パナマ3
そんなわけでじゃかじゃか雨が降ってきてしまったので、広場に屋根付きの屋台を出しているお土産屋さんなどを覗いたりしていました。
周りの家は直してる途中だったり、崩れたままだったり。
ぱっと雨宿りに入ったお店の奥は、壁とか崩れっぱなしで窓もはまってなかったりしました。
泥棒さんとかは入らないんでしょうか。
お店だから商品とか盗られると困ると思うのですが。。。
屋台と、雨宿りのお店で買ったお土産です。
屋台ではおばさんが縫ったというモラという民族刺繍を買いました。
色とりどりの布を切って、動物の形に縫い合わせて、上から細かい刺繍で柄を作っています。
おばさんは鳥が好きなのか、鳥ばっかり。
お土産屋さんで買った刺繍のブラウスは、たぶん中国産です。
ここでお留守番のモモ。
そしてナナ。
世話をしている友達が写真を送ってくれてます。
時差は二時間です。
雨がすごかったので、流しのタクシーを拾ってホテルに戻りました。
ホテルのプールサイドのバーで一杯。
バーテンさんの腕が良いです。
この旅、ウーバーで5人乗れる車を呼ぼうとすると、なぜかはじかれてしまうことが多かったので、適当にタクシーを拾うことも多かったです。
そしておそらく運転手込みで5人乗りの普通の乗用車なのに、運転手さんに「詰めて乗れば!」と詰め込まれてしまうこともしばしば。。。
ぎゅううううう。
プールから見上げるホテル。
怖い。
美しい夕日。
ウユニ湖みたいになっている逆光の私。
プールサイドのバーでハンバーグなど軽食をモリモリ食べてた子供らとおじいちゃんはおなか一杯になって疲れて部屋で休んでいたので、私と熊夫さんだけ夜ホテル内のレストランに再び繰り出しました。
なんかもったいない気がして出かけてしまう、貧乏性の旅人。
沢山は食べれないので、またしてもタコを。
タコサラダ。
筋肉にやさしい。
熊夫さんは食いしん坊なのでピスタチオのケーキ。
結論として、あまりスイーツの味はよろしくないということがわかりました。
なんでしょう。
チーズケーキファクトリーくらいのクオリティです。
不味くはないけど、特別に美味くもないです。
さて、一夜明けまして。
午前中はチャムと熊夫さんは病院、ウイジとおじいちゃんを連れて私は観光へ繰り出そうではないか。
ウーバーを使い再び旧市街へ行き、パナマ運河博物館へ。
入り口で入場料を支払おうとしたら、本日は無料です、とのこと。
なぜかしら?と聞くと、パナマ侵攻でアメリカがパナマシティ市街地で3000人以上を殺した日なので、喪に服すのです、と教えてくれました。
そして「どこから来ましたか」と聞かれたので、「ジャパン!」と答えました。
アメリカは中南米で悪行の限りを尽くしていますからね。
しかし1989年ともなれば私にも一応物心があったはずなんですが、あまり記憶にありません。
パナマ運河博物館の展示はとても充実しています。
スペインが来る前の原住民の暮らしから始まり。
かわいい土器の食器。
洗いにくそう。
金きら金の装身具。
普段着ではないでしょうが、全身に着けちゃうくらい豊富に金が採れたんでしょうね。
こんな人が出てきたら、それはスペイン人ガッツポーズでしょう。
お金持ちは貧乏な格好をしていた方がよろしい。
スペインの銀貨。
拡大鏡を使ってじっくり見れます。
そしてアメリカのジャイアン。
セオドアルーズベルトのこん棒外交です。
私の世代では教科書に載っていたやつです。
当時パナマで作っていた帽子のカタログ。
これが本当のパナマ帽。
パナマ運河の建設には、初期はフランスが大きくかかわってたりしたので(スエズ運河を作ったばっかりで実績もあった)、いわゆる駐在員の妻がわんさか来ていたようです。
世界各国からの出稼ぎや、肉体労働者なんかも沢山来てて、それぞれの人たちが住む収入ランク別集合住宅の図解なども展示してありました。
興味深い。
やっぱりアメリカには出て行ってもらいたい気持ちでしょうな。
パナマ運河建設のための費用をどう工面したかとか、その後運営費をどうしたのかとか、お金の流れも学べます。
1999年に民主党のクリントンの時代に、運河の経営と権利がパナマに返還されました。
実に学びの多い博物館でした。
タダで見ちゃってよかったのかな。
すぐ近くにあるモラ博物館へテクテク。
先住民、クナ族の歴史や風俗、そしてモラ刺繍の作り方などを展示しています。
最近できたみたいで、地球の歩き方2018年版には載っていません。
アップルマップを見てたら出てきたのです。
新しくてきれいな博物館。
ボランティアの人が暇だと無料で解説してくれます。
広場の屋台のおばさんは鳥ばっかり売ってたけど、いろんな動物の柄がありますね。
私は猫を探しています。
一番下のはなんでしょう。
ワニ?ガー?
