富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「ナザレの会堂で教えるイエス」ルカ4章16~30節

2023-01-17 16:38:22 | キリスト教

↑ヘルブラント・ファン・デン・エークハウト オランダの画家      「ナザレの会堂でのキリストの教え」1658の作品、所蔵:National Gallery of Ireland, Dublin(メシア・イエスに対する疑いと拒絶の態度が描かれています。イエスは故郷ナザレで受け入れられませんでした。)

〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本福音教団 富 谷 教 会    週  報

降誕節第5主日  2023年1月22日(日)  午後5時~5時50分

       礼 拝 順 序                    

                司会 斎藤 美保姉

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)   4(世にある限りの)

交読詩編    111(ハレルヤ。わたしは心を尽くして主に感謝をささげる)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳) ルカによる福音書4章16~30節(新p.107)

説  教   「イエスによる宣教の開始」 辺見宗邦牧師

祈 祷                                                  

讃美歌(21) 518(主にありてぞ)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷             

後 奏

〇オン・ラインで礼拝に参加できます。090-3365-3019(辺見牧師)に、

申し込み下さい。

         次週礼拝 1月29日(日)  午後5時~5時50分

         聖 書 ルカによる福音書21章1~9節

         説教題  「新しい神殿」 

         讃美歌(21) 17 390 27 交読詩編 48

本日の聖書 ルカによる福音書4章16~30節

4:16イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。17預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。     18「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、 19主の恵みの年を告げるためである。」          20イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。 21そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。22皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」 23イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」24そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。25確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、26エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。27また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」 28これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、29総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。30しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。

  本日の説教

イエスはナザレを出て、ヨルダン川に向かい、ヨハネから洗礼を受けました。そのあと、イエスはヨルダンの荒れ野に行き、そこで40日、悪魔の誘惑を受けました。「荒れ野」は、エリコの西の「ユダの荒野(あらの)(ワディケルト=乾燥した渓谷の意)」と推定されています。イエスは荒れ野で悪魔の誘惑に打ち勝たれました。 

                                            イエスは、「霊の力に満ちて」ガリラヤに戻り、公の宣教を開始しました。その評判は周りの地方一帯に広まりました。イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられました。                                           ルカ福音書は、以上のように、4章14節-15節で、ガリラヤの宣教をまとめて報告し、ガリラヤ宣教の詳細は、4章31節以下に記し、最初にナザレでの宣教について記します。イエスが郷里でどのようにあしらわれたのか、その排斥を伝え、それによってイエスの地上の生涯を予表するためでした。

 【マタイによる福音書では、洗礼者ヨハネの逮捕を契機として(マタイ4:12)、ヨハネによる福音書では、サマリヤの女との出会いの後で(ヨハネ4:43)、イエスはガリラヤへ「退いた」と表現しています。ナザレで受け入れられない記事は、マタイ13:53~48、マルコ6:1~6に記されています。】

イエスはお育ちになった故郷のナザレに来て、いつものとおり安息日に礼拝をするためシナゴ―グと呼ばれる会堂に入りました。聖書を朗読しようとしてお立ちになりました。会堂の係りの者から預言者イザヤの巻物が渡されたので、お開きになり、イザヤ書61章1節のことばを見つけました。2節にある「神が報復する日」を省いて朗読されました。それはユダヤ人を喜ばせる他民族への神の報復の預言だからです。イエスは民族の差別をされないのです。

 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。(イザヤ書61:1)」

主イエスは、ナザレの会堂で、この神による解放を告げる言葉を読んだ後、巻物を巻いて係りの者に返し、席に座られました。会堂にいたすべての人の目がイエスに注がれました。そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められました。これは、実に大胆で驚くべき宣言です。イザヤの預言は今日実現した。自分こそ、その神が遣わされたメシア(救い主)であるという宣言です。この宣言は私達の上に神の国は始まっていることを表します。もちろん、完成していません。だから、私共は御心が天になるごとく、地にもなさせ給えと祈りつつ、神の国の完成へと歩み続けているのです。

 イザヤ61章は、第三イザヤ(B.C.539~441)と呼ばれる預言者の書いた預言書(56章~66章)の中にあることばです。第三イザヤは、ユダヤ人の祖国帰還と第二神殿再建(B.C.515年)直後まで活動した預言者です。第三イザヤはバビロン捕囚からイスラエルが解放されることを、主によってモーセが定めたヨベルの年と関連させて預言しました。                                     ヨベル(雄羊の意)の年とは、五十年ごとに、「国中に雄羊の角笛を吹き鳴らして始まる、全住民に解放を宣言する年」です。すべての負債は取り消され、借金のかたのために奴隷になっていた者は解放され、所有物は最初の持ち主に戻る年です(レビ記25章10節)。バビロンからの解放もヨベルの年のようになるだろうと第三イザヤは預言したのです。貧しい者や不当な扱いを受けている者は救われ、囚人は釈放され、敵の圧迫によって打ちひしがれていた者は解放されるであろう。彼らは喜びつつ故郷に帰ることができるだろう。バビロンからの帰還は、すべての人が自由になる<主の恵みの年>となるだろう、と預言したのです。                                                  主イエスは、このヨベルの年、「主(神)の恵みの年」があなたがたが耳にした「今日」、実現したと告げたのです。それは、この言葉を読み、この言葉を語っている自分が、メシヤであり、主から油を注がれた者、主の霊がとどまる者であることを伝えています。

皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚きました。しかし、「この人は、ヨセフの子ではないか」、大工のせがれではないかと言って、イエスがメシアであることに疑問を抱き始め、イエスを信じようとはしませんでした。イエスはその心中を見抜いて、「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない」と言われました。                                                   イエスがカファルナウムで病気を癒し、悪霊を追い出す力ある業をなされたことを聞いている郷里の人々は、同郷人としてのイエスへの近しさから、このナザレでもイエスの行う奇跡を見たいし、見せてもらったら信じようという彼らの思いをイエスは見抜かれたのです。彼らがしるしを求めたのは、イエスを試そうとする疑いであり、不遜な罪であり、不信仰以外の何ものでもありませんでした(申命記6・16)。イエスはその不信仰を見抜かれ、彼らの要求を拒否されたのです。

さらにイエスは、「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。」と言われ、旧約の預言者エリヤ(列王記上17:8~14)も、エリシャ(列王記下5:1~17)も、神の恵みを非ユダヤ人に与えたことを話しました。                                    エリヤ(B.C.870~850年頃活動)は、北イスラエル王国の七番目の王アハブの時代に活躍した預言者です。アハブは北イスラエル王国の中でも最悪の王で、公然と異教の神バアル礼拝を行いました。列王記上21章に記されているナポトのぶどう畑を、アハブとイゼベルが偽証と殺人という不当な手段によって奪い取ったことに対する神の罰として、エリヤはアハブ王に神の裁きとして干ばつが続くことを予言しました。

 ヨルダン川の東にティシュベと、その下にケリトの川が記載されています。また、地図の左上の方に、サレプタの地名も載っています。エリヤがアハブ王と対決したイズレエルもイスラエル(王国)の名の上部に載っています。

エリヤがアハブと対決したのは、イズレエル平野の中心部にあるイズレエルの町でした(王上21・18)。エリヤは神に命じられてヨルダン川の東にある、郷里ティシュベに近いケリト川のほとりに身を隠しました。神がからすに命じて、朝に、夕に食事を運ばせて、エリヤを養いました。三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こり、ケリテ川の水が涸れると、エリヤは神に命じられて、シドンに近い、地中海に面するフェニキヤのサレプタに行き、そこに住む貧しいやもめに養われました。このやもめは、一握りの小麦粉とわずかの油が残っているだけで、それでパンを焼いて食べた後は、死ぬことを覚悟していました。「再び雨の降るときまで、壷の粉は尽きず、瓶(かめ)の油はなくならない」とイスラエルの神は言われると、エリヤは女に預言しました。そしてそのとおりになりました。この女の息子が病気になって死んでしまったとき、嘆き悲しむこのやもめのために、エリヤは神に祈って、その息子を生き返らせました。

イエスは、「イスラエルには多くのやもめがいたが、エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた」と話しました。

エリヤの後継者エリシャ(B.C.855~800年頃活動)の時代、北イスラエル王国の北隣の国アラム(シリア)の軍司令官ナアマンの皮膚病をヨルダン川の水で癒した(列王記下5:1~14)のは、その一つです。アラム軍の司令官ナアマンは、アラム王に重んじられる勇士でしたが、重い皮膚病(ハンセン病)を患いました。妻の召使いをしていたイスラエル人の少女が、女主人に、「サマリアの預言者のところに行けば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょう」と言ったことから、ナンマンは王にそのことを伝え、王の承諾を得て出かけ、エリシャの家に来て、その入口に立ちました。エリシャは使いの者をやってこう言わせました。「ヨルダンの川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります。」

それを聞いて、ナアマンは、患者の自分を診ることもしないで、ヨルダン川で身を洗えという、エリシャの指示に憤慨しました。

しかし、ナアマンを家来たちがいさめたので、預言者の言葉どおりに下って行って、その通りにしました。すると、彼の体は完全に元に戻り、清らかになりました。エリシャは、治療が呪術によるのではなく、全能の神への信頼によることを明らかにしたのです。ナアマン一行は、ヨルダン川から引き上げてきて、「イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。」と言って、イスラエルの神への信仰を告白しました。

イエスは、「イスラエルには、重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」と話しました。

このシドンのサレプタのやもめも、シリアの司令官ナアマンも、イスラエルの人々から見れば、ほんとうは救いから漏れていた異邦人です。イスラエルの人々は自分たちが救われるのは、アブラハムの子孫であり、神に選ばれた選民として当然だと思い込んでいました。主イエスはナザレの人々も同じような思い込みに生きていると言われたのです。イエスによる救いは、民族宗教の枠内に制限されるものではなく、それを超えるものであることをエリヤ、エリシャの例で示したのです。

神の救いの恵みは、どんな条件も特権も必要のない、神の憐れみによるものです。ただ信仰によって与えられるものであり、神の救いはすべての人のためのものです。神がアブラハムと結んだ契約(創世記22:18)によれば、神の恵みはすべての人々に及ぶものでした。それを知っているはずなのに、異邦人を汚れた民としているイスラエルの人々は、神の恵みが異邦人に及ぶことを是認することができないのです。それは彼らの狭い民族意識によるものであり、彼らの誤った誇りによるものでした。

イスラエルの人よりも、シドン地方のサレプタのやもめや、シリア人ナアマンの方が神の恵みを受けた、というイエスの発言を聞いたナザレの人たちは皆、激しい憤りと殺意に変わり、彼らは「イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそう」としました。しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られました。このように、主イエスは、故郷のナザレでの宣教の開始ときから、十字架への道を歩むのです。イエスのナザレで受けた排斥は、やがて律法学者やファリサイ派の人達や、エルサレムの民衆によって排斥されることになり、主イエスは十字架と復活への道を歩むことになるのです。

罪のために死の運命を担わされている私たちを、罪から解放して神の子とし、永遠の命を与えるために、このような苦難の道を主イエスは歩まれたのです。私達の上にも神の国が始まっていることに感謝し、新しい年、2023年も、「主の恵みの年」として迎え、主をほめたたえ、神の国の完成を祈り求めつつ過ごしましょう。

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