ひょうきちの疑問

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2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

授業でいえない「現代社会」 20話 1980年代以降の国際政治①

2024-02-16 17:40:00 | 高校「公民」

【1981年 レーガン政権】
今日は戦後の国際社会に行ってるところです。1980年代です。ここらへんは、私が社会に出たばかりの頃だから、非常に印象深いです。世間がちょっと浮かれていたんです。私たちが高校出てからあと、高校出て私も一応4年生大学には行ったんですけど、そのあとだいたい1980年代です。私は勉強が好きで、4年制大学を5年間かかって卒業しました。最後の1年は、親からもう仕送りしないぞと言われて、アルバイトに明け暮れていました。ちょっと単位が足らなかったんです。

この1980年代のアメリカと日本のことは、教科書には書いてないんだけれども、教科書に書いてあるのはこの下、ソ連が崩壊することです。まだソ連です。ロシアじゃない。ソ連を潰す男がゴルバチョフです。大統領として。そこから書いてある。
でも1980年代は、日本にとっては最後の花の部分です。ここまでは景気よかった。1980年代に、日本はウワーと上りつめて一気にバブルです。それが5年後の1990年にストーンと落ちていった。バブル崩壊です。私の経験でそれまでも不景気はあったけど、ふつうは2~3年、長くても5~6年で復活していました、日本経済は。しかし10年たっても復活しない。長いな。20年たっても復活しない。何でかな。ついに30年たって、平成が終わってしまった。この平成不況の終了宣言は、誰もまだ歴代の総理大臣は言ってない。


今もコロナが起こってるでしょう。景気が悪い。給料上がらない。そのなかで物価だけ上がっている。それで持ちきりで、3%の物価高。これは30年来、なかったことです。非常にまずい。油だって、私が知っているのは2009年にリッター180円になってビックリしたけど、今年はそれを越えた。今は少し円高に戻ったけど、ちょっと前までは越えてた。1980年代は、その最後の花というか、あだ花ですね。

何でそんな日本がバブル経済になっていったかというと、まずこの時のアメリカの新しい大統領がレーガンです。このレーガン大統領、色男だったです。昔はハリウッドスターだった、この人は。

アメリカの経済は日本よりも早くもダメになっていたんです。モノが売れなくなった。私がハナタレ時分の1960年代は、クルマというと日本車は二流で、アメリカ車のようなドカンとした、今は知らないでしょうけど、リンカーンコンチネンタルとか、ガバッとした大型の乗用車が一流車で、日本は二流車だったけど、この頃はまったく逆です。アメリカの車はガソリンを垂れ流しながら、リッターあたり5キロとか6キロとか、リッターとは燃費のことです。燃費がリッターあたり5キロとか6キロとか、マジであった。今はハイブリットで、どのくらいかな。ハイブリットで20キロ下回ったら、これは走らないという感じです。どうかすると30キロ行く。5分の1です。それに比べると、日本車は10キロは走っていた。
それに故障もしない。だんだんそこで差がついて、日本経済の最も強かったころです。日本のソニーのウォークマンなんかというのは、今のスマホの走りみたいなもんですけど、ポケットで音楽を聞くような。そういうのもなかなか壊れない。

それに比べてアメリカ製品は売れない。だからアメリカは景気が悪いんです。景気が悪いから、貿易は赤字です。輸入超過です。貿易赤字です。これはいいことではない。それに景気が悪いから、国家税収も税収も落ち込む。そしたらアメリカの財政はお金がない。これは財政赤字です。これを双子の赤字とかかわいらしい名前で言っていたけど、全然そんなもんじゃない。
つまりお金がない中で、普通だったら、国は困って増税するんですよ。お金がないから。でも減税したんです。これは理屈が立たないんです。これは、こういいながら、今でもはっきりとした説明を読んだことがない。起こった事実だけ書いてある。お金がないから、普通だったらお金を使うのを控えるはずです。一番、国家財政のお金を使うのは、今も昔も変わらず、軍事なんですよ。この軍事費を押さえるかというと、逆に軍事費は増大させる。これではますます説明がつかない。


