毎日のできごとの反省

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習近平とは

2023-03-17 14:48:32 | 支那大陸論

 習近平がいわゆる太子党、共産党幹部の子弟であることはよく知られている。ウィキペディアを調べたら、父は習仲勲というそうである。「毛沢東・大躍進秘録」と言う元新華社通信の記者の著書を見て驚いた。この本には大躍進と言われた毛沢東時代の、引用するのさえおぞましい凄惨な記述がどの頁を開いても出てくるものである。壮大なでたらめ-利水工事(P397)と題する記述がある。3000kmの水路を作り、ダムを二つ、発電所を数十か所建設し、二〇余の件が肥沃な土地に生まれ変わるというのだ。ずさんな計画で膨大な金と人員を投入し工事は三年で中止された。一九五八年の秋に国務院秘書長の習仲勲が現場を訪れて、この工事は世界的な意義を持つとか、共産主義の未来を見せてくれたとか演説したと言うのだ。つまり習近平の父は、文化大革命以前からの筋金入りの毛沢東の子分である。習近平は、就任してからさかんに毛沢東を礼賛している。それは党の引き締めを狙ったとか論評されているが、そればかりではない。毛沢東を礼賛することは、父をも擁護する保身でもあるのだから、習近平の言動にようやく納得できた。

 ところで、先の毛沢東と言う本だが、前述のように、凄惨な記述に満ちている。それをいちいち紹介すると大変な事になるのでほんの一部だけ紹介する。続発する粛清とリンチ(P48)という項には人民公社での非道な行為が書かれている。

「全公社には公社、大隊、小隊あわせて一五一〇人の幹部がいたが、うち、幹部総数の41.5%に当たる六二八人が人を殴った。殴られた者は三五二八人・・・におよび、その場で殴り殺された者五五八人、殴られた後で死んだ者六三六人、障害が残った者一四一人、死に追いやられた者一四人、逃げ出した者四三人である。拳で殴る、足で蹴る、凍えさせる、飢えさせる以外にも、冷水を頭から浴びせる、髪の毛を引き抜く、耳を切り取る、竹串で掌を突き刺す、松葉で葉を磨かせる、火のついた炭を口に押し込む、乳房に熱いコテを押し当てる、陰毛を引き抜く、膣に棒を突っ込む、生きながら埋めるなど、数十に及ぶ残忍きわまる体罰が行われた。」

 「前代未聞の残虐性」(P428)と言う項には「・・・食料隠匿反対運動、窃盗反対運動で行われた刑罰は以下のようなものである。手の指を切る、口を縫い合わせる、耳や踵に針金を通す、布を巻いて油を注ぎ逆さに吊るして火をつける、地面に売った杭に両手の親指を縛りその杭に楔を打ち込む、手足を一つに縛り顔を下向けき背を上向きにする、髪をつかんで地面を引きずる、赤く焼いた火ばさみを口につっこむ、銃殺する、生き埋めにする、など前代未聞の残虐さであった。」湄潬県でこれらの反対運動は一九六〇年一月に行われ、死者は一三二四人に達したと言う。全国ではなくひとつの県のほんの一時期の犠牲者がこの数に上るのだ。そして犠牲者の死体は人民公社の裏の巨大な穴に捨てられたが、人々はこれを「万人坑」と呼んだ。

これらは「人民」が生きんがための努力をしたために処罰されたのだ。これらの行為を見て欲しい。中国で日本軍が行ったとする残虐行為に酷似している。つまり中国人は自分たちならして当たり前の行為を日本軍に投影して嘘をついているのだ。また、虐殺された死体の処置場所が万人坑と自然に呼ばれていることにも注意してほしい。中国人は万人坑をも日本軍を批難するネタに使っているがこれも彼ら自身が「人民に」行ったことなのだ。

 人肉食行為の報告はざらである。「多くの農民は追い詰められ、肉親を顧みることなく家族は離散、子供は遺棄され、死体は道端に捨てられた、李立からの呉芝圃への報告によると、全公社で三八一人が飢えのあまり、一三四の死体から肉を切り取り、家に持ち帰って食べたという。(P50)」「人が人を食うのは別に珍しいことじゃなかった。おれだって食ったことがある。・・・「肉を食えよ」と隊長が言った。「何の肉だ」と聞くと「死んだ豚の肉だ」と言う。・・・「こりゃ豚の肉じゃない」とおれが言うと、「誰かが畑にあった死体から削ぎ取ってきた肉だと言った(ここで筆者を乗せてきた運転手が口をはさみ、人の肉はうまいか、と聞いた。すごくうまい、柔らかいんだ、と余文海は答えた)。」(P60)

「信陽五里店村の十四、五歳の女の子が、四歳くらいの弟を殺して煮て食べた。両親が餓死したため、子供二人だけが残され、飢餓に耐えかねて弟を食べたのである。」(P62)

 P62には「人肉食は日常茶飯に」という項がある。そこには死体の肉を牛肉として打ったのがばれて撲殺された男、墓地に遺体を掘りに出かけたもの同士がはち合わせて喧嘩になり片方が殺して食べたのがばれて刀で殺された者、自分の六歳の子供を絞め殺して食べ、別の人の二歳の子供も殺して食べた三八歳の中農の男が逮捕されて獄死した事件などが書かれている。

ここまで引用したのは人肉食の記述の全てではない。それどころか至る所に人肉食について書かれているからきりがないのである。そして残虐行為の記述も精読して探したのではなく、パラパラ思いつきで本をめくって簡単に見つけたものである。つまりこの程度の事はそこいらじゅうに書かれている。そこで小生は精読するのを諦めた次第である。精読したら恐ろしさで気味が悪く神経が耐えがたい。中国人はこのようなおぞましい社会を作る人たちなのである。

そしてこれらの行為をした人たちは処罰もされていないし、現在でも反省も何も行われていない。それどころかトップの習近平はこの時代を作った毛沢東を礼賛している。中国シンパのある日本人大学教授は最近でも文化大革命は権力闘争ではない、と肯定的に評価している。人間の目と言うのは、まともな理性があっても曇るとどうにもならなくなるものである。

毛沢東の王侯生活(P487)には「毛沢東は肉断ちをしたか」というのは傑作なエピソードである。一九八〇年代の中国の本では、大躍進の飢餓の時代に庶民と苦楽を共にするために肉を三年間食べなかったと書かれている。筆者も若い頃はこれに感動したのだそうだ。ところが「毛沢東遺物事典」の一九六一年四月の項に書かれている西洋料理のメニューは次のようなものだそうだ。

「蒸し魚のプディング、桂魚(スズキ科の美味な淡水魚。ケツギョ)のステーキ、桂魚の揚もの、モスクワ風焼き魚、チーズ味の焼き魚、ポーランド風煮魚、エビフライ・・」なるほど肉はない。しかしこれが豪華な食事でなくて何であろう。公式記録でもこれである。実は毛沢東は豚肉はコレステロールが高い、というので医師が牛や羊の肉を食べるよう勧めていたと言う。そして一九六一年四月二八日にコックや従業員が作った西洋料理の献立には、牛や羊の肉を使った料理が十数種、西洋風スープが一六、七種類書かれている(P489)。要するに牛肉以外なら何でも食べていたのである。多くの人民が飢餓で人肉を食らっていた時期にである。しかも高コレステロールだったのである。筆者が「王侯生活」と書いたのは憎悪であろう。


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