昨日の続きです。
今回は春日山神社から黒金門までです。
下図⑬の春日山神社から
御屋敷に下る道です。
豊臣秀吉の時代になると、
戦いが無くなり安全な世の中
になり、山城では生活が不便
と感じた大名達は山の下に、
御殿を建てて住むようになり
ました。この御屋敷も同様に、
上杉景勝が惣構を造り、家臣
とともに春日山の麓に生活の
本拠地を移したのでしょう。
御屋敷の広さが60×110m
もあるので、小中学校ほどの
広さがあります。
1702年に描かれた古絵図です。
読みにくい字がありますが、この
千貫門より下の、春日神社も含
めた地区に、生活の本拠地を移
したのでしょう。
1694年の古絵図です。
黒金門の上に御屋敷があるので、
そこには本庄など重臣の名字が
書かれています。
景勝の名前があるのは春日山
神社付近(赤枠))です。
神社から下りていきます。
下にお屋敷跡の平地が見えます。
この道の両側も武家屋敷跡です。
御屋敷跡です。
進むと
御屋敷跡です。
画面右外にある道を歩きました。
黒金門方向の道です。
この先に黒金門跡があります。
下図⑳の黒金門跡です。
門跡から下りる所です。
門跡から下りて、振り返り
黒金門跡⑳を撮影しました。
今回はここまでで、明日に続きます。
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