ではそのお金は、どこから来たのかというのが、それもよく分からない。借りまくるんです。どこから借りたか。日本からです。借りるという時に、これはテクニカルな話になるんだけでも、アメリカは米国債といって、国債を発行して金利をつける。100万円の証券をもって、1年間で金利を10%つけるから、1年たったら100万が110万になるから、おまえ買えと言われて、日本はどんどん買っていく。これを日本とアメリカのお金の流れの全体でみてみると、アメリカにはお金がない。だからそのお金の不足分を、日本が穴埋めしているという構造ができてくる。今でも日本はこの米国債で、世界2位の残高を持っている。10年前までは、ダントツ1位だった。今は中国が急速にでてきて、中国が買ってます。

そして、その軍事費の増大で、何のために軍事費か、戦うつもりはどこか、ソ連です。米ソ対立が続いてますから。ソ連をやっつけるので打ち出したがスターウォーズ計画です。これはご丁寧にハリウッド映画にもなった。同じ名前で、スターウォーズという。あれはマジなんです。ソ連もそれに負けじと、軍備拡張計画です。こうやって軍拡競争が始まっていった。




【1985年 プラザ合意】
それから5年経った。1985年、ここで、日本の総理大臣に、ちょっと話があるからアメリカまで来い。総理大臣は中曽根康弘だった。この人は一昨年なくなった。隠然たる力を持っていた人です。そのときの大蔵大臣、まだ大蔵大臣がいた。いまの財務大臣です。大蔵大臣は竹下登だった、この人もこのあと首相になる。タレントで言えばダイゴとかいう、あの人の爺さんみたいです。何とか景子と結婚したのが、タレントがいるでしょう。そこらへん私は分からない。何がおもしろいのかもわからないけれども。

それで、プラザ合意、ホテルの名前だから、プラザに意味はない、固有名詞だから。プラザホテルというところに呼びつけられて、ここで動くんだけど、たった15分か20分で終わったという。サインしろということで。これをプラザ合意といいます。

このときには、ドイツも呼びかられた。日本とドイツが呼び掛けられて、アメリカが輸出が伸びない。輸出するためには、アメリカのドルを安くすればいいんですよ。ここは経済分野で習うところなんだけどね。前後するけど、ここで言わないと、言うところがないから、通貨を安くすれば、値段が下がるから、輸出が伸びる。

ここ半年ばかり、ウクライナ戦争が始まって、ドルが高くなった。逆に円安が進んだ。それで輸出企業が儲けています。その代わり、輸入企業は、油を輸入すると、どんどん高くなって、どうしようもない。そういうことになっている。日本は逆だから、ドル高というのは、その裏は円安ですよ。円とドルの関係でいえば。


それで何を目指したかというと、アメリカは輸出拡大を目指すから、日本が持っているドルを売って、ドル安に誘導しなさいという。これはもろに国家による為替介入です。本当は市場に任せなければならないのを、国が介入していくんですね。今でもときどきやります。しかし、アメリカがこれによって輸出を伸ばしたかというと、ボロだから売れなかった。売れないまま、ドル安が進んで、つまり逆にいうと円高が進んで、円が高くなりすぎた。

円が高くなりすぎるときに、これはあまりに高くなりすぎたということで、今度はどういう金融操作をするかというと、これも経済分野でしか説明できないけど、金利を下げるんですよ。日本の銀行金利を。日本の今の金利、例えば、今は0.1%とかいう、ありえない低金利なんですけど、通常は年5%ぐらい金利があったんです。銀行金利が。銀行というのは、100万円預けて金利が5%だったら、1年後には105万円になる。これが金利が3%になったら103万円にしかならないから、日本の円預金を他の外国人は誰もしなくなる。日本ではこれを円を買わないという。外国が。円を買わないと、物の値段と一緒で、買わないもの値段は下がるんです。そうすると円安になる。そうするために金利を下げたんです。

