親分、宗教には一神教と多神教があると言われますよね。キリスト教やイスラム教は一神教ですよね。ところで仏教も一神教なんでしょうか?
仏教は一神教という言い方はしないよね。でも、多神教では勿論ないよな。
仏教では普賢菩薩とか文殊菩薩とか大日如来だとか阿弥陀如来だとか、色んな仏様があるじゃないですか。その辺の区別はどうなっているんですか?
確かにな。お寺によって拝む対象がいろいろあるよな。でもな、仏の世界というのは本来一つしかないんだから、その菩薩とか如来というのはその仏の世界に導いてくれる先導役みたいなものと考えたらいいんじゃないか。
じゃあ、お釈迦様を神とする一神教と考えてもいいんですか?
いやいや違うよ。釈迦だって仏様そのものではないんだからな。釈迦は仏の世界を始めて覚った人なんだよ。修行の結果、人間と仏の関係をはっきりと認識した人なんだよ。そして人間はどうすれば、仏の世界を知ることが出来るかを教えてくれたんだよ。だから釈迦はあくまで人間なのさ。
そうですか。じゃあ、キリスト教で言う神に当たるのは仏教では仏なんですね。その仏が全ての世界を作り、支配しているんですか?
そうじゃないんだな。仏の世界は「空」なんだよ。「色即是空」の「空」なんだ。もともとこの世界は「空」で出来ているんだよ。それに気がつかないだけなんだな。それに気がつくためには仏教の修行をひたすらすることなんだ。お釈迦様のような修行をしたら皆それに気が付くんだが、中々それは大変なんだな。
解ったような、解らないような話ですね。じゃあ、仏とは「空」であって、仏様という神のような存在ではないんですね。
まあ、そういうことだよ。神の様な存在ではない。でも、間違いなく、覚った人には仏の存在は解るんだ。
でも、そこまで行く人は滅多にいないんでしょう。普通の人じゃ無理ですよね。親鸞さんとか、日蓮さんとか、そういう特殊なお坊さんだけですよね。
いやいや、そうじゃないぞ。もっと沢山の人たちが仏の世界に気付くことが出来るんだよ。
噓でしょう。じゃあ、お釈迦さま以来で仏の世界を知った人の数はどのくらいいるんですか?100人位ですか、1000人位ですか?
そんなもんじゃないよ。何万人も何十万人もいると思うよ。でもな、覚ると言っても、そのレベルは違うと思うんだが、絶対に大勢いるよ。お前だって、勉強すれば、覚れるかも知れないぞ。
どうすればいいんですか?座禅ですか?読経ですか?どこかのお寺に行ってやるんですか?
それは好きなようにやればいいんだよ。お寺に行く必要はないよ。座禅も読経も肝心なことは精神の統一なんだよ。雑念を排して、一心不乱に取り組むことが大事なんだな。座禅でも、お経を読むでもいいから、とにかく続けることだな。
親分はどうやっているんですか?
俺は「般若心経」を読んだり、仏教に関する本を読んだり、少しづつやって行こうと思っているよ。焦ったってしょうがないからな。悟りにしたって、自分なりの悟りでいいと思っているんだ。だから続けていれば、いつかは何か解るんじゃないかと思っているよ。
解りました。焦らず、少しづつやって行きますよ。
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