森会長辞任と日本の女性差別を考える | 同床異夢

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 連日、「森会長の女性蔑視」についてのマスコミのリンチともいえる

報道にウンザリするが、果たして日本はそんなに女性を差別的に扱っている国なのだろうか?

 

私はそうは思っていない。

日本は昔から男女問わず人に優しい国だ。

また、差別も他国に比べて圧倒的に少ない、そんな国でありながら

国連や他国から、男女の格差が大きいと批判される。

 

また、日本のメディアやリベラルサヨクの人達は、

それにのっかって日本人でありながら日本を批判する。

 

 今回の森会長の件は

辞任するような内容ではないと断言出来るが、日本も近年欧米のように

「ポリティカル コレクトネス」

の熱に犯されている。

これは、コロナウィルスなんかより、もっと恐ろしいものだ。

 

 

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「ポリティカルコレクトネス」(以下ポリコレ)とは、言い換えれば言論弾圧である。

自由の国では対極にある考え方なのだが、それが主流になろうとしている。

報道すべきことが、自由に報道できない状態になっている。

 

「解りにくい」と思われる方は、チャイナという国を考えてみればよい。

チャイナでは例えば「天安門事件」という単語を使えなかったり、習近平の悪口など

一切言えない社会を形成している。

 

これを、ポリコレ社会と言う。

かつての、ソ連などもそうである。

極端に言えば、世の中には一つの考えしかなく、

反対意見は、一切、無効ということだ。

 

 

近年、そういう社会に世界が傾倒しているような気がする。

アメリカの大統領選もそうだった。

もともと、「ポリコレ」という言葉が最初に使われたのは、

「マルクス・レーニン主義」

の語彙の中であるとブリタニカに書かれている。

 

全体主義の基礎ともいえる、マルクス・レーニン主義でその言葉が作られたと考えると・・・

 

マルクスの亡霊が現在でも生き続け、全体主義的な発想が世界的に蔓延していて、

それが日本でも、マスコミを中心に広がっているということだ。

 

今回の女性蔑視という観点から、日本をみてみると毎年、サラリーマン川柳というのが

話題にないる。

マスコミでもしばしば、取り上げられているが、あれを読むだけで日本は女性蔑視など

していないことがよくわかる。

 

◎ 居場所なく、庭ではじめる ソロキャンプ

 

コロナのせいで出歩けなくなり、自分の家で居場所がなくなっているお父さんの

哀愁漂う、ユーモラスな一句。

 

◎ 部課長が 出せぬ答え パート出す

 

「パート」といえば、女性がやっていることが大半で、また部課長は男性が

やっていることが大半である。

世の男は、女性の意見に従っていると取れなくもない一句。

 

◎ 育休を 稼ぎで決めて 主夫となり

 

この逆を言おう物なら、ポリコレが働いて大問題になるが、男性であれば笑い話。

でも、笑えない・・・「アニメ映画 未来のみらい」を彷彿とさせる

 

※サラ川で考える「日本の働き方」より(第一生命)

 

 

 私はサラ川が好きで、昔からチェックしているが、夫と妻の関係は昔から変わっておらず

だいたい、妻の尻に敷かれている夫の川柳が笑いを誘う。

もし、世の中がそうでないのであれば、サラ川がこんなに多くの庶民に支持されない。

 

昔から、日本は「かかあ天下」であり

男性もそれを受け入れてきた所がある。

 

白人社会や女性差別が激しいチャイナでは、中々理解出来ないことだと思う。

日本の神様のトップは、天照大神女性神であることでもわかるように、

日本は昔から、男性を手の上で転がしているのは女性なのである。

 

    (天岩戸から出てこられた天照大神)

 

そして、そういうやり方を取り入れてきたから、2681年もの歳月を国民が分裂せずに

生き抜いてこれたのだ。

 

その意味で、日本という国は、世界に先がけているといえる。

言い換えれば、世界がそこまでまだ追いついていないのだ。

 

それを理解していない日本人が

「女性蔑視だ!」

と騒いでいるに過ぎない。

 

私は、そういう日本人は少数派だと思っていたが

近年は、私の考え方の方が少数派になっているのではないかと考えるようになった。

 

それだけ、欧米からの情報料が多いのと、日本の文科省が日本の歴史を教えないのが

原因だろうと思われる。

 

「人の粗探しをする人は、必ずそれを見つける」

エイブラハム・リンカーン

 

どんな立派な人でも、長所と短所があり、日本人は「人」というものをよく理解していた。

(現在は政治家をはじめ、人を理解していない)

だから、誰にでも短所や欠点があると皆が理解していた。

 

しかし、近年は人の欠点や間違いを、鬼の首をとったように騒ぐ。

そういう輩は、未来に同じ目にあうと肝に銘じるべきだ。

 

 そして、そんな社会は果たして暮らしやすい社会と言えるのだろうか?

ということを、日本人なら冷静に考えてもらいたいと切に願う。

突発的な感情を、あらわにする人が最近、年配の大人にも増えている気がする。

 

最後までお読み下さりありがとうございました。

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