社会が新たなステージを迎えようとしている。今までの経済成長優先社会は、豊かになるということは幸せになることを意味していた。GDPの数値は豊かさの指標だった。しかし今の日本経済は伸び盛りの成長期にあるわけではない。もうその時代は卒業したと言っていい。今はとても大きくて、とても豊かな成熟社会の中にある。

こんな文章を書いてみた。

でも自分で書いていてどこか府に落ちない。どこかの学者が書いた論文の端のようで、これを読んで誰が希望を持てるのかとどこか落ち着かない気分だった。

 

何故だろう?・・・

 

書いた言葉「成熟社会」の意味を自分の中でしっかり落とし込んでいなかったからだと思う。

 

だから改めて、「成熟社会ってなんだろう」から始めてみた。

 

 

まず「成熟」とはなにか?

 

「成長」と対比するなら、もうこれ以上成長しないこと、大きくならないことだと思う。人の背丈も永遠に伸び続けるわけではない。いつかは止まる。
「熟す」とはどういうことか?

子供が成長して大人ごごろを持つこと、青い果実が赤く熟すことだろうか。

 

それなら、「成長」から「成熟」に移ることは、ごく自然で喜ばしいことだ。途中で止めるなんて出来ないし、止めてはいけないことではないか?そんな疑問も浮かんできた。成長した後で今度は心が柔らかになること、硬くて青い果実を甘くて美味しい、色鮮やかなものに育てる時期に来ているんじゃないか?

 

でもいまだに、もう一度成長経済に戻ろうとしている。外見ばかりさらに大きくしようとしている。中身を見ようとしない。豊かになれば必ず幸せになれると信じ込んでいる。そんな気がしてならない。

 

「成熟」の後はどうなるか?恐ろしい気もするが想像してみた。

赤く実ったあとで腐って落ちるかもしれない。でもそれは土に還って別の生き物たちの養分になる。それは次の時代(ステージ)を育てる糧になる。植物も虫もそうして命を繋げてきた。

 

 

今までの経済成長優先社会は、豊かになるということは幸せになることを意味していた。

でもそれは実現できていない。豊かにはなったけれど人が幸せになったとは言い切れない。

 

今度は・・・成熟社会なら幸せを噛みしめることができる。

 

ウルグアイの元大統領ムヒカ氏が、リオデジャネイロで行われた地球サミット2012で演説した言葉がある。

 

「私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです」

 

幸せになるために新しいステージを迎えたと思えばいい。

 

では、成熟社会のなかでどう暮らすか、何をするか、どうすれば幸せになれるか

次はこれを考えなければいけない。