八幡山城(続日本100名城) 8 本丸内枡形まで | みどりの木のブログ

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5年前の更新を再UPしました。

 

 

前回の続きです。

今回は出丸から西の丸に戻り、

本丸内枡形までです。

 

下図⑬付近から⑭方向です。

 

赤い線に沿って歩きました。

 

上図⑮付近です。

下に見えるのが「お願い地蔵尊」

です。

 

⑮付近から見た「お願い地蔵尊」

 

「お願い地蔵尊」です。

 

おねがい地蔵尊の解説板です。

本丸のお寺で管理されている

ようです。地蔵尊ですが、新

しい観音様が32体も祀られて

います。

 

⑮から⑯方向は

 

⑮から⑯方向です。

 

下図②付近です。

先に北の丸に行きましたが、

今回は左側の本丸方向に進

みます。

 

②付近の解説板は

 

八幡山城の解説板です。

 

②付近にある解説板です。

 豊臣秀吉の実姉智(とも)が、子供

の菩提を弔うために出家して、瑞龍院

日秀尼(にっしゅうに)と称しました。

慶長元年(1596)、日秀尼は後陽成

天皇から、京都嵯峨の村雲の寺地と

「瑞龍寺」の寺号・寺領千石・菊花

御紋・紫衣を賜り、この寺を尼寺と

して創建しました。
代々、有栖川宮、伏見宮、そのほか

皇族、華族などの女子息たちが九条

家より入寺し、住職に就かれました。

三代将軍徳川家光公から京都二条城

内の殿舎を寄進され、嵯峨から堀川

今出川に移転しました。天明の大火

で焼失し再建するも、昭和36年に

豊臣秀次の居城跡、八幡山城址に

京都より移築されました。
本尊は、一塔二尊四菩薩(釈迦牟尼

如来)です。

現在の16世は瑞心院日郁尼で、

光莚山長久寺(京都府南丹市)さんです。

 

②から⑪方向です。

 

⑪付近から山門方向です。

 

山門です。

 

山門内に入ったところです。

内枡形構造になっています。

正面に手水舎があります。

 

八幡山城本丸推定想像図です。

 

 

 

枡形出口から振り返り見た

ところです。

 

 

 

山門内の内枡形を見たところです。

曲輪(この場合は本丸)の内側に

枡形を設けたものを内枡形といい

ます。

 

 

今回はここまでで、次回に続く

 

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