葬儀が終わると、葬儀屋さんがお骨と仮の位牌、そして遺影などを置くための台や、供養をするためのセットを義母宅に持ってきて設置してくれた。
おばあちゃんはショートステイの施設が決まっていて、そこに戻ったのでいない。
空