幸喜幸齢 生きがい 日記!       

八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

中国街道を歩く

2022年11月24日 | 江戸・中国街道歩き旅(大阪高麗橋ー兵庫西宮宿)
中国街道を歩く

 今年6月に鹿児島薩摩藩・鶴丸城址から北海道松前藩・松前城までの街道歩き旅を終えたが、その日々はこのBlogでも記載してきた。
大阪文学学校の先輩・Nさまから中国街道があると教えて頂いた。

 早速調べてみると、京街道の起点地でもある大坂城下の高麗橋から難波橋、淀川を十三の渡し、神埼の渡し、大物浦、尼崎城下などを経由して西宮本町で西国街道と合流する中国街道がある。資料によれば、参勤交代で江戸へ上下する西国の諸大名は、豊臣秀吉の大阪城下を通るのを避けて、京都から西宮を経ていたとあり、中国街道は主に西国諸国との物流に利用されていたようだ。
 この三角分岐点が何とも悩ましい。だがせっかく情報をいただいたので、その部分を埋めたく歩いてみることにした。
(*画面をタッチすると拡大します)

朝7時、淀屋橋からスタート 
目の前の御堂筋や大阪市庁舎周辺も黄葉
 

土佐堀川と日本銀行大阪支店
 

フェスティバルホールと対岸の三井住友銀行本店
 

道修町通りを歩く
 

街中の少彦名神社 こ界隈は薬の町だ
 

淀屋橋から周辺を散策しながら起点地の高麗橋へ向かう 
往時の街道は戦災の為、周辺は大幅な区画整理をされ、忠実に辿ることはできないので随時ポイントを探し歩く事とする
今回は中国街道と併走する大和田街道を経て西宮宿へ向かうルートを選んだ

高麗橋に着き出発 
大阪市中央区の東横堀川に架かる橋 江戸時代から明治にかけて高麗橋は京街道、中国街道、暗越奈良街道、紀州街道、亀岡街道の起点地となり高札場が設置され、里程元標が置かれて西日本の道路距離計算の起点地となった重要な公儀橋だったという 
ここから中国街道を行く
 

 

難波橋(なにわばし)
堺筋の大川に架かる通称ライオン橋 
大和田街道はこの橋が起点地
  

 

中之島の こども本の森(図書館)、中央公会堂、府立中之島図書館、大阪市庁舎、裁判所などを経て土佐堀川を下る 
  

  

大江橋、渡辺橋、肥後橋と大阪は八百八橋と呼ばれるぐらい橋が多い 
 

 

ビル街の川沿いに花や緑があると安らぐ
大阪中之島美術館 今は<ロートレックとミュシヤ>展など
 

玉江橋(中央の茶系の建物は 朝日放送本社)から福島へ向かう
 

福島天満宮からJR福島駅前を経て大和田街道へ
 

この町は占いの町で有名 商店街の売り物は「売れても占い(うらない)商店街」で売っている
 

 

大和田街道別名・梅田街道)起点地は難波橋北詰めー海老江ー姫島ー大和田ー出来島ー佃ーそして左門殿川の辰巳橋を渡って兵庫県尼崎市の大物(だいもつ)に入り、西宮の西国街道に合流するものでほぼ中国街道と併走する
 

海老江八坂神社 
大和田街道西成大橋の親柱がある
  

 

松下幸之助の創業地とあり立ち寄る 今の世界企業・パナソニックもこの町工場から出発したまだご存命の頃、ロータリークラブの例会でお会いしたことがある)
 

 
海老江は戦災被害が少なかったようで古い家並みが残る

淀川大橋(旧西成大橋)を渡る 昔は渡し舟があった
 

 

西淀川区に入り、姫嶋神社へ(別名やり直し神社と呼ばれ、ホタテ貝に縁切りなどの願い事が書かれている)
 

大和田の町に入る(かつての大野川は埋め立てられて公園となっている)

 

旧大和田東小学校と大和田城址の標示 石碑は校内にある 大和田城は海に面した海の城で、毛利水軍からの防衛の為に築城されたとか 1575年に荒木村重が攻め入り落城 その3年後に織田信長の命により再築城、だが廃城資料などがなく幻の城のようだ 

 

 

 

神埼川に架かる千船大橋を渡り佃、出来島を見る
 

左門殿川の辰巳橋を渡り尼崎市に入る(辰巳橋遺跡があるように鎌倉時代から江戸時代に至る多量の遺跡が出土している古い地域だ)
 

大日本紡績(ユニチカ)の旧工場跡

 

残念さんの墓(尼崎市大物町大物公園内大物主神社 大物崩れ戦跡など巡る
 

昔の船着き場跡と大物(だいもつ)橋跡碑
 

大物川緑地で一休み
 

尼崎市立歴史博物館をみる
 

 

尼崎城址 は元和3年(1617年)、江戸時代初期に築城された平城(別名・琴浦城)で今は石垣、土塀、一部天守閣も復元されている
 

 

JR尼崎駅前と本戎事代主神社
 

 

   

 

海抜がマイナス0.2mの地  は初めてみた
 

 

琴浦神社
小学校の前で一休みをしていたら、登下校の警備員の人から声をかけられた 
「歩いてられるんですか いいですね この辺は昔一面のいちご畑でしたわ この先の右に曲がったところに資料館がありますよ もう少しで武庫川を超えたら西宮市ですわ・・・」と、最後はいつもの「健脚ですね うらやましいですわ 私らもう歳なんで おいくつですか えっ私より10歳も上ですか?」

中国街道の標示版と琴浦神社
 

雉ガ坂伝説地 岡太神社 鳴尾の孤松 西宮市里中町を巡る
武庫川を渡り西宮市に入る 橋の上に多数のカワウが羽を休める
 

 

 

 

 

目的地の西宮神社に到着
 

西国街道との分岐点 
夕暮れの西国街道 西宮神社 西宮宿 に着く
現代の道では近道がいくつもあるが、当時の街道を歩くとなると大回りをして歩く事になり相当時間がかかった 
 

歩き疲れたが熱い風呂でしっかりとフォローした。
 

中国街道(高麗橋ー西宮宿)
 11時間 39.2㎞ 5.2万歩
*総計に加算する

「街道歩き4000km」の旅は
総計161日間  4162.7㎞  602.9万歩

これにて<街道歩き旅>の全行程を終える


コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 生き甲斐 | トップ | 落葉の千里南公園 青春とは »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おめでとうございます。 (原村)
2022-11-23 17:11:45
偉大な目標を達成した充実感は本人しか分からないかもしれません。
でも、強い意志と強い肉体が無ければ達成できなかったとおもいます。

心にこみあがる満足感と充実感に乾杯です。

羨ましい一語です。

素敵な秋を。

コメントを投稿