心中をおしはかる「忖度」も、本当は自分を守るためにある。その人を守るためではない。

「忖度」のエネルギーは、観客が映画館のスクリーンで見るようにその人を巨大化させる。

でも実際の姿は私たちと変わらない。

 

だからどんなに守られても凶弾に倒れることがある。

どうにもならなくなった糸のからまりに、強引にハサミを入れてバラバラにしようとした。

私怨もあるがそう思えてならない。

 

ダマとダマのつながりは糸が切れたことで少しばらついた。

でも小さなダマはそのまま残っている。

そしてまた互いの利益を守ろうとして、ダマたちは黒い塊をつくり始める。

 

 

かたまり(絡まり)をひとつひとつ丁寧にほどいていくしかない。

小さなひとつの塊でも、それがほどけたとき他のからまりもほどけることがある。

赤や黄色、青色のうちに時間をかけてでもほどくしかない。

 

それでも、一度ほどかれた糸もしばらくはくせが残る。

だからほどいた後も糸を丁寧に伸ばすことも必要だ。

 

 

糸はもともと織り込まれ、布になって寒さに耐える人を包むものになるはずだった。

そんな大切なものをいつまでも絡めていてはいけない。

 

中島みゆきの「糸」にこんな歌詞がある。

縦の糸はあなた 横の糸は私

織りなす布は いつか誰かを

暖めうるかもしれない

 

 

急がなければいけない。

また誰かが絡まった糸を強引に引き裂くかもしれない。

ヒトも、自然も、戦争も。原発だってそのハサミになりうる。

 

政界、芸能界、スポーツ界、経済界

糸のからまりはどこにでも存在している。