金利を下げたらどうなるかというと、結局日本人だって、5万円の金利がつくんだったら銀行に預金するけど、3%だったら安い。もっと他にないかな。これが株です。ここから火がついて、普通の家の奥さん連中までをやりだした。

そして株というのは、だいたいそうですけど、プロが最初にやり出す。上がり始めると、次に2流のプロ、その次に3流のプロ、1番最後のところで何も知らない素人がやる。こうなったときには、プロは素早く売り逃げるんです。そこでドカッと落ちる。これがバブル崩壊です。ここまでいくのに5年です。そこまではこういうウハウハの状態が、どんどん続きます。これがいつまでも続くような幻想が続いていました。

もう一つが土地です。これは私、目の前で、むかしこの手の商売をしていたから、民間企業に居たときに、ある金持ちが5000万円の土地を買って、社長、何するんですか。何もしない、寝かしておくだけという。半年見ててみろ、間違いないから、と言う。本当に1億円になった、ウソみたいです。5000万で買って、半年後に1億で売り抜けた。こういうのが、日本の世の中に、いっぱいあったんです。本当です。みんな素人は、いま何が起こっているのか聞いていた。私もわからなかったけど。ただこれはいつまで続くのか、いつまでも続かないけど、いつ終わるかは素人にはわからない。それが1990年にパタッと終わった。


後はもう、ここの最後に買った人とか、ここで1000万で買った人とか、10分の1ぐらいになった人もいる。今でも、株は3分の1、半値ぐらいは簡単になる。そしたら500万になったら500万の損でしょう。借金を返せなくて、倒産する企業がいっぱい出てくる。こんなことになる。結論は。

円高の中の日本は低金利誘導して、バブル経済が続いた。約5年間。その間も、アメリカの借金、つまり米国債を買っていった。そういう状態が1980年代です。
これは経済で、あとでもう1回、出てきます。

◆ 1980年代に入り、アメリカ経済はさらに混迷していく。インフレ抑制のための高金利政策によりドル高となり、アメリカでは輸出が伸びずに貿易赤字が膨らんでいく。貿易赤字と財政赤字のいわゆる「双子の赤字」である。・・・・・・このとき深刻な財務状況の打開策として目をつけたのが、アメリカの奴隷国家・日本である。当時の先進国=G5(アメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ、日本)を集め、アメリカは国際貿易で「対外不均衡」の被害を受けていると難癖をつけて、「協調的な」ドル安路線を計る合意を取り付けた。いわゆる1985年の「プラザ合意」である。・・・・・・
 プラザ合意の標的とされたのが、対米貿易黒字が膨らんでいた日本である。強制的に円高に転換された日本は、輸出企業を破綻から守るために低金利政策を余儀なくされる。そして、株や土地へと資金流動が起こり、いわゆる「バブル」が引き起こされたのだ。・・・・・・
 その(アメリカの)目的が達成されると、「BIS規制」により日本の金融機関や企業の海外展開に規制をかけて、バブルを崩壊させた。さらに、行きがけの駄賃とばかりに、軒並み破綻していく日本の金融機関や企業を、ハザールマフィアの下部組織であるハゲタカファンドが買い叩く。(マネーカースト B・フルフォード かや書房 2018.5月 P97)



【1985年 ゴルバチョフ政権】
ここでは、国際状況を言ってますから、ソ連の書記長、当時は書記長という。今のようなロシアは大統領制じゃないから。ゴルバチョフです。ゴルビーというあだ名がついた人です。この人がソ連を改革しないといけないということで、大々的に打ち出した。これはただ改革という名のロシア語であるだけで、別に特別な言葉ではないけれども、そのまま教科書に載ってます。ロシア語で改革のことを、ペレストロイカといいます。ゴルバチョフと聞いたら、ペレストロイカ、というだけで、みんなすごいな、ペレストロイカかとみんな思ったものです。ペレストロイカとは何か、普通の「改革」という意味です。
もうひとつは情報公開です。これも一つの単語、グラスノスチ、ナマの言語でそのまま覚えてください。この2つをやった。うまくいったか、ぜんぜんうまくいきません。最後はこの人が、ソ連を潰します。

