ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

霧笛136号〈編集後記〉 付 お便りの紹介 付〈編集後記〉長尺バージョン

2021-04-27 14:49:25 | 霧笛編集後記
◆震災から十年経つ。コロナ騒ぎも一年を超えて続く。
◆現代詩手帖の3月号、震災アンソロジーとして、詩、俳句、短歌が取り上げられる中で、気仙沼市百一歳、菊池謙さんの歌「海ゆかばみづくかばねと十字切る強き地震の襲ひ来る夜」が掲載。そして、熊本吉雄さん、「とりあえず通販で買ったような町 なんかイヅイなあ もぞもぞ歩く」また、3月3日付の河北新報「10年の震災詠選」にも「外来種の店がにょきにょき生えてきて更地占拠し町は二度死す」が。熊本さんは、震災時、市の職員として文字通り多くの死体に正対した後、まずは短歌を始め歌集をまとめ、その後、霧笛に参加された。歌うことへの強度、衝動がある。二つの歌どちらも、復興の進む街への、その復興の在り方への異議申し立てである。
◆照井由紀子さんから大船渡詩の会発行「あれから10年 けせんの詩人たち」が届いた。
◆月刊ココア共和国4月号で、第1回の秋吉久美子賞、いがらしみきお賞、そして、第6回YS賞の発表があった。

付録1〈霧笛へのお便りの紹介〉
◆東京の吉田妙子さんは長く『霧笛』を愛読され、折に触れて感想をいただく。一三四号について、
「小田亜希子さんの表紙、好きです。マスキングテープであれだけ特徴を表現できる…。西城さん「影」、吠えられるという表現面白い…確かに(過去の痛み、影の部分に)吠えられることはあって、立ち止まり振り返ってしまう。…小野寺せつえさん「愛情」、私も同じ経験をしてきました。(母が送る)箱の中は愛情のびっくり箱。…及川さん「「天空ヒマラヤ部族」を見て」、生きるさまが厳粛さそのもの…あこがれる。千田さん「現在を楽しむこと」、もう激しく同意です…世の中全体の成長もいらないですね。」
 続けて、一三五号についても、
「小田亜希子さんの表紙…。無駄なく表現している…。千田さん「月の窓」、暗い部屋に差し込む月の光の筋が目に浮かびます。細長い窓とぴったりはまる丸い月のバランス…。「雨」、とてもなまなましい…読んでいるだけでねっとりじっとりしてくるような…生命の潤い、みずみずしさが…。及川さんの「朝 窓辺で」〈無音との共振〉…しずけさに自分がのみこまれてなくなるような感覚…。西城さん「あと何年」〈無常〉だからこそ希望がある…エールを送りたくなる…。「万緑」、…とても元気が出ます。〈あと何年〉とぐるぐるしそうになったら、〈木々の間に身を置く〉のがいいですね。小野寺せつえさん「そっちは 寒くない?」、日本中のお母さんの声…うちの母も…そうでした…。小野寺正典さん「晴れた日には雲になって」、雲が好きで、よくぼうっと眺めます。…雲に〈喜びはあるのか〉と聞くことに…自分自身の不甲斐なさ、…無力感、いや申し訳なさ?を感じました。」
 こういう読者の存在こそ、霧笛継続の力、有り難いことである

付録2〈編集後記〉 長尺バージョン ※いったん、ここまで書いて、スペースに合わせて絞り込んだ。
◆震災から十年経つ。コロナ騒ぎも一年を超えて続く。我々が地球上に生きている限り、天変地異から逃れることはできない。人間の生活は、地表近辺のごく狭い範囲の危うい安定を前提としてこそ成り立つ。災害は克服しきれるものではない、なんとかやり過ごすというふうにしか、人類は持続することができない。ところで、言うまでもなく、地球の外にユートピアはない。地球の上こそが楽園であり、同時に失楽園でもある。
◆現代詩手帖の3月号、震災アンソロジーとして、詩、俳句、短歌が取り上げられる中で、気仙沼市百一歳、菊池謙さんの歌「海ゆかばみづくかばねと十字切る強き地震の襲ひ来る夜」が取り上げられている。そして、熊本吉雄さんである。「とりあえず通販で買ったような町 なんかイヅイなあ もぞもぞ歩く」また、3月3日付の河北新報「10年の震災詠選」にも、「外来種の店がにょきにょき生えてきて更地占拠し町は二度死す」が選ばれている。熊本さんは、震災時、市の職員として、文字通り多くの死体に正対した後、まずは短歌を始め、歌集をまとめ、その後、霧笛に参加された。歌うことへの強度、衝動があるというべきである。二つの歌は、どちらも、復興の進む街への、その復興の仕方への異議申し立ての歌となっている。
◆照井由紀子さんから「あれから10年 けせんの詩人たち」が届いた。大船渡詩の会発行。会長の簡智恵子さんはじめ、照井さん、また、元霧笛同人の横澤和司さんら十七名の、震災から十年の節目の年の詩が掲載される。照井さんは「次に曲がれば」、「あの日 暗く塗りつぶされた日常に」から始まって「感情は 金縛りにあったかのように動かない」、しかし、そこから、苦しみながらもようやく次に曲がって、明るい兆しを掴みはじめる現在を描く。ケセン語の山浦玄嗣氏が詩「また立ち上がる!」を寄稿なさっている。「エリ・エリ・レマ・サバタクニ(神様、どうして俺をお見捨てなされた?)」という、十字架の上のキリストの断末魔の言葉を引いて、しかし、それはその後に「救いを求めて叫ぶものを神様は見捨てない」と続く旧約聖書詩編の言葉なのである、と記す。そして、ケセンの人々は、「また立ち上がる!」我々気仙沼人も同様である。
◆及川良子さんの今号の原稿送付の手紙に、マンガ家いがらしみきおさんがココア共和国二月号に掲載した4コマ詩を取り上げ、「スピノザのエチカのことばがー。キリスト教会と対立してキリスト教の神はいらないと主張し続けた人。心が震えます。あんな古い時代に。この短い世の中で、どれだけ知らないことに辿りつけるのでしょう。どれだけ知らない人に辿りつけるのでしょう。楽しみですね。」いがらし氏の詩は、一コマめ「スピノザは言う/神とはこの宇宙/自然そのものである」と始まる。スピノザの言葉に出会って、いがらし氏は「占いに当たったみたいな気分だった」。良子さんもまた、そこから何ごとか感受した。知らないことに出会いつづけるこの感受性が良子さんの才能である。
◆月刊ココア共和国、4月号で、第1回の秋吉久美子賞、いがらしみきお賞、そして、第6回YS賞の発表があった。いまここに大きなエネルギーの集積がある。十~二十歳代からを含む膨大な数の投稿を毎回読み、選考し、まとめ続けた秋亜綺羅氏、佐々木貴子氏の仕事は素晴らしいものである。功績は大となるであろう。
◆いつも霧笛をお送りしている絵本作家で紙芝居作家の長野ヒデ子さんから、昨夏、「鎌倉えほん作家通信」の第2号をお送りいただいた。鎌倉在住の絵本作家24名が、ひとり1ページづつ「コロナのあとさき」というテーマで近況を綴っておられる。絵がついたり、文字が手書きであったり、単色刷のパンフという体裁であるが、大変に贅沢なものとなっている。いちいち個別のお名前は上げないが、貴重なコレクターズ・アイテムと言うべきものに違いない。
◆小田亜希子さんの表紙、今号は、エミネム。ヒップホップのアーティスト。

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