吉野ヶ里遺跡(日本100名城) 8 北内郭の建物 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今回は北内郭の主祭殿以外の建物です。

 

主祭殿手前に北内郭唯一の竪穴住居

があります。

これは解説板によると、王の近くで使

える従者の家とありました。『魏志』倭

人伝の卑弥呼のもとに唯一人、出入り

する男子がいたとの記述に従って想

定しています。
この従者は、最高司祭者の神がかりと

なった言葉を聞く役割を果たしていたと

考えられます。

 

吉野ヶ里公園公式Webページより

 

現地でもらったイラストマップです。

青い線に沿って見学しています。

 

斎堂です。

東祭殿と主祭殿の間にある高床式

の建物です。主祭殿の祀りの前に

身を清めたり、祀りの道具を保管

する場所として使われていたと考

えられています。

 

斎堂の解説板です。

 

 

 

高床住居です。

正方形に近い、特殊な形をした

高床式の建物です。主祭殿の

近くに位置していることから、

倉庫ではなく、普段は人前に

姿を見せなかったと言われる

最高司祭者の住まいだったと

考えられています。神聖な人

が住む場所であることから、

1階部分についても網代で囲

われ、建物全体が閉鎖的な

空間になっていました。

 

高床住居解説板です。

 

これは私見ですが、王の住まいが

南内郭に想定されていましたが、

それは北内郭に煮焚き場がない

などから想定されましたが、南内

郭の北の端に煮焚き場があった

ので、料理をここまで運ばせてい

たと考えられます。下図のように

2つの内郭の間はそんなに距離

がありません。

ここが王の住居で、最高祭祀者

は主祭殿に住んでいたと、私は

思います。

 

 

 

北内郭の物見やぐらです。

下図のように4か所に物見やぐらが

あります。

 

私見ですが、

これまで見たように柵の内側に

堀があります。いろいろな城を

見てきたので、柵(塀)の外に

堀があるのが普通でした。

何故かと考えましたが、柵(塀)

の外側が崖とか下り坂になっ

ているので、崖とか坂の上に

土塁(内側の堀を掘った土で)

を築いて高くして、さらに土塁

の上に柵を設けて高い塀を

造ったのだと考えます。

つまり、より高い柵を造るため

に掘った穴となります。

 

解説板です。

見張り台としてでなく、

四方を祀る役目もあり

ました。

 

東祭殿です。

 

北内郭の内堀出入口です。

内堀の外に東祭殿があります。

内堀と中堀の間にあります。

 

東祭殿です。

まつりなどがある度に

建て替えられたようで

す。例えば、伊勢神宮

にある外宮にあたる

ものかと思われます。

 

東祭殿解説板です。

 

今回はここまでで、明日に続きます。

 

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