◆ 最大の疑問は、あれだけの大国がゴルバチョフが現れてから僅か6年間で、いわゆる保守派によるクーデター騒ぎなどはありましたが、ほとんど混乱もなくスムーズに解体されたことです。本来なら、激烈な権力闘争が起こってもおかしくはありませんし、各共和国から反乱が起こっても不思議ではありません。ところが、現実には極めて平和裏に体制が移行されました。事実上、混乱が起きなかったのは、内部の矛盾が爆発して体制が崩壊したのではなく、外部の力によって解体させられたからではないかというのが私の見方です。(「反日中韓」を操るのは、じつは同盟国・アメリカだった 馬渕睦夫 WAC 2014.10月 P214)


改革の方向は、米ソ対決ではない。米ソ協調路線をとった。ここがアメリカがこの人を好きな理由です。アメリカも協調路線。財政赤字を抱えて、経済もうまくいかないから、ゴルバチョフが大好きなんです。これで双方が歩み寄って、アメリカとソ連が歩み寄って、今までの対立が解けて、めでたしめでたし、ちゃんちゃん、となっていく。でも日本のバブルはどうなるんだ。置き去りにされるんですけどね。

約10年前の1979年にはソ連は、アフガニスタンに軍事侵攻していた。それも、やめます、撤退しますとなった。よしよしと。米ソの対立関係は急速にゆるんでいく。アメリカは方針を変えます。今までソ連は敵と思っていたけど、もうソ連は味方です。ということで、これで平和になるかな、と思った。
しかしここからあとが、突然起こってくるんですね。それが1989年です。




【1989年 ベルリンの壁崩壊】
この1989年の年末、ちょうど今頃ですが、寒くなりがけのとき、ある日突然、実は、朝鮮がいま北朝鮮と韓国の二つに、同じ民族で分断されてるでしょう。それと同じように、ドイツもこの時までは、東ドイツ、西ドイツとして別の国だったんですよ。ドイツは簡単に描くと、こうなっている。西ドイツ、東ドイツだったです。
東ドイツのなかにベルリンという今のドイツの首都がある。このベルリンというのは東京と同じです。ベルリンの西半分は複雑で、西ドイツのもので、ブロックしていた、壁で。東京の西半分、多摩地区を全部壁でかこんだようなものです。これがこっちに逃げようとすると、兵隊がいて、何十人、何百人と殺されていた。射殺されていた。もう鉄壁の壁だった。これがある日突然、開放された。うわっという感じです。ベルリンの壁崩壊というのがあった。

このときにみんな気づく。これはソ連側が負けているな。潰れるとまでは思わなかったけれど、これは大変なことが起きているなと。あっという間だった。原因はよく分からない。東ベルリンの当局者の事務手続きの間違いとか、なんとか、ウソでしょうけど、はっきり分からないけど、誰かの間違いということになっている。真珠湾攻撃も、アメリカの日本大使館側の野村吉三郎が11時に持っていくのを、1時間遅れたとか、あれもどこまで本当かよく分からない、本当は。そんな話、肝心なところは誰かの間違いになる、世界史というのは。

それで米ソ対立は、ベルリンの壁も崩壊したし、正式に終わらそうという宣言、これをやる。1989年に。次の月です。11月、12月。これがマルタ会談。マルタは地中海にあるんですよ。島が。人が知らないような、小さな国で、ここは共和国なんですけど。この時だけでてくる。なんで、こんな時に出てくるのか分からないけど、マルタ会談として有名です。東西冷戦はここで終わった。
その終わらせた歴史に残る政治家2人が、ブッシュ、これは親父の方です、もう死んだけれども。このブッシュ一族、親子2代で大統領になります。こんな一族はないです。アメリカの歴史のなかで、非常に珍しい。いま生きてるのは、この子のブッシュです。それから、ソ連はゴルバチョフ。これが東西冷戦終結の二大巨頭です。この2人が協力して、米ソ対立を終わらせたということになっています。試験もそう出ます。しかし、このあと本当に平和になったかというと、それはどうかな。そうはいかない。




