子育てという菩薩行 | 家族を見つめる(家庭教育)

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子育てという菩薩行




もう何年も前から、東北地方のMさんとメール交換をしてきました。
Mさんが私の本サイトを見て、
質問してくれたのがキッカケだったと記憶しています。

Mさんは、これまで
アトピーのこと、生活面のこと、夫婦のこと・・・・
子どもの問題はじめ、いろんな事がありました
その時々にメールを頂き、私も1人の親として、
その熱心さは
頭の下がる思いがするほどでした。

そのMさんから久しぶりにメールを頂きました。

・気が付くと子供たちの小さな頃の事ばかりを振り返っている
・根本が揺らぐように寂しさを感じている事、
そして
・すべては自分の鏡なんだろう…
・安部様のサイト、(ココ)に、きっとヒントが詰まっていますよね?
またじっくりサイトを拝読してみたいと思います。


と結ばれていました。

同じように感じられているかたもいるかと思いますので
mさん
この場を借りて返信致します。


返信


就学期間を終え、1人1人
親元から離れていく子どもの姿を感じると
寂しくもなるでしょう
でも
その「寂しさ」は
時に自分のしたいことを殺して
子どものために尽くし、子育てしてきた
明らかな証(あか)しです。

もし
子どもなんてどうでもいい
私の人生の邪魔しないで・・・
だったら
子どもが離れる事に
何も感じないに違いないのです。

繰り返しますが
己を殺して他に尽くす
己のしたいことを殺して、子どものために尽くす
仏教ではこれを菩薩行というのです。

立派な菩薩行です。
山に籠り、滝にあたり・・・
といった仏道修行もありますが、
この現世で、巡り合った家族に尽くす
これこそ、天が与えてくれた
絶好の修行道場なのです。

そう考えると
時に、
親に反発して困らせた子にも
病に悩まされた子にも
最適最良の場を与えてくれた
ありがたい存在だったことに気づかされます。

昔の写真を見ては
あの時は、
寝る暇もなく悩んだよね~
でも、親としてふさわしい行動だったか
わからない
間違っていたかもしれない
ごめんね

という気持ちも出てくるかもしれません。
人生を振り返ると、そんな追懐と反省が山のように出てきます。

でもね
mさん、天はね
そんなことよりもね
一生懸命に頑張っていたか?
をまず見るんです

極端な事いえば
仮に、親の導きが間違っていたとしても
「一生懸命」を評価する
ってことなんです

神様は言います

お前、あの時、どうして子に、あんなこと言った
どうしてこんな導きした!
子どもは、それが原因で・・・
もっと賢く、学び実践しなきゃならなかった猛省せよ
でもね
お前は一生懸命だったよ
自分のしたいこともせずに
朝から晩まで、汗して一生懸命働き
自分の老後の心配をよそに
子どものためにと
お前は最後まで、一生懸命だったよ
だから、今、お前のこの一挙手一投足は
まさに「菩薩行」であったと認可しよう。



そして
子どもが離れていく事は
依存から自立へと向かうことでもあります。
喜ばしい事です。どうぞ
そう理解され、離れ、自立していく子どもの姿に
「寂しさ」を感じつつも
子育ての確かな成果も感じてほしく思います。

やがて
mさんの「一生懸命」は子どもの心象に深く刻まれ
子どもが子を産んで子育てを始めた時

「母さん、あの時一生懸命だったよな~」

と追懐し、その子は一生懸命というmさんの後ろ姿を
資本に、その時代に合わせて子育てするようになるのです。

一生懸命の伝承
これに勝るものはありません。
子育ての基本でもあります。

ですから
どうぞ、
揺らぐことなく、自信と確信をもって己の過去を追懐してください。

そして
最後に1つ
大切な事に気づいて下さい

下の流れを見たら
上の流れも見るのです


そうすると
mさんの一生懸命は
同じように
ご先祖から頂いた宝物
でもあるということを・・・


天はこうして、地球に
宇宙でも稀にみる
「家族」という設定をして
遺伝情報を混在させ、喜怒哀楽を醸成するステージとしたのです。

だから
「先祖にも感謝・子にも感謝」
そして
天にも感謝なんです。

ここに気づくと
不思議と「寂しさ」が「充足感」
に変わりはじめます。
悔いなし、と

mさん
どうぞ、これからも、1つ1つ
娘さんが自立し、やがて同じく家庭を築いていく姿を
成長としてとらえ

そして、
子どもが離れていく事を
誉(ほまれ)高き「寂しさ」
と理解して末永く見守ってあげてください。
よろしくお願いします。


あべひろゆき