うつけの兵法 第十一話「沢彦坊主」 | ショーエイのアタックまんがーワン

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【第十一話 沢彦坊主】桶狭間へのカウントダウン 残り14年

〔ドラフト版〕

 

信長の奇行で有名なのはその服装で有った。

当時の農民が主に着ていた

浴衣の様な服装を好んだことでうつけ扱いされていたと言われる。

現代風に言えばスーツ姿が当たり前の会社の中で、

ジャージ姿で働いている感じなのかもしれない。

武家の服装が、いわばブランド物のファッションなのに対して、

ただ服を着ているだけの姿ゆえにそう見られたのだろう。

那古野城の城主であり、そうした贅沢も出来る身分で、

何故あえて貧乏くさい恰好をするのか…

普通の人の感性と異なるから天才なのだが、

時に天才ゆえの合理的な感性は、

普通の人には理解しがたい理屈が生じるのだ。

 

身だしなみはその人の印象を左右する大事な事で、

それによって人を魅了する事でその好感度が得られる。

素敵なスーツを身にまとった人はそれ相応の人物に見え、

その容姿から発する言葉には自然と重みを感じる。

逆であれば言葉の重みは薄れ、戯言に聞こえる。

これが普通の人の感性である。

 

一方、天才は言葉の中身に重点を置き、

合理的でない言葉は全て戯言なのだ。

どれだけ容姿が素晴らしくとも、

いわば中身が伴っていなければ、

所詮は使い物に成らないと判断する。

 

普通の人は

「誰が何を言ったか」

で、その信憑性を判断する。

ところが天才に成ると、

「誰が」という部分は省かれて、

「何を言ったか」が重要で

その上でその意味を分析して、

信憑性があるか無いかを判断する。

いわば、有名大学の教授がこう説明したから、

だから正しいでは無く、

説明した内容の何が正しいかが大事なのだ。

そこで合理性の無い説明なら、

その話は何の意味もない戯言になるのだ。

 

そういう感覚ゆえに、

人の見かけには興味が無く成るのだ。

人の見かけに興味が無くなる分、

自分自身の見かけもいい加減に成てしまう。

 

合理的に考えれば、

寝て、起きて、何かをする。

これが基本的な生活の原則と成る。

信長からすれば

起きた瞬間に何か出来る格好が好ましいのだ。

そして、

「顔を見れば俺が誰か解るだろ」

という感覚で、

どんな格好をしていても、

それが解るなら問題ないとも考えるのだ。

 

とは言え、二日酔い状態で

しかもジャージ姿の上司を見たら、

普通の人はヤル気が無い様に感じてしまうのは当然だ。

それ故に「うつけ」と感じられるのだろう。

 

さて、元服前の教育を受け始めた吉法師は、

佐久間盛重の剣術稽古以外は授業を放り出して、

岩室、長谷川、山口、加藤、千秋らと、

相撲や蹴鞠、そして競馬をして遊んでいた。

特に馬に乗り慣れた時分ゆえに、

競馬であちこち駆け回る事を好んだとも言える。

現代風に言えば原付バイクを乗り回す、

原付暴走族みたいな感じとも言える。

 

そうした中で平手政秀より相談を受けた沢彦宗恩は、

吉法師らに自分の寺に遊びに来るように誘った。

この時分に沢彦がどこに居たかは定かでは無いが、

織田弾正忠家との繋がりで考えるなら、

勝幡の方に寺があったと推測する。

沢彦は1587年まで生存していたとされ、

そこから逆算して年齢を考慮すると、

恐らく30~40代であったと考えられ、

1540年に信秀が弾正忠家の菩提寺として建立した萬松寺に

招かれた僧侶の一人であったとも言える。

 

萬松寺の開山には信秀の叔父に当たる、

大雲永端和尚が招かれたとされ、

この関係から才覚を認められた若手僧侶の沢彦が、

信秀や平手政秀に紹介されたとも推測できる。

 

年齢的に40手前であったと想定するなら、

僧侶としての実績はこれからの人物であったと考えるべきで、

後者の可能性を有力と考える。

その沢彦が吉法師を招いた場所は、

この萬松寺とする。

 

当時の那古野城が

現在の名古屋城の二の丸の規模であったとし、

萬松寺は那古野城の南に位置した。

現代の錦から丸の内2丁目、3丁目を跨ぐ広大な寺院であったとされ、

ほぼ那古野城城郭の中に有ったと考えても良い。

その広大な敷地には本殿とは別のいくつかの建屋があり、

その一つに沢彦に与えられた土地が存在した。

 

あれから更に成長して12歳と成った吉法師。

現代風に考えれば小学6年生で、一般的には子供なのだが、

小学6年生から中学3年生に掛けては、

思春期に突入した頃合いで、

自我が芽生えて反抗期に入る。

いわば夢見がちに勘違いできる時期だ。

 

そういう勘違いする時期の子供は生意気にも成る。

吉法師ら悪童たちは沢彦の場所に到着するや、

小生意気に、

 

「沢彦坊主!!遊びに来たぞ!!」

 

と、声を掛けた。

この時、悪童たちの服装は

まだ武家らしい袴に着物という感じであった。

 