【1990年 バブル崩壊】
年が明けて1990年1月、今まで、ずっと株が上がっていた、土地の値段も上がっていたま、県内のうちら辺の土地だって2倍以上あった。このとき。農家の土地だって、2倍以上あった。だからふつう1町ぐらい持ってる平均的なお百姓さんは、資産は倍ぐらいあった。倍以上ではないかな。これがここからどんどん落ちて、もう今は安くなっている。この当時の値段を知ってる者から見ると。ここから落ち始めた。そして下げ止まらない。バブル経済の崩壊です。冷戦終結とほぼ同時に、日本ではバブルが崩壊しました。

◆ 日銀の「最大」の失敗は、低金利を続け、バブルを生じさせたことではない。急激な金利上昇によって、意図的バブルを破裂させたことである。破裂してからなお金利を上げ続け、回復不能なまでに株価と地下を暴落させたのだ。単なる政策の遅れ、失策ではない。意図的、意識的な逆噴射だったのである。ルーブル合意後、2年以上にわたって続けてきた2.5%の政策金利を、日銀がようやく引き上げたのは、平成元年(1989年)5月末のことだ。・・・・・・日銀は、10月、12月とさらに金利を上げ続けた。・・・・・・
 株価がすでに2割近く下落していた平成2年(1990年)3月、日銀は一気に1%という大幅な利上げを行い、8月にも0.75%の利上げを断行した。15ヶ月という短い間に2.5%から6%へ、金利は3.5%も引き上げられた。(平成経済20年史 紺屋典子 幻冬舎新書 2008.11月 P42)

◆ 1991.7月 日銀、初の公定歩合引き下げ
 ようやく金利が引き下げられたのは、平成3年(1991年)7月、株価の暴落が始まってからすでに1年半が経過していた。しかし、時すでに遅く、利下げをしても、株価下落は止まらなかった。・・・・・・この暴落は、日銀によって意図的にもたらされたものである。世界史に残る暴挙、狂気の沙汰と言うべきだろう。(平成経済20年史 紺屋典子 幻冬舎新書 2008.11月 P44)


ここから平成不況です。これは平成2年です。1989年が平成元年だから、平成になったばっかりです。平和な世の中、平成な世の中、夢を見ていた、私も。昭和は激動で、太平洋戦争もおこって、平成は平和な世の中だと、今から思うとぜんぜん違った。令和は冷静な世の中になるんでしょうか。分からない。こういう不況が30年続いた。最後のクエスチョンは、この不況が今終わったかどうかさえ、わからない。実は。
冷戦終結と同時に、日本だけが、いつ終わるのか分からない長い不況に入ったわけです。ということは冷戦が終わったのではなく、日本にとって新しい何かが始まったととらえた方がいい。日米関係を中心に何かが変わったのです。そしてそれは30年たった今も終わっていないのではないでしょうか。




【1990年 ドイツ統一】
そしてこの年の10月に、ベルリンの壁が崩壊した、その東西ドイツが一つのドイツ、今のドイツになった。ドイツ統一です。そして、このあと出てくる主要政治家というのは当然こっちの西ドイツが中心で、強かったんです。西が東を、のみ込んだような形だったんだけれども、次に出てくるのがメルケルおばさんですよ。もう引退したけど。あの人は東ドイツの政治家です。ここらへんが私もよく分からない。なんで出てきたのか。サーッと彗星のごとく出てくる。そして長期政権だった。平静な世の中になるかというと、結局今までの平和理論は、勢力均衡論です。米ソの力のバランスがとれてるから戦争にならないと、私も習ってきた。




