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パール博士「平和の宣言」ラダビノード・パール、田中正明編著

2021-11-12 14:36:41 | 大東亜戦争

○パール博士「平和の宣言」ラダビノード・パール、田中正明編著・亀戸

 パール博士らしく論理的かつ難解。特にインド哲学を語るのは難解。西洋人がいかに非白人を人間扱いしていないか、植民地での非道な行為を論じた部分は日本人は是非読むべし。読書によるものばかりではなく、インドにおける体験だからである。

 小林よしのりの復刊にあたっての序には、パールの原著が絶版になったのをいいことに、一部をつまみ食いしてパールが日本を強く批判したかのように書いた者がいると批判している。自国を悪く言いたくてたまらない異常な日本人は一方では大嘘つきであって、少しも誠実でも良心的な人たちではない。それでいて日本をより悪く言う事が良心の証しだなどと本気で考えているからまともではない。

 第一部のアジアの良心は田中正明氏の筆である。パール氏の日本に対する心情が書かれている。西洋が自己防衛のために、西洋の武器と技術をとりいれたのはよい。しかし日本は、決して西洋を模倣して、その国家主義の私欲を自己の宗教として受け入れてはならない。そして隣国の弱者にたいして無法な行動に出てはならない(P37)、と言うがこれは必ずしも戦前戦中の日本の批判ではない。

パール博士は中国を日本やインドと同じくアジア共通の哲学と宗教の持ち主と誤解しているのは残念である。だがパール氏の思い描く中国とは孔子孟子の時代の中国であってその後の中国とは、蛮人に繰り返し乗っ取られて入れ替わった異人種であって秦漢時代の漢民族は事実上絶滅している。長江、黄河の古代文明を起こした人々と現代中国人とは文化もDNAも何のつながりもないのである。隣国のインドとすら貪欲な紛争を起こしている、現代の中国を見たらパール氏も考えを改めるであろう。

本書には哲学者や歴史家としてのパール博士と法律家としてのパールが登場するが、興味深いのは歴史観と法律家としての見方である。また朝鮮戦争の米軍捕虜を東京裁判のように国際法で裁く、と言った途端にニュルンベルグ裁判や東京裁判はドイツと日本の国内法で裁いたのであって連合国は主権のない日本を代行したのに過ぎない、と詭弁を弄したというのだ。それならば、戦犯は講和条約が締結されて主権が日本に移ると釈放されるものであるのに、それを予測した狡猾な米国はサンフランシスコ条約で戦犯の釈放を制限した。それなのに日本政府は講和条約が史上希に見る寛大で公正なものだと言っているのを批判している(P45)。

奉天の会戦と日本海海戦で日本が勝利して初めて有色人種が白人を負かしたからインドやアジアの独立運動が始まった(P64)と書かれるのは当然で、そのことを日本人は再認識し自信を持つべきである。ただガンジーの不服従の抵抗運動の独立への貢献を強調する半面、日本の侵攻がインド国民軍の成立を促し、それが直接の独立のきっかけになったことに触れていないのは残念である。ただボース亡命に貢献した頭山満翁の寸暇をさいて墓前に花をたむけた、というのはその当時の頭山の不当な悪評を考えるとさすがである。

全般に原爆による世界絶滅への恐怖から、反戦非武装の思想が強調され過ぎている。武器による独立と平和を否定するが、今の世界を見れば考えが変わるであろう。そして益々日本の戦争へのアジア独立への貢献を強く理解するようになると思うのである。ただパール博士らインド人の非武装の思想の淵源はインドが英国の武力で支配されたからではないからである。巧妙な分断と策略によって結局あれだけの広大な地域が少数の英国人に奪われて、暴力によってしか独立できない状態に呻吟したのである。その英国の手法については本書でも抽象的に書かれている。パール博士もガンジーもそのために非暴力の団結に思い至ったものであろう。それゆえにかえってパール氏ですら、英国の卑劣な手段を具体的に語れず抽象的にしか語らないほど辛いことだったのだろう。私には本書で新たに認識した最も重要な点は、ここにあるように思われる。

私は二冊の分厚い文庫本でパール博士の東京裁判の判決を難渋しながら辛うじて読み通した。そこには冷静な論理が徹底している。しかし、判決の最後に有名な「時が偏狭和らげたとき」と云々という文言を書いたとき、明らかにパール氏は興奮していたのである。英国や欧米諸国に対する憤怒に興奮していたのである。あの文言はどう考えても博士の言う純粋な法律に基づく結論ではないからである。だからこそ私はパール氏に親近感と尊敬を抱けるものである。博士が単に冷徹な学者ではなく、情熱の人であることは、パール博士の日本における行動が証明している。この本でもパール博士の判決書でも不思議な共通点がある。翻訳のせいもあり、読解に難渋するが読んでいるうちは冷徹な論理に徹底していながら、読んでしばらくすると、パール氏の情熱を含んだ心情に触れられる思いがすることである。