猫らしきものいました。
これに限らず、二個対になるパターンが多かったのですが、二個が好きなのでしょうか。
女性の民族衣装は詳しく展示してあるのに、男性の展示が無かったので、これは片手落ちでは?
民俗や文化という物は男女どちらか一方では成り立たないのでは?と思って調べてみたのですが、どうやら男性の方は特に伝統衣装とかないみたいなんですよ。。。
画像で調べても、普通にTシャツ着てる人ばかり。
西洋の服が来る前はどうしてたのかな、、、全裸だったのかな?
近頃すっかり反抗期で不機嫌なウイジにブーブー言われながら、フランス広場までテクテク歩いてきました。
ここからウーバーを呼んで、チャムと合流するためにホテルに戻ります。
こちらはスエズ運河を作ったレセップさんの胸像。
パナマ運河も同じ仕組みで作ろうとしたけど、残念ながら自然条件が違うので断念した、とさっき運河博物館で勉強しましたよ。
えっへん。
タクシーを待ちながら、携帯をいじっているウイジ。
せっかく外国に観光に来たのに。
広場から見るパナマ運河の出入り口。
午後は、チャムが前回ホテルに隣接した商業施設で遊んで、楽しかったという記憶から、どうしてもデパートに行きたいんだ!と言ったために、
Chillin Multicentro
というでっかいショッピングモールに行きました。
ホテルに隣接してた小さなデパートは、コロナで閉店してしまったのです。
そして、このモールは地元の人たちで大賑わいでした。
なぜならクリスマス直前だからです。
皆さんクリスマスプレゼントを買う為に、最後の駆け込みショッピングですよ。
小さな子が喜びそうなボールプールに入っているチャム。
反抗期ウイジはクールぶって入りませんでした。
ショッピングモールはだいたいアメリカのモールと同じ感じです。
同じようなブランドが入っており、うーむパナマのアパレルは独自ブランドを出す方向には進歩していないのか、などと思ったりしました。
平場もほぼ欧米ブランドが席巻していました。
レゴのナナとブーマー。
ゲーセンでひとしきり遊ぶ。
こちらもまあまあアメリカのゲーセンと同じシステムで。
ゲームの成績で紙のチケットが点数分もらえて、それを交換所でおもちゃと交換できるのですが。
ものすごい混んでたので、交換は諦めました。
そのことについて、いまだにチャムに思い出したように詰め寄られてます。
諦めて。。。
楽しむ親子。
この後モールで簡単な夕食をとって、ウーバーを呼んでホテルに帰りました。
絶対に観光客は行かない所に行ったと思うので、これはこれで楽しかったです。
あとずっと気になっていたことですが、パナマの男性が老いも若きも皆、昨日美容室に行ってきました!という感じにピシッと髪の毛を整えているので、タクシーの運転手さんに聞いてみたところ、本当に毎週くらい床屋に行って髪を整えているそうです。
床屋さんは1,2ドルで男性の刈り上げを整えてくれるので、気軽に通えるんですってよ。