【1991年 湾岸戦争】
しかしソ連が潰れた、ということは、アメリカ単独で、これだけが最強になる。つまり米ソのバランスが崩れた。これは勢力均衡論からいうと、平和にならないんだけれども、逆に平和に今からなるぞ、となった。当時の日本のマスコミの論調はそうだった。
ではそのアメリカは次の年にどうするかというと、さっそくイラクを攻撃した。これが一度出てきた1991年の湾岸戦争です。この湾はどこだったか。ペルシャ湾ですね。ペルシャ湾のことをこういいます。これが対イラクの1回戦です。

10年後、2003年にイラク戦争というのをやって、これでイラク大統領のフセインは殺されていくんです。2回にわたってやっていきます。やってみると、簡単にアメリカが勝ちます。これが何で起こったかについては、もう言いません。

ただ一つだけ言おう。ペルシア湾があって、アラビア半島があって、イラクはこうです。ここに小さなクウェートという国がある。石油が満杯です。少し掘れば石油が吹き出してくる。これが欲しかった。これがきっかけの理由ですけど、ここもともとイギリスの植民地です、植民地になる前はイラクの領土だったんです。イラクの領土だから、日本が今も北方領土をいうのは、もともと日本人が住んでいた島です。


ここにイラクが侵攻したら、すぐにアメリカが出てきて、けちょんけちょんにやっつけられた。フェイクニュースもあったし、ある少女が、イラクではこんな悲惨なことが、顔はイラク人だったけど、実はアメリカで生まれて、アメリカで育ったイラクの少女で、ナイラという少女だったけど、いろいろありました。

◆ 湾岸戦争(1991年)
 イラクのフセイン大統領が突如クウェートに侵攻したのは1990年8月2日のことです。・・・・・・7月22日、グラスピー駐イラク米大使はフセインと会談した際、「米国はイラクとクウェート間の国境問題には関心がない」ことを伝えたのです。まさにアチソン演説と同じ手口です。この会談直後、フセインがクウェートに侵攻し、全土を占領下に置きました。ところが、翌91年、国連決議に基づき米国をはじめとした多国籍軍が派遣され、イラク軍を徹底的に叩き、イラク軍はクウェートから撤退します。(「ウクライナ紛争 歴史は繰り返す」 馬渕睦夫 著  WAC出版 序章より P22 2022.5月出版(抜粋))

◆ (イラクの)フセイン大統領にあえてクウェートを攻撃させて、今度は侵略者イラクを叩くという湾岸戦争は、なぜ行われたのでしょうか。そこに、冷戦後の世界秩序を誰が主導するかをめぐる争いがあったであろうことは容易に想像できます。湾岸戦争の結果、唯一の超大国アメリカの世界支配、すなわち英米金融資本家による世界支配という世界秩序を維持強化するために、日本、ドイツ、ロシア、ヨーロッパ、産油国がアメリカの主導に従うという仕組みを生み出すための戦争であったといえます。(国難の正体・新装版 馬渕睦夫 ビジネス社 2014.11月 P80)



【1991年 ソ連崩壊】
この年の12月に、やっぱり重要です、ソ連の崩壊、1991年です。ソ連が消滅して、10ぐらいの国に分かれた。しかし領土の8割方はソ連が取った、10ぐらいに分裂したんだけれども、その中でロシアを中心にまとまって行こうという緩やかな共同体を作ったんですよ。独立国家共同体という。これをCISといいます。
今年2月24日に戦争が起こった、あのウクライナというのは、もともとこの中の一員だったんです。ウクライナもこの中に入った。ウクライナはもともとはソ連の一部ですから。