本書にしはしば登場するトインビーの白人が有色人種を動物以下にしか見ないことへの指摘は傾聴に値する。第二部の世界に注ぐ、では・・・アジアの諸問題を指導し、処理しつつある指導的欧米政治家たちの、そのやり口から判断してみて、少なくともこれらの政治家たちのいう「世界」は、彼らのみの世界であり、「人道主義」は、ある特定の人種に対する主義にすぎないのではないかということを疑ってみる理由がある(P196)、と言って欧米人の欧米中心のエゴを批判している。

第三部の真理と平和では、欧米人の有色人種に対するすさまじい人種偏見を列記している。

遠い過去から遠い将来へかけての人類の進化に関する英語を話す人種の考え方は、世界は将来当然自分たちのものだということである。そして他民族は英語を話す人種に奉仕することによって、神の約束した人類進歩に貢献するとともに、歴史上の宿命的役割を果たすのだと信じている(P221)。

アジアを植民地支配したのは英国以外にも多いのに「英語を話す」と言っているのは、英国のインド支配がつい口についたものだろう。またトインビーの言葉を引用する。「われわれは彼らを歩いている樹木ぐらいにしか考えず、たまたま出あった地方に棲息する野獣としか考えていない・・・西欧人の先駆者が切り倒した森の木々あるいは彼が射落とした大きな獲物のように、彼らの命は一時的であり、もろいものである」「・・・これら゛土着民゛を、放逐さるき有毒動物として、とり扱うであろう。『黒人は魂を持っていない』とすればほかに考えてやる必要はない」(P225)つまり有色人種とは白人にとって動物以下の存在である、ということである。我々が欧米人と付き合う時は、潜在的には、このような意識が彼らには厳として存在することを脳裏に描いておかなければならない。そして博士は、原爆が日本に投下されたのは日本人への人種偏見であるとして・・・彼らの日本人観によれば、これらの人間は根絶さるべき゛有毒動物゛にすぎない、すなわち有罪の、有毒動物である(P226)という米国指導者の言葉を引用している。最近では日本人史家にも原爆投下は人種偏見による、という言説があるが、時期からしてパール博士が初めてこの見解を示したのであろう。

朝鮮戦争における米軍の残虐行為にも言及する。米軍の爆撃は、まず高度の破壊力をもつ爆弾の投下で始まり、次に焼夷弾を投下し、最後には焼夷弾による火災を消火している男女や子供たちに機銃掃射をした(198)、という英国人の目撃者の証言を紹介している。これは日本本土空襲でも行った米軍の常套手段に過ぎない。また朝鮮人の夫人の証言を米国人の調査員が聞きとったとして、米兵は夫を殺し子供を踏みつけて殺し、母は二人の米兵によって強姦された(p200)、と書く。しかし間接証言であるから全くの真実とは断言できない、としているのは法律家らしい。東京裁判の判決書にもこのような態度が貫かれている。

パール博士が最も憤っているのは西洋人による過酷な植民地支配であろう。オランダはインドネシアで現地のあらゆる産業を破壊し、それに代わりコーヒーとインディゴ染料の強制栽培を行った結果飢饉が起こり、ジャワのある地方では人口が半分以下になってしまった(p209)。また一九三六年のオランダ領インドネシアではヨーロッパの人口は全体の0.5%しかないのに、収入の65%を奪い、97.5%もいるインドネシア人は僅か20%しか受け取れず残りは他のアジア人が受け取った(p209)、という恐るべき収奪を紹介している。

日本人は記憶すべきである。この凄まじい収奪が欧米植民地の本質であって、日本による朝鮮と台湾の支配はこれに比べれば植民地とは言えない。しかも欧米人は過酷な支配に少しでも抵抗した者たちを、平然と殺害したり飢餓に追い込んでいる。これらの犠牲者には女性や老人子供がいるのは当たり前であった。彼らの抵抗とは武器で反乱を起こしたのではない。食糧を持っていくと飢えるから止めてくれ、と懇願する程度の話なのだ。

パール博士が処刑されたA級戦犯の家族や獄につながれたBC級戦犯にしばしば会いに行き、彼らが無罪であると慰めている事実がある。博士の言動まで利用して日本の侵略戦争批判をする人たちは、良心があるならそんな卑劣な行為はやめるべきである。

第二部の世界に注ぐ、では、国際裁判と称して、ニュルンベルグと東京で裁いた彼らの二つの裁判、これに適用した二つの法律が「実は二つの裁判所に限った法律であった」ということを、いまになっていいだすのは、法律を侮辱するもはなはだしいといわなければならない。法律という名に価しない法律である。いいかえれば、一部のものにたいする法律は、法律ではなくして、リンチ(私刑)に過ぎない(P154)。

リンチと断言しているのはパール博士だけではない、というのだ。二つの軍事裁判なるものを実施した国々自身が、二つの裁判所に限った法律であった、と認めることによって間接的にリンチであったと認めているというのだ。パール博士が日本を無罪と言っているわけではない、と主張する人たちはこの言をよく読むがよい。日本は無罪であるばかりではない、東京裁判は欧米によるリンチであったとさえ言っているのだ。リンチを行うものは犯罪者である。本書を再刊されたことに感謝する次第である。



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