そんな小生意気に成った悪ガキたちを迎えた沢彦は

敷地の門前に出向いて

その若殿にかしこまる様子も無く、

 

「おお!!よう来られた、悪ガキ殿。」

 

と、愛想よく言い放つ。

悪ガキと呼ばれて吉法師は少しムカついたのか、

 

「悪ガキ?!我は那古野の城主ぞ!!」

 

と、言い返す。

その言葉に沢彦は、

 

「それは俗世の身分ゆえに通じる話理屈であって、

仏門に使えるワシには関係ない話じゃ!!」

 

すると吉法師は、

 

「ここは那古野の城の内じゃ!!」

 

と言うや、

沢彦は

 

「そんなもの死んでしまえば何の意味があるか?

ワシら仏に使える者は、皆死人も同然じゃわ。」

 

そう言い放ちながら、袖から干し柿を取り出して、

吉法師に手渡した。

 

「まあ、そう構えずに一緒に楽しい遊びを考えようではないか。」

 

と、何も無かったかのように振舞って中へ誘入れた。

沢彦の言葉に苛立ちを見せていた吉法師は、

干し柿を手渡されて逆に意表を突かれた感じと成り、

ある意味上手く丸め込まれたのだ。

 

沢彦は干し柿を悪童全員に手渡すや、

そのまま門を通って中へ入っていった。

 

悪童たちは、

沢彦の堂々とした雰囲気に安心感を感じたのだろう。

何となくコイツとは話しても面白そうだ…

そういう好奇心も植え付けた。

悪童たちは手にした干し柿をくわえながら、

近くの木々に自分たちの馬を止めて、

沢彦に着いていくようにその門をくぐった。

 

門をくぐると手入れされたとまではいかないが、

簡素な庭が広がり、

沢彦は縁側に腰かけるようにして座っていた。

悪童たちは貰った干し柿を行儀悪く食べながら歩いて、

縁側に座った沢彦の目の前に集結した。

これから遊ぶつもりなので、全員立ったままだ。

 

縁側に腰かけた沢彦はそんな悪童たちを眺めて、

 

「そなたらはもうじき初陣を迎えるであろう…」

 

と、話を切り出した。

すると吉法師は

 

「ああ、戦に出て手柄を立ててやる。」

 

沢彦はその言葉に何か考えるような間を置いてから、

 

「ならば戦遊びでもしてみるか?」

 

と、言うと話を進めた。

吉法師は

 

「何だそれは?」

 

と、聞く。

 

戦遊びとは農民の子らで流行っている遊びでもある。

いわば石合戦や棒喧嘩、竹やり合戦といったものだ。

それは土地によって様々であったと考える。

これらは大人に成ってからも、

農地の場所取りであり、水脈を巡って、

農村同士が喧嘩するときにも用いられる。

とは言え、戦争ほどの統制などなく、

むしろ常時乱戦状態の殴り合いといった感じだ。

 

沢彦が吉法師に言った事は、

戦遊びで領内の農村を全て支配して見ろというモノであった。

すると吉法師は

 

「農民相手に喧嘩をするのか?」

 

と、半分鼻であしらう様に言った。

その様子に気づいた沢彦は

 

「ああ、そうだ。その農民相手に苦戦するようでは

天下どころか尾張も危ういぞ。」

 

そう言われると吉法師は

 

「俺ら6人で、何人を相手にするんだ?」

 

それに対して沢彦は

 

「先ず、味方の兵を揃える。無論、他は農民の子らだが。

兵は多ければ多いほど良いぞ。

少なければそれだけ大人数を相手にすることに成る。」

 

すると吉法師は。

 

「武器は何を使うんだ?」

 

沢彦はそれには言葉を選んで、

 

「鉄を使わなければ良いとしよう。」

 

いわば殺傷力の高い刀、槍、弓がこれに入る。

沢彦のその答えに吉法師は大いに納得し、

 

「それは解りやすいな。」

 

すると吉法師は木刀を取り出して、

 

「じゃあ、この木刀は良いんだな。」

 

ところが沢彦は、

 

「木刀は良いが、もう一つ条件を加えるなら、

武器は全て自作する事じゃ。」

 

さらに付け加えて、

 

「あと那古野城主の吉法師で有る事は内緒にすること。

これも大事な条件じゃな。」

 

その条件に吉法師は、

 

「何故、内緒なのじゃ?」

 

と聞いた。

 

「那古野の殿と知ると、相手が本気を出せなくなる。

皆怯えてしまうじゃろ。それでは意味が無い」

 

加えて沢彦は、

 

「戦遊びは勝ても負けても恨みっこなしじゃ。それ故に本気でぶつかり合う試合と思われよ。」

 

そう説明されると吉法師以外の5人も段々乗り気に成ってきた。

そこで沢彦は、

 

「本当の戦も同じじゃが、あちらは命がけの試合になる。

その訓練としても農民相手の試合に生ぬるい話を望むか?」

 

と、吉法師らに聞くと、

吉法師ら他の5名も含めて何気に目つきが代わり、

 

「いや!!本気でいい。」

 

