みのおの森の小さな物語     

明治の森・箕面国定公園の散策日記から創作した、森と人と自然に関わる短編創作物語集 頑爺<肇&K>

*綾とボンの絆  

2020-11-28 | 第10話(綾とボンの絆)

箕面の森の小さな物語(NO-10) 

<綾とボンの絆>

  箕面山麓坊島(ぼうのしま)に住む89歳になる綾(あや)さんが、1月の寒い朝、自宅でボヤ騒ぎを起こした。  愛犬のボンが激しく吼えてなければ近所の人も気づかず、全焼するところだった。 それで綾さんは視力も体力も衰え、もう一人で生活する事が難しくなったので、市や福祉の担当者に勧められ、森の中の老人ホームへ入る事になった。

  綾さんの夫 雄一郎はすでに他界し子供もなく、近い親族もいないので、住んでいた自宅は後見人の弁護士から依頼された業者が買い取っていた。  綾さんが一番気がかりだった老犬ボンは、その業者が「大切に面倒みますから・・ それに、たまにホームに連れて行きますから・・」とのことで、やっと自宅を手放す事に同意した経緯があった。  しかし、業者はその後 家屋の解体のさい面倒になり、箕面の山にボンを連れて行き放置してしまった。

  ボンは16年前、まだ元気だった夫の雄一郎が山歩きの帰り道、清水谷園地に立ち寄ったとき、その東屋に置かれていたダンボールの中で クンクン と泣いていた捨て犬だった。 「あんまり可愛くて、可哀想だったから連れてきたよ・・」と嬉しそうに綾に見せたが、綾はその黒いブチの子犬が可愛いとは思えず、正直困ったな~ と思っていた。 子供を育てた事もないので、躾なども不安だった。 しかし、部屋の中を元気にはしゃぐ姿を見ていると、戻すわけにも行かず、それに足元にじゃれつき嬉しそうに遊ぶ子犬にだんだんと情が移り、やがてもう離れられない大切な存在へと代わっていった。

  名前は雄一郎が ボン と名づけた。 雑種でちょっとボンクラなところがあり、それを親しみをこめて名づけたものだった。 ボンはよくヘマをするので、雄一郎はよく「コラ このボンクラめ!」と頭をコツンとする すると、その都度 ボンがおどけた顔と仕草をして二人を笑わせた。 やがて雄一郎は、自分の山歩きに、ボンを連れて出かけるようになった。 ボンも一緒に山を歩ける日がくると、尻尾を大きく振りながら喜んだ。  それから10数年、雄一郎とボンは毎週のように、一緒に箕面の山々を歩いてきた。 

 ところがある日のこと、歩きなれた東海自然歩道最勝ケ峰の付近で、雄一郎が突然発作を起こして倒れた。 その時 ボンは、人気のない山道を人を探して走り回り、その姿を察知したハイカーが気づいて雄一郎にたどり着いたのだ。 しかし救急隊が山を登り駆けつけたとき、もう二度と戻らない体となっていた。 けれどボンは最後まで雄一郎のそばを離れなかった。

  雄一郎の死を信じられないボンは、綾に何度も山へ行きたい仕草をしたり、コツン としてもらいたいのか?  わざとヘマをしたり、おどけたりして涙を誘った。 毎日のように催促するボンをつれ、綾は何度か近くの散歩に出かけていたがある日、いつになく強く引っ張るボンを止めようとして転倒し動けなくなった。

 足を骨折した綾は、それ以降 ボンと外へ出歩くこともできなくなり、一日中一緒に家の中で過ごす事が多くなった。 毎日 独り言で昔話をする綾の話しを、ボンは玄関口の座布団の上に寝ながら、いつまでも聞き耳を立てていた。 そして ときどき ウー ウー と、綾に返事をしてくれるかのように声を発するので、綾もボンと話すことを毎日の生きがいに過ごしていた。

 季節は春になり、暑い夏がすぎると秋になり、そしてまた厳しい冬がきた。 綾とボンの毎日は、ゆっくり ゆっくり と時が刻まれていった。 そして お互いに老体を支えあって生きていた。 それが一変したのが、一ヶ月前のボヤ騒ぎだ。目が見辛くなっていた綾が、牛乳を鍋に入れ火にかけたとき、鍋に張り付いていた紙片に火が燃え移り、危うく大火事になるところだった。 ボンが激しく吼えて危険を知らせてくれたので、隣家の人が気づき、間一髪惨事にならず済み、綾もボンも無事だった。

  あれからすぐに福祉の人に付き添われ、森の中の老人ホームに入ったものの、綾は離れ離れになったボンのことが心残りでならなかった。 唯一、寒い日の時のためにと編んで着せていたボンの背あての一つを持ってきたので、綾はいつもそれをさわってはボンを想っていた。

「いつか犬を連れて行ってあげますから・・」と、あの業者は言っていたのに・・ 思い余って綾は後見人を通し、あの業者に問い合わせしてもらったら・・ 「どこかへ逃げていってしもうた・・」との返事だったと。 ガックリと肩を落とした綾は、その日から生きる望みを失い、食もノドを通らなくなり、日毎 身も心も急激に衰えていった。 思い出すのは愛犬ボンのことばかり・・ 子供を失った母親のごとく、綾は放心状態だった。

