毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

我敵艦ニ突入ス

2021-09-03 21:05:52 | 大東亜戦争

我敵艦ニ突入ス 駆逐艦キッドとある特攻、57年目の真実 平義克己 扶桑社

 在米の日本人弁護士が駆逐艦キッドに体当たりしたパイロットの氏名を根気よく特定する話である。軍事知識のない著者が調査しているうちに特攻に関する色々なことを感じるようになってくる過程が興味あるところである。この点は是非読んでいただきたい。ただいくつか気になることがある。

 米軍兵士が日本兵の遺体から頭蓋骨を取り出して土産にする、というのはまれなできごとではない、ということである。日本では信長が敵将の頭蓋骨で酒を飲んだという話があるが、これは日本人にとって例外的で残忍なものとして扱われているし、そもそも時代が何百年も全く違う戦国乱世の時代である。仲間が日本兵の頭蓋骨を取りだしたことを怒る米兵も書かれているが、これは米国人にも平均的米国人よりかなり良心的な人がいる、という当り前な事の証明に過ぎない。

 さらに、日本にも秀吉の朝鮮出兵の際に、戦果を数えるのに敵兵の鼻や耳を削ぎ取ったというエピソードがある。ところが、米軍はついこの前のベトナム戦争で同じことをやったのである。戦果を誇示するためにベトナム人の耳を切り取って、ジープの無線アンテナの支柱に刺して得意げに走りまわっていたのである。秀吉の配下はさすがに切り取った鼻や耳を弔って鼻塚を作った。しかし江戸時代に林羅山は鼻塚はむごいというので名称を耳塚にした。それにしてもそれから400年も経って同じことをして、むごいとも思わずはしゃいでジープを乗り回していた米国人の民度が知れる話である。しかし、日本は現在その米国人よりもはるかに野蛮な支那人と対峙しているのである。

 米海軍水兵がパラシュート降下した日本人パイロットを射殺した、というエピソードも当たり前で、日米双方にこのようなとき助けたケースと殺したケースがあって、どちらが人道的であったと一概には言えない、というのは筆者のいうとおりである。パラシュートで降りようが戦闘中には違いなく、助けたのが美談で、殺したのは国際法上は普通の戦闘行為である。ただ日本軍は日本本土爆撃のように計画的にしかも大規模に米民間人を殺すことはしなかった。

パールハーバーでも日本は民間人を避けて攻撃している。米国の真珠湾攻撃の映画で、病院を日本機が爆撃したシーンがあるが、史実に反する悪意のあるものである。米兵が日本軍の野戦病院に残された負傷者を皆殺しにしたことは珍しくないのは事実である。玉砕とは米軍が生き残った負傷兵にとどめを刺したのである。いくら銃撃されたとて、死者の倍以上は負傷して行動不能になって生き残っている。それを丹念に殺してまわったのである。現に海兵隊の将校は捕虜は獲らないと公言している。

 逆に特攻隊員の遺体を水葬にしたのも例外ではないようであるのが、やはり複雑なところである。シドニー湾攻撃の特殊潜航艇の乗員を海軍葬にしたのと同じで米国人にもオーストラリア人にも、勇気ある行為に敬意を払う、という精神があるのが支那人との違いで日本人には共感できる。 蛇足ながらノットの表現で間違っている箇所がいくつかある。P89の注にあるように、1ノットは速度の単位で時速一浬のことである。従って「時速1ノット」とは言わない。単に1ノットというのである。

気になる間違いもある。著者は攻撃隊の突入し時間を算定するための飛行距離を計器速度で計算している。しかしピトー管で測られた計器速度は対地速度ではなく対気速度である。正確に言えば空気の密度が小さくなると、つまり高空にいくと同じ速度で飛んでも計器速度は地上付近での対気速度より遅く表示される。海面上を巡航すると燃費が悪いので大部分は高空を飛ぶから計器速度は真の対気速度よりかなり遅く表示されていて飛行距離の計算はあてにならない。

著者は計器速度を元パイロットに聞いて推定しているのだから、そのことを元パイロットが注意しなかったというのは合点がいかない。むろん正確には計器速度は標準大気圧における対気速度に換算しなければ実際の速度は出ない。当時の計器にはそのような補正はされていない。さらに速度から位置を計算するために対地速度にするには風速と風向を知らなければならないが、これは不可能に等しいから言うまい。そして対地速度と計器速度による距離計算の誤差によって、筆者の推定が間違いであったとは断言できないことも付言する。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
戦争のイメージ (rakitarou)
2021-09-10 06:46:41
いつも興味深い投稿読ませていただいてます。
為政者は別として、兵士として戦う一般庶民にとって「戦争のイメージ」というのは各国、その時代、戦う相手によってかなり異なる様に思います。日本ではほぼ全員「戦争」というと第二次大戦の事ですが、米国ではイラクアフガンの戦争イメージが浮かぶと思います。当時の米国人にとって日本との戦争は「米国原住民」への討伐、せいぜい日本が中国相手に戦うイメージと同じだったと思います(自分たちと同じ文化レベルの人間相手とは全く思ってなかった)。第一次大戦時の欧州人にとって戦争のイメージはそれ以前の王侯貴族同士の戦争のイメージで勝った方が土地財産根こそぎ取って良い的なものだった様に当時の記録映画など見て思いました。しかしその後戦争が長引くにつれ、現実には単なる殺戮のし合いであることが解ってイメージがどんどん変わっていった様に思います。
コメントありがとうございます。 (猫の誠)
2021-09-10 14:33:33
西欧人は対日戦の場合にある場合は、自分たちと対等な人間として扱う場合と、そうではない二重規範があるようにおもわれます。
 ところで貴ブログを見るとHs126というのはかなり大型の機体なのですね、

コメントを投稿