吉野ヶ里遺跡(日本100名城) 10 北墳丘墓前編 | みどりの木のブログ

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1年ほど前に大阪府の吉村知事は、

大阪大学でコロナワクチンがもうすぐ

出来るとTVで発言していたので、私

を含めた日本人は安心したのですが、

開発失敗ならすぐに公表して、次の

手を打つべきなのに、その後のこと

を何も発表しなかったのは、ワクチン

開発の遅れる原因でもあったと思

います。

 

昨日の続きです。

今回は北墳丘墓です。

展示の一部のみを紹介

します。

 

北墳丘墓の出入口です。

さすがに国営だけあり立派です。

 

中にはいると

 

北墳丘墓の屋内に広い部屋を造り

展示しています。

 

北墳丘墓の甕棺14基の位置です。

 

一般の甕棺と違い少し大きくて、

管玉や銅剣の副葬品があった

り、朱(丹)を塗って防腐剤とし

ていました。

 

身分の高い人は平らな所を掘って

埋めるのではなく、土を盛って墳丘

を築き、その中に埋葬しました。

これは古墳時代の古墳の起源と

考えられます。

 

北墳丘墓の大きさは、南北約40mで

東西は約27mです。高さは約4.5m

あります。

約2100年前の弥生時代に、すでに

国が出来て古墳の原形が造られてい

たのです。

 

弥生時代は2つの階層に分化

していたとありますが、さらに

多くの身分が出来ていたと考え

られます。生口と言われる奴隷

階級や、支配層にも王の下に

家老にあたる身分もあったと

考えられます。

 

北墳丘墓で発掘された管玉が

多数あります。胸飾りとか頭

飾りに使用していたようです。

 

発掘された銅剣のレプリカです。

 

甕棺の内側に水銀朱を塗ったもの

が北墳丘墓にありました。

殺菌作用がるので、死者の頭部

や副葬品にも塗られたものがあ

りました。

 

今回はここまでで、明日に続きます。

 

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