うぐいす塚古墳は、全長103メートル。
若草山は標高三百メートルで、その三角点
はこの古墳の中にあり、そこから東の方に目
を向けると、大和盆地の北部から京都府南部
までをはるかにのぞめる。
修は生まれてこのかた、若草山のいただき
までのぼったのは、初めてだった。
荒い息を吐きながら、修はところかまわず、
地面にしゃがみこんだ。
自らが、この地の当時の政治権力者になっ
たつもりで、いろいろと考えてみる。
古墳時代といえど、聖人君子ばかりが暮ら
していたわけではない。
私利私欲は世の常、今の人の世と大差ない
はずである。
血で血を洗うような、凄惨な事件が、何度
も起きたであろう。
人民大衆に、これほどの高地に巨大な墓を
造らせるためには、相当の強制力が要る。
ヤマト王国が、すでに成立していたと考え
て、なんら不思議ではなかった。
この古墳の被葬者は、明らかではない。
しかし、埴輪の種類や個数などを観察して
みると、古墳時代のなかば以降、この地を支
配した最高実力者のひとり、あるいは、その
人にゆかりのある人物だったことが偲ばれる。
男性とは限らない。
これほどの山の頂に、おおがかりな墓を造
るのは、当時としてもめずらしい。
盆地特有の四季折々の移ろい。
とりわけ、花の咲くころが、格別である。
それを愛でる、繊細で優美な人のまなざし
が、修の脳裏に浮かんだ。
魏志倭人伝に登場する卑弥呼の例を待つま
でもない。
古来、女性は太陽であったのだ。
四世紀に活躍した仁徳天皇の后の墓だろう
とする説もある。
今は、二十一世紀。
それから千七百年近い歳月がたっている。
古墳は、修に、何も語りかけてはくれない
けれども、想像することで、この地で産まれ、
生き、亡くなった人の面影を、いくばくなり
とも再現することができる。
修はそう思い、太古の時代の人々に、思い
をめぐらした。
前方後円墳の後方部に、一本の立札がある。
修は、その支柱を、右手で軽く持ち、疲れ
果てた自らのからだを支えた。
書かれている文字が、とても読みづらい。
長い年月が、文字の判別を、妨げている。
しかし、懸命に、読もうと試みた。
深呼吸をいくどもくり返した。
「だいじょうぶですか。苦しくありません
か」
聞き覚えのある声に、修は、顔をあげた。
「あっ、吉永さん。じゃなかった、先ほど
山の中腹で、出逢った方ですね。ありがとう、
大丈夫です」
「あら、今度は、関西ことばじゃないんで
すね」
「わたしはここで生まれましたが、今は縁
あって関東に住んでいます」
「ええ、そうなんですか。それはずいぶん
遠いところまで……。あら、ちょ、ちょっと
そんなに、わたしを見つめないでください。
恥ずかしくなりますわ。あんな美しい方と間
違われるなんて、わたし、もう……」
もうひとりの女学生は、修の視界のなかに
見あたらない。
彼女は、関東の私大の名門の学生で、今は
友だちと京都と奈良を旅しているとのこと。
ゆくゆくは、郷里に戻り、家業を継ぐつも
りである。
彼女は、初め、自らの出身地を、こと細か
く述べることを控えていたが、修のことば遣
いがたくみだった。
次第に、彼女の警戒心が薄らいできた。
どうやら、彼女は、修の勤めている街の出
身らしいことまでわかった。
修はゆるんだネクタイを直さなくては、と
ポケットから白いハンカチを取り出し、襟も
との汗をぬぐった。
ふいに、彼女の背後で、何かが地面からす
うっと立ちのぼるのを、修は見た。
それは白い霧状のもので、初め、ふわふわ
と動いていたが、次第に一点に寄り集まって
いく。
ついには、それが人の姿となった。
修がそう思ったとたん、それは、彼女の背
中にすうっと入りこんだ。
若草山は標高三百メートルで、その三角点
はこの古墳の中にあり、そこから東の方に目
