言葉の選択 | さかもとサンのブログ

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ウエイトリフティングやパワーリフティングやベンチプレスやボクシングや筋トレフィットネスやら
なんかいろいろをそれなりの期間やっている人が思っていることなどを記事にしているブログです。

これはパーソナルトレーニングだけに限りませんが、取りあえずパーソナルトレーニングに関してだけ言うことにすると、永遠のテーマというかずっとこれの繰り返しですね。

他のパーソナルトレーナーは分かりませんので私に限った話にしますが、言葉は相手に的確に動いてもらうためだけのものだとは思っていません。

いや、的確に動いてもらうことも大事ですが、そこじゃないんですよね、教えたいのは。

そんな形で考えていると、言葉選びと言うのは非常に考えて行うことになります。

相手によって言葉やその表現を変えることは良くある話です。

数学や物理の概念と違い、運動はプレイヤー自身の体の動きに直結するので、最終的には理解はできるのだと思います。

ただそれをわざわざ言語化したりしなくても良いのが運動における体の感覚ですので、もしもプレイヤー側に体を動かすことに関してのライブラリが存在していなければ、言葉で伝えることに関しては一気にハードルが上がる訳です。

まあでも、ライブラリは持っていてもそれを言語化していない、まとめていないということもありますのが(それはおそらく「感覚での記憶」と言うのだろうけれども)、それもまたハードルが少し高くなったりはします。

私もいろんな人を見てますが、動きの習得に関しての学習は人それぞれです。

こちらの指示通りに動いて沈黙する人、自分の動きを反芻するようにしゃべる人、感覚に落とし込みたい事を口にする人、他の言語的表現で確認する人・・・

沈黙することは悪いことではありません。

恐らく自分自身の中でずっと考えを巡らせていたり、感覚の処理を感性で行っていたり、なんてことをしているのかと思います。

もしかしたら言葉にしたいのかも知れないけれども、どう表現したら良いのかわからないのかも知れませんし、言葉にするには時間がかかるのかも知れません。

私としては、どんな表現であれ、言語化して聞こえる形にされることは非常に助かります。

こちらとしては、次にどういう言葉を使うべきかは相手の動きや反応を見て選ばなくてはならないので、そのための情報はたくさんあるに越したことはないです。

言葉を発しないということは、プレイヤーの言葉以外の所で判断しなければならず、それも出来ないことはないのですが、沢山の言葉をかけることになります。

それはそれで良いのだとは思いますが、逆に言葉にしてくれる場合は、その言葉を基に推測や洞察が出来るので、もう少し言葉を精査出来ます。

しかし言葉の精査が本当に良いのかは難しいところです。

言葉の精査をしたばかりにそちらに引っ張られて、実はもっと違う言葉が存在した、なんてことがあるからです。

私が伝えたいのは、言葉ではなく、動きでもなく、フォームです。
フォームは動きだろうと思うかも知れませんが、最近思うのはフォームは動きだけではないということです。

まあこれを私は敢えて言語化はしませんが、何故かというと言語化してしまうことが誤解を招くことになりかねないとも思うからでしょうか。

ちなみに言語から身体の動きへの落とし込みが難しい場合は、ボディタッチを使います。

ネットでボディタッチを検索するとロクな説明が出てきませんがそういう目的ではなく(当然です)人間は触れられたところに意識が向く、それを利用します。

肩甲骨の動きが分からない人は、肩甲骨に手を置きます。
そうすると手を置かれた人が自分自身の肩甲骨の位置が分かります。
肩甲骨が動くと、動いたということが分かります。
それを利用して、自分の肩甲骨の動きをアウトプットしてインプットするのです。

別に人間が触れなくても壁や床でも出来ますが、そもそも自分の肩甲骨の位置を完全に把握していないと難しいケースもあるので、ダイレクトに肩甲骨の位置を知らせることができるのは、その位置を知っている他人ですから。

私が教えたいのは「動き」ではないと言いました。

でもその「動き」がなければ本当に教えたいものを教えることができないので、まずは動きが出来るようになってもらう、そのためには言葉を使う訳です。

昔、言語学入門みたいな授業を受けたことがあるのですが、言葉って面白いですよね。
そして難しいとも思いました。