己が好もうが好まざろうが、見えずとも、信じずとも、在る。
人間、誰知らずとも、実相が見ている。
良きことも悪きことも、正しきことも、嘘や誤魔化しも。
全て記録され、死んであの世で見せられる。
良き事はやさしき思い出として、悪きこと誤魔化したことは泡を吹き卒倒する程、苦々しく思うことだろう。
己、どちらがお好みか。
この世で報われずとも、あの世で浮かばれるか。
それともこの世で偽り通し、あの世で恥を掻き辛酸を舐めるか。
「人間は死んだら終わり。あの世なんて無いんだから、思いっきり楽しめればそれでいいじゃん!?」
「お天道さんが見てるっていう、それってありえないし。お天道さんって誰?そんなのありえないっしょ。でも、本当に見られてるんだったらめちゃ怖くね!?」
「法律に触れてないんだったら問題ないんじゃないの?」
「バレなきゃいいのよ。みんなやってるんだから。やらなきゃ損だって!」
おう、ならばあの世で待っていよう。
己、その言葉、覚えておけよ…。
心の蟠りを生涯持ったまま生きよ。
その蟠りは、溜まり腐り二度と剥がれなくなる。
この実相についての認識の甘さが、人生を大きく狂わせる。
己が好もうが好まざろうが、見えずとも、信じずとも、在る。
今の世が乱れ荒み、混沌としているのは、人間の行為、思惑、感情、全て“見られている”という実相の存在を知らず認めず否定しているから。
誰見ずとも知らずとも、己の信念、良心、慈愛、正直を持っていきよ。
さすれば、この世の人生のうちに好転し始める。
そのことを肝に銘じ、人知れず、粛々と正しき心掛けを持って生きます。
有難うございます。