を向けると、大和盆地の北部から京都府南部
までをはるかにのぞめる。
修は生まれてこのかた、若草山のいただき
までのぼったのは、初めてだった。
荒い息を吐きながら、修はところかまわず、
地面にしゃがみこんだ。
自らが、この地の当時の政治権力者になっ
たつもりで、いろいろと考えてみる。
古墳時代といえど、聖人君子ばかりが暮ら
していたわけではない。
私利私欲は世の常、今の人の世と大差ない
はずである。
血で血を洗うような、凄惨な事件が、何度
も起きたであろう。
人民大衆に、これほどの高地に巨大な墓を
造らせるためには、相当の強制力が要る。
ヤマト王国が、すでに成立していたと考え
て、なんら不思議ではなかった。
この古墳の被葬者は、明らかではない。
しかし、埴輪の種類や個数などを観察して
みると、古墳時代のなかば以降、この地を支
配した最高実力者のひとり、あるいは、その
人にゆかりのある人物だったことが偲ばれる。
男性とは限らない。
これほどの山の頂に、おおがかりな墓を造
るのは、当時としてもめずらしい。
盆地特有の四季折々の移ろい。
とりわけ、花の咲くころが、格別である。
それを愛でる、繊細で優美な人のまなざし
が、修の脳裏に浮かんだ。
魏志倭人伝に登場する卑弥呼の例を待つま
でもない。
古来、女性は太陽であったのだ。
四世紀に活躍した仁徳天皇の后の墓だろう
とする説もある。
今は、二十一世紀。
それから千七百年近い歳月がたっている。
古墳は、修に、何も語りかけてはくれない
けれども、想像することで、この地で産まれ、
生き、亡くなった人の面影を、いくばくなり
とも再現することができる。
修はそう思い、太古の時代の人々に、思い
をめぐらした。
前方後円墳の後方部に、一本の立札がある。
修は、その支柱を、右手で軽く持ち、疲れ
果てた自らのからだを支えた。
書かれている文字が、とても読みづらい。
長い年月が、文字の判別を、妨げている。
しかし、懸命に、読もうと試みた。
深呼吸をいくどもくり返した。
「だいじょうぶですか。苦しくありません
か」
聞き覚えのある声に、修は、顔をあげた。
「あっ、吉永さん。じゃなかった、先ほど
山の中腹で、出逢った方ですね。ありがとう、
大丈夫です」
「あら、今度は、関西ことばじゃないんで
すね」
「わたしはここで生まれましたが、今は縁
あって関東に住んでいます」
「ええ、そうなんですか。それはずいぶん
遠いところまで……。あら、ちょ、ちょっと
そんなに、わたしを見つめないでください。
恥ずかしくなりますわ。あんな美しい方と間
違われるなんて、わたし、もう……」
もうひとりの女学生は、修の視界のなかに
見あたらない。
彼女は、関東の私大の名門の学生で、今は
友だちと京都と奈良を旅しているとのこと。
ゆくゆくは、郷里に戻り、家業を継ぐつも
りである。
彼女は、初め、自らの出身地を、こと細か
く述べることを控えていたが、修のことば遣
いがたくみだった。
次第に、彼女の警戒心が薄らいできた。
どうやら、彼女は、修の勤めている街の出
身らしいことまでわかった。
修はゆるんだネクタイを直さなくては、と
ポケットから白いハンカチを取り出し、襟も
との汗をぬぐった。
ふいに、彼女の背後で、何かが地面からす
うっと立ちのぼるのを、修は見た。
それは白い霧状のもので、初め、ふわふわ
と動いていたが、次第に一点に寄り集まって
いく。
ついには、それが人の姿となった。
修がそう思ったとたん、それは、彼女の背
中にすうっと入りこんだ。
古墳にまつわるお話、歴史の授業を聞いている気がしました。
最後に現れた吉永さんのような女性の背後で起こったことが、とても興味深いです。
私なりに思った想像したことがありますが、次回を楽しみにしています。
どうぞよろしくお願いします。