と、答えた。

初陣を控えていきり立つ少年たちは、

沢彦の言葉から本気で試合う大切さを理解したのだ。

沢彦は気合に満ち溢れた少年たちを見て、

 

「成らばしばし待たれと」

 

と言って、腰かけていた縁側から奥の部屋に入って行った。

 

待つこと2、3分…

 

沢彦は農民たちが着る粗野な衣を持ち出して縁側に置き始め、

 

「その身なりでは城中の者と直ぐにバレる。これを着なされ。

それから那古野の城下に行く。」

 

と、着替えるように促した。

吉法師たちは条件を呑んで試合うつもりに成っていた分、

何の抵抗も無くそれに着替えた。

 

着替え終えると吉法師は、

 

「何とも軽い服じゃな。」

 

と、不思議そうに言い放つ。

武家の着物と違って布一枚の衣ゆえに、

それだけ重さも違うのは当然である。

 

「その粗野な服では不服か?」

 

と沢彦が聞くと、吉法師は、

 

「いや、動きやすくて寧ろ良い。」

 

と、答えた。

他の5人は少し抵抗があった様子だったが、

吉法師の言葉に押される様に、

何となく動きやすさに好感を覚えだした。

 

その後、沢彦は結っていた髷を外させ、

髪を紐結に代えさせてから

吉法師らを連れて那古野の城下へと向かった。

 

このいで立ちがいわば歌舞伎ファッションの始まりで、

この時はまだ沢彦の趣味のせいか地味な柄の衣で有った。

これが徐々に吉法師たちは自前の衣を揃えて行くようになり、

それがいつしか奇抜なモノへと変貌していくのであった。

 

どうも・・・ショーエイです。

いよいよ吉法師こと信長たまが、

大うつけへと成長していく過程に入りました。

元々暴走族の様な感じにする予定は無かったのですが、

色々と流れを推察していくと、

どうやら暴走族の様な感じだったのは

まんざら嘘でもなさそうな感じに成りました。

 

結局、実践的に戦術を学ばせると考えた際に、

戦遊びという手法に結びついたわけです。

 

ヤンチャな子は今でも喧嘩遊びをするわけで、

寧ろ農民の子供らはゲームも携帯も、ましてや漫画なく、

本など高くて手にすら入らなかった時代。

スポーツなど有る訳も無く、

そう考えるとこういう遊びに成るのが当然と言えます。

 

農民の子らは下手したら武士よりたくましいとも言えます。

ある意味、身体的に。

武士の子は寧ろ剣術などの技術的な面では

強くなったのかも知れませんが、

楽して暮らせた分、体は農民の方が強かったと考えても良いと言えます。

 

多分、身分を問わずに武家に登用した信長たまは、

その実態を体験していなくては成らず、

それなくして発想を得る事は、

かなり難しいと言えるのです。

 

まあ、相撲好きという話で、

農民と武家で相撲させたら農民の方が強かった

という実態から発想したとする事も出来ますが、

むしろ戦に結びつけると、

戦遊びかなという感じです。

 

さて愚痴愚痴…

 

今日は道徳に関して…

道徳を語る人間は合理的ではな!!

 

何故か?

 

道徳と言うのは人の価値観の問題です。

法律で有れば罰則がある事で、

守る義務が生じます。

道徳に関しては守る義務は有りません。

故に価値観の違いで片付いてうのが、

ある意味グローバルスタンダードな考え方です。

 

キリスト教徒がイスラム教徒にキリスト教の教えを説いても、

価値観が違えば理解は得られません。

 

これは民主主義国が共産主義国に価値観を語っても、

価値観が違うゆえに理解は得られないのと同じです。

これに法律という部分で言えば…

国連憲章の内政不干渉が法的な根拠に成る為、

民主制を押し付けても意味が無いのです。

 

価値観の違いを他人に押し付けられて、

押し付けられる方はどういう気持?

腹が立つ話で、

場合によっては喧嘩に成るだけです。

 

そういう事を割り切って考えて、

自由とは何か?

そういう視点で他人の自由は尊重し、

自分の自由の権利は保持する。

それこそが民主制の基本であることを、

知っておいてもらいたいです。

 

信長たまの歌舞伎ファッション。

当時の常識では認められないモノだった訳ですが、

そういう風潮故に皆同じ恰好するのが良いのか?

自由で自己主張が高い社会ゆえに、

色々なファッションが生まれやすく成る訳で、

個人の価値観を尊重し合う自由だから、

そういう社会が成立するのだという事も理解して欲しいです。

 

他人は他人、自分は自分。

権利の尊重というのはそういう話で、

民主制に於いてはこうした権利の保証が

法律、憲法上で守られる故に、

国民主権の民主制なのです。

 

多数決で決めるのが民主制では無いのですよ。

それは寧ろ民意制と言うべき話で、

マイノリティ(少数派)の保護が無視される状態でしか無いのです。

日本人で勘違いしている人多すぎ!!

こうした矛盾を克服した言葉が民主制の意味で、

そこの理解度も無く民主制を語るのなら、

民主制の理解度が12歳以下と言われても文句は言えません。