◆ レーガンは・・・・・・「スター・ウォーズ」と名付けた軍備拡張政策や対ソ強硬路線でソ連を追い詰め、冷戦を集結させました。1989年のマルタ会談による冷戦終結後、1991年暮れにソ連共産党によるクーデター未遂事件が起こり、ソ連は消滅しました。その際にロシア連邦の大統領ボリス・エリツィンはハーバード大学のジェフリー・サックス教授を長とするアメリカの経済顧問団を受け入れ、IMFの指導と支援を受けて国営企業の民営化による市場経済の短期導入を目指しました。しかし、変動と混乱の時期を利用して、国有財産は官民の癒着で不当に安い価格で払い下げられてしまったのです。(ユダヤ商人と貨幣・金融の世界史 宮崎正勝 原書房 P292)


この軍事的に、ちょっと前にやったけど、米ソが対立し始めた時のアメリカ側の軍事力として、NATOというのがあったでしょう。それはソ連と対立するためのものであったから、ソ連がなくなればNATOの役割もなくなって解体するはずでしょう。でも解体しないんです。解体しないどころか、ソ連の仲間の国がどんどんここに入っていって、余計大きくなっていく。
それでついにウクライナに、お前も入れと言い出して、これにプーチンは切れたんです。ウクライナはロシアの隣です。あそこにミサイルをつくられたら、モスクワはすぐです。こういうことで対立が続いていくんです。もう20年前のこと、いや30年前のことですけど、ずっとNATO勢力、軍事組織、北大西洋条約機構です。




【1993年 EU発足】
今度は、目まぐるしく動くんですけれども、主権国家になったヨーロッパ、300年前から、市民革命で、しかしもう1回ヨーロッパ帝国を作ろうと、神聖ローマ帝国のようなヨーロッパ全体で一つの国を作ろうという動きが活発化して、できたのがEUヨーロッパ連合です。これができました。1993年です。これが今のEUです。そして約10年後の2002年には、国はまだ存続しているけれども、アメリカと日本でドルと円は違うけど通貨統一をやろうとする。日本の通貨もドルにしようみたいな。これがユーロです。

国は別で通貨だけ一緒というのは、歴史上ここだけです。普通は国が違えば、通貨も違うんですよ。違った通貨を発行できる権利が、独立国家の証なんです。しかしEUは違う。もうほとんどユーロになってます。この例外がどこかというと、最初からユーロには入らない国があった。例外、これがイギリスです。イギリスは今も独自通貨です。イギリスの通貨はなんですか。ポンドです。昔フランスにはフランという通貨があった。ドイツにはマルクという通貨があった。イタリアにはリラという通貨があった。でももう今はないです。イギリスのポンドだけがある。ユーロ以外には。

イギリスは3、4年前に、イギリスはユーロに入らないだけではなくて、このEUからも離脱した。イギリスはもうEUにも入ってません。

◆ ヨーロッパは現在、 EU という統合体でまとまっているが、それはヨーロッパを一つにするというヒトラーの野望を受け継いだナチス派ハザールマフィアが暗躍して誕生させたものであり、これを牽引してきたのがドイツだ。そのドイツの首相がヒトラーの娘、アンゲラ・メルケル(2005年就任)である。(米中新冷戦で激変する「未来の覇権地図」 B・フルフォード かや書房 2019.12月 P175)



【冷戦終結後の社会】
次は、冷戦終結後の国際社会、ソ連がなくなったあとも、さっきいったNATOは解体しなかった。逆にこれが力をもって、ソ連の仲間であった東ヨーロッパ、これを東欧という、欧というのはヨーロッパのことです。東欧という言葉も覚えてください。東ヨーロッパと書くと字数がいっぱいだから、東欧という。ヨーロッパのこと、東ヨーロッパのこと。ソ連の仲間であった国がNATOに入って、またはEUに参加するようなことになった、NATOとEUが非常に拡大していった。ソ連はないない不満なんですけど、ソ連ではなくなった。ロシアは、ヨーロッパ全体の安全保障、これは交通安全じゃないですよ、軍事上の問題です。軍事上で協力しますという姿勢を見せた。欧州安全保障協力機構、これをまたアルファベットのOSCEといいます。こういうのもできました。これはロシアを含めてです。

