草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

母親にはできない父親の役割を認めた進歩的学者遠山啓!

2021年03月05日 | 思想家
ジェンダーとか男女平等とかいわれるが、それで全てを割り切ってしまってよいのだろうか。男と女とは同じなのだろうか。男女の差異を無視してよいのだろうか。進歩的な数学者として知られた遠山啓は、家庭における父親の役割について書いている。『かけがえのないこの自分』のなかで、母一人子一人の教え子と、手紙でやり取りした内容が掲載されている▼子供の教育に思い悩んでいる教え子に向かって「父親という防波堤のない家庭は世間という大洋の波をじかにかぶるようになっている」「父親は家族に対する小権力者なのだ」「父親はなんといっても家族でいちばん世間学者」と書いている。防波堤のない家庭の子供は、人一倍気が強くなるか、反対に意気地なしになる。小権力者との父親との関係を通して権力との付き合いを学ぶことができず、そのせいで世渡りが下手である。俗物の父親から世間知を学ぶ機会をないことで損をするといった点を、遠山は列挙したのである▼遠山がすごいのは、それらのマイナス点は、同時にプラスでもあると指摘していることだ。父親がいないことで、荒波に堪えるだけの強い人間になる機会が与えられる。権力者の顔色をうかがうことができないために、独立自恃の精神が鍛えられる。交際が下手なことで、他人の思惑が気にならなくなる。物事には両面があることを強調したかったのだろうが、遠山は男女の違いを認めているのである。「母親が父親のかわりになれるはずがない」と言い切ったのだ。遠山は差別主義者なのだろうか。

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