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昭和のディーゼルカーの旅(キハ52+キハ28)
(大原→大多喜→上総中野)
いすみ鉄道 いすみ線
昭和の観光列車「急行1号」大原発大多喜行き、12時46分大原(おおはら)駅を発車。大多喜駅からはそのまま、普通・上総中野行きになる。
ホームでスタッフが手を振る。
いすみ鉄道からJR外房線への渡り線
JR外房線は、千葉〜上総一ノ宮、東浪見〜長者町間、御宿〜勝浦間は複線、それ以外は単線。
左へカーブし、JR外房線と分かれる。
いすみ鉄道・いすみ線は全長26.8kmの単線非電化路線
塩田川が新田川と合流する辺りの小さな橋梁を渡る。
大原駅〜大多喜駅間は急行列車のため、小さな途中駅は通過
一段上昇式の開閉窓。夏期には冷房が入る。
房総半島の田園地帯
房総半島の内陸部へ入っていく。
エンジンの換装は行われておらず、国鉄時代からのオリジナルの懐かしいDMH17Hディーゼルエンジンが唸る。
上総東(かずさあずま)駅に停車
上総東駅は、1930年(昭和5年)4月1日、国鉄木原線の駅として開業、1987年(昭和62年)4月1日、国鉄分割民営化によりJR東日本の駅に。
1988年(昭和63年)3月24日、JR東日本から第三セクター鉄道転換に伴い、いすみ鉄道へ移管。
国鉄型旧型気動車が停車すると、カラカラカラと懐かしいDMH17Hディーゼルエンジンが聞こえる。
ローカル線らしい木製の枕木
国鉄急行形気動車が営業運転しているのは、今ではいすみ鉄道に最後の1両が残るだけ。しかしついに引退が発表された。
3月上旬の枯れた田んぼ
沿線に少しずつ菜の花が咲き始める。
早春の田んぼに水が張られ、田植えの準備
前方に保存車両が見えてくると国吉駅
国鉄(JR)キハ30形気動車と、いすみ鉄道200型気動車
13時02分〜13時11分、国吉(くによし)駅に停車
手前のいすみ200型と、奥の国鉄キハ30形では車両の長さがかなり違うのが分かる。
腕木式信号機も保存
いすみ200'型 (201〜207号) は、いすみ鉄道開業時の車両。
富士重工業が第三セクター鉄道向けに製造したLE-CarIIシリーズのレールバスと呼ばれたワンマンカー。元々はセミクロスシートの「いすみ100型」だったが、ロングシート化により「いすみ200型」に改番、さらに床の張替えに伴い「いすみ200'型」に改番。
老朽化に伴い順次廃車、今はこの206号のみここ国吉駅構内の側線に留置。
奥のツートンカラーの車両は、国吉駅構内で保存されているキハ35系キハ30形一般形気動車「キハ30 62」。
「キハ30 62」は、1966年(昭和41年)日本車両で製造、国鉄勝浦機関区(千葉県)に配置。配置当初は外房線などで使用。房総地区で長らく活躍し、いすみ鉄道の前身の木原線でも使用されていた。
JR東日本に移管後に更新工事を実施。側扉のステンレス化、DMH17系からカミンズ製DMF14HZへの機関換装がなされた。神奈川県の相模線などでも活躍。
晩年はJR東日本幕張車両センター木更津派出所に配置され、JR久留里線(木更津〜上総亀山)で使用されていたが、2012年(平成24年)12月にJR久留里線から引退。いすみ鉄道が譲受した。
現在は、国吉駅構内で動態保存されているが、本線走行はできない。
昭和の観光列車は国吉駅で9分間の停車。ホームではいすみ鉄道応援団により駅弁などの立売販売。
キハ28は、期間限定で、国鉄四国時代の「赤ひげ」塗装
赤ひげとは、国鉄時代の1963~1969年頃に国鉄四国総局管内に在籍していたキハ58系気動車のうち、警笛(タイフォン)が従来の空気式ではなく電子警笛搭載の車両識別のために施工されていたもの。
いすみ鉄道ではキハ58系気動車の生き残り「キハ28-2346」で赤ヒゲ塗装を復刻。JR四国松山運転所から借り受けた円形の急行ヘッドマークを掲出。
かつて四国を走った急行列車のヘッドマークは、2022年(令和4年)3月に取り付け。