こういう平和の動きはアジアにも拡大して、アジアには、これもあとで言うけど、ASEANという経済機構があるんですよ。これが拡大してASEAN地域フォーラムがあって、アジア太平洋地域、これはアジアです。やっぱり軍事です。軍事環境を平和にする組織ができた。これをARFといいます。

ソ連が崩壊すると、もう社会主義経済がそれで成り立たないということになって、各国がその体制を放棄していく。放棄して、日本と同じような資本主義社会になっていくんだけれども、ここではそのことを市場経済といいます。これは資本主義経済とほぼ8割がた、9割がた同じです。多くの国が。
まずロシア、それからロシアの右腕だった中国、ただ中国が資本主義と言えないのは、中国は自分たちでは、オレたちは社会主義国だといまだに言ってます。だから教科書的には「改革開放政策」とか、また訳の分からない名前になってるんですよ。社会主義を捨てた。そしてソ連の子分であった東欧、東ヨーロッパ諸国もそうです。アジアではベトナムなんかもそうです。

世界は、ソ連がなくなって、アメリカが急に強くなった。アメリカ中心に、インターナショナルを越えて、今度は直接支配のグローバル化に向かって動き出す。これはアメリカ中心の社会です。まあそこまで簡単ではないけれど。アメリカにも二つあります。今アメリカで起こっていることは、この間も言ったけど、よく見ておいた方がいいです。とても予想してなかったことが。前のトランプと今のバイデンのアメリカは違う。かなり違う。

アメリカ中心に対して、BRICSという新しい勢力も生まれてきました。このBRICSも覚えてください。これも経済で出てくる。Bブラジル、このブラジルでも大統領選挙以降、大変なことが起こっています。Rロシアです。これはぜんぶ国の頭文字です。Iインドです。Cチャイナです、中国です。S南アフリカ共和国です。要は大国2位の中国、それからロシア、インドでしょ。中国15億人、インドも14億人、この二つで世界の人口の半分ぐらいある。それにロシアが加わる、あの大国アマゾンのブラジルが加わる。たった4カ国、5カ国といっても、大きな人口と面積をもってます。

このBRICsというのは、これが今仲間です。ウクライナ戦争が起こった後でもそうでしょう。ウクライナの後ろにいるのはアメリカです。ロシア側に着いているのは、このBRICsです。

日本はどっちか。日本はこっち(ウクライナ)側です。かなり危険なことです。
そういう立場関係は、一応頭の中で概念図として、大まかに分かってください。敵のことは、ニュースでは良くは言わない。戦争中は。いま戦争中だから。太平洋戦争と同じです。太平洋戦争中に、アメリカを良く言ったら非国民と言われた。いま戦争中です。

民衆のそういう紛争が、小さな紛争がどんどん激化していって、バルト三国、ソ連の一部だったところ、エストニア、ラトビア、リトアニアというところです。東ティモールっていうのも、インドネシアから小さい地域が独立したんです。血が流れて。あとチェチェンというところも、旧ソ連の領域だけども、紛争があって独立運動があってます。




【アメリカの単独行動主義】
その中でアメリカが、非常に一方的に強くなって、そのアメリカが今までのようには、他の小さい国のことを考えないようになった。オレが勝手に決めるという、単独行動主義をとるようになりました。アメリカが。これはアメリカのことです。このことをユニラテラリズムという。ユニはユニクロのユニで、単独ということ、オレ1人で行動するということ。文句あるかと。あのアメリカから、にらみ付けられて、文句あるかと言われたら、文句あるという国はないです。日本なんかそうでしょう。恐いです。唯一の超大国となった。自国の方針を貫徹する。しかし、イヤちょっと待った、どうしてもあんたはおかしい、そういう国がイスラム圏です。イスラム過激派というのが、反アメリカ勢力として起こってきた。


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