  見かねた施設の介護士が、時折り綾を車椅子にのせ、近くの森へ散歩に出かけていた。 小雪の降るような寒い日でも、散歩に出る日の綾は、少し表情が穏やかになるので、介護士もマフラー、手袋、帽子にひざ掛けなど、いつもより温かくして出かけた。 散歩に出ると綾は、いつもキョロキョロと森を見て、何かを探すような仕草をしていた。

 ボンが山の中に捨てられたのはこれで二度目だ。 生まれて間もない頃、雄一郎に拾われなければ、ボンの命はすぐに終わっていたかもしれない・・ その後の生涯を、温かい家族の中で過ごしてきた。  そして16年を経、老体となった今、再び・・ 「じゃまや!」と、心ないあの業者によって森の中へ捨てられた。

  ボンが業者の車から下ろされ、リードをはずされたのは五月山林道沿いだった。 ボンは雄一郎と共に、箕面の山の中を毎週のように歩いたので、地理はよく分かっていた。 ボンはリードを外されたことに これ幸い! とばかり雄一郎を探して森を走り続けた。 

 猟師谷から三国岳、箕面山から唐人戻岩へ下り、風呂ケ谷からこもれびの森才ケ原池から三ッ石山医王谷と下りながら、何日も何日も探し続けた。 谷川で水を飲み、ハイカーが食べ残したもので飢えをしのぎながら。 ボンはどんどんやせ細り、もう余命いくばくもなかった。

 やがて疲れ果て、谷道から里の薬師寺前に下り、大宮寺池の横から家路についた・・ のだが?  懐かしい家がなくなっている? すでに家屋は全て解体され、何一つ無い更地になっていた。 ボンが毎日飲んでいた水受けが一つ、庭跡に転がっていた・・ 家族の匂いがする・・ 綾さんの匂いがする・・ ワンワン ワンワン ボンは我に返ったかのように、ついこの間まで共に過ごしていた綾さんを探し始めた。 

 どこへいったんだろう?  どこにいるんだろう ワンワン ワンワン ボンは必死に叫び続けた・・ ボンは再び箕面の山々から里を歩き、綾さんを探し続けた・・ しかし 綾さんの姿はなく、ボンの体力ももう限界にきていた。 そして 小雪舞い散る寒い日の夕暮れ・・ 奇跡が起こった。

 

 この日も里道をフラフラになりながら探し続けていたボンが・・ うん? と、耳を立て鼻をピクピクさせた。 あの懐かしい綾さんの匂いがする・・ 少し先に、綾さんが車椅子で散歩に連れて行ってもらったときに無くした片方の手袋が落ちていたのだ・・ 懐かしい綾さんの匂いがする・・ どこにいるの?  ワンワン ワンワン ボンは嬉しくなり、思いっきり声の限りに叫んだが、その叫び声は強い木枯らしにかき消されていった。

 この近くに綾さんがいるに違いない・・ ボンは気持ちを奮い立たせ、必死になって探し始めた。 やがて大きな建物の前に出た。 綾さんに似た老人達がいることを察知したボンは、外から必死にその姿を追ったが見つからなかった。 やがて疲れ果て、建物が見える山裾に倒れるようにして体を横たえた。

 

  夜も更け、今夜も眠れぬ綾は、ベットの脇の窓から見えづらくなった目でボンヤリと外を眺めていた・・ 「今夜は満月のようね・・」 もう食もほとんどノドを通らず、気力、体力共に無くなっていた。  その時だった・・

 ワン! 遠くで一言だけど、犬のなく声が聞こえた・・ そんな気がした。 「あれは? ひっとしてボンの声かしら?  きっとそうだわ きっとボンに違いないわ・・」  綾はそれまで一人では起き上がれなくなっていたベットから、自力で窓辺に立ち、やっとの思いで外の小さなベランダにでた。  ボンはいつも自分を励まし、雄一郎や綾さんを探すために、寝ながらも無意識のうちに一言だけ ワン!  と発していたのだが・・

  目の前の建物のベランダに、満月の明かりに照らされて一人の老人が立ち上がったことにボンは耳をそば立てた。 綾はかすれたノドを振り絞るように、か細い声で叫んだ・・ 「ボンちゃ~ん  ボン ボン ボンちゃ~ん・・」

  小さな叫び声が、北風にのってボンの耳に届いた。  綾さんだ!  ワンワン  ワン ワン  ワンワン  「やっぱりボンちゃんだわ  ボンちゃ~ん  ボンちゃ~ん どこにいるの  どこに?  あのあたりね・・ 近くだわ  嬉しいわ  そこにいてくれるのね  ありがとう  ありがとうね 元気そうだわ  嬉しい  うれしい  よかったわ  ボンちゃ~ん  ありがとう・・」

  谷間を挟んで、綾とボンはお互いに声の限りに叫び続けた。 「今夜はようノラ犬が鳴くな~」と、施設の当直が話していた。  綾とボンは、心通わせつつ温かい幸せの世界に浸っていた。 やがてその声も叫びも、いつしか小さくなり、途切れとぎれになっていった。

 

 森の夜がしらじらと明けてきた頃・・ ベランダの下で、小さなボンの背あて編み物を手に,永遠の眠りについた綾さんを職員が発見した。  そして向かいの山裾では、ボンもまた片方の手袋を口にくわえたまま死んでいた。

  箕面の森に明るい朝陽がさしこんできた。 その輝く光の上を、綾とボンは仲良く並びつつ、天国で待つ雄一郎の元へと登っていった。

 (完)



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