3/5(土)JR四国より借り入れ「いよ」
3/6(日)JR四国より借り入れ「うわじま」
3/12(土)色なし・旧「土佐」
3/13(日)色なし・旧「いよ」
3/19(土)1966 年房総地区借り入れ再現「急行内房」
3/20(日)1966 年房総地区借り入れ再現「急行外房」
3/21(月・祝)ヘッドマークなし
3/26(土)JR四国より借り入れ「いよ」
3/27(日)JR四国より借り入れ「うわじま」
この日は、JR四国より借り入れた本物の「急行いよ」のヘッドマークを取り付け。
円形ヘッドマークは、かつて四国を走った国鉄急行「うわじま」(高松〜宇和島間)と急行「いよ」(高松〜松山間)の選択式で、直径約50センチの金属製。1990年(平成2年)11月までJR四国で、実際に使用されていたヘッドマークは、その後はJR松山運転所にて保存。
大型観光企画「四国デスティネーションキャンペーン」のPRを兼ねたJR四国といすみ鉄道のコラボ企画で、JR四国からいすみ鉄道が借り受けた。
いすみ鉄道に残るキハ58系キハ28形「キハ28 2346」は、国鉄時代の1964年(昭和39年)4月にキハ58系の1エンジン車であるキハ28 346として帝國車輛工業で製造。
JR時代の最末期は高山本線で運用されたが、2011年(平成23年)3月のJRダイヤ改正で引退。翌年7月JRで廃車。
その後、いすみ鉄道が譲受後、「キハ28 2346」は復活。2013年(平成25年)3月から、いすみ鉄道の観光列車(主に急行列車)として土休日を中心に運行開始。同じくJR西日本からいすみ鉄道が譲受した「キハ52 125」と連結し運転されてきた。
しかし、部品確保が困難なことや、保守・検査に多額の費用が必要なことから、2022年(令和4年)11月27日(日)をもって定期運用から離脱。その後は貸切列車として2023年(令和5年)2月初旬まで不定期に運行した後、現役を引退予定。
この「キハ28 2346」の引退をもって、日本最後の国鉄急行形気動車の営業用車両は終焉の時を迎える。
ドア横にも「いよ」の愛称板が差し込まれている。ドア下側には高松運転所の区名札も取り付け。
一段上昇の開閉窓
カルカラと鳴る旧型DMH17Hディーゼルエンジン音
国鉄色の国鉄型気動車。キハ28形(手前)は片運転台車両のため単独で走行できないので、必ずキハ52形(奥)とペアを組む。
キハ28形の便所の曇り窓と換気口
側面には、急行「夷隅(いすみ)」と書かれたサボを取り付け。
「千カウ」の車両略号を再現。国鉄千葉鉄道管理局の勝浦運転区を表す。
引退近いキハ28形もかなり痛みが目立ってきた。
キハ28形(右)とキハ52形(左側)の連結部
キハ28形の妻面には、「日本国有鉄道」と「帝国車輌 昭和39年」の銘板が取り付けられている。
大多喜方先頭車は「キハ52 125」
こちらも国鉄時代の貴重な旧型気動車
キハ20系キハ52形一般形気動車は、勾配区間用で、キハ20形の2基エンジン搭載形。
JRでは最後まで残ったキハ20系気動車で、大糸線非電化区間(南小谷〜糸魚川)で最後の3両が活躍したが、2010年(平成22年)3月に引退。
このうち、いすみ鉄道が譲受した「キハ52 125」は、1965年(昭和40年)製造。こちらキハ52形も、キハ28形同様、エンジン換装は行われておらず、国鉄時代からの懐かしいDMH17Hディーゼルエンジンの音が響く。
今ではキハ20系列の営業列車は、ひたちなか海浜鉄道(茨城県)のキハ20形(不定期運用)といすみ鉄道のキハ52形の2両しか残存していない。「キハ52」としては、いすみ鉄道の「キハ52 125」が日本唯一の現役車両となる。
こちらは現時点で引退発表はないが、古い旧型気動車なので、いつ引退するか分からない。
ホームでは、鳥塚亮前社長就任時に設立されたボランティア団体のいすみ鉄道応援団が駅弁などの立売販売
★動画↓↓↓
※2022年(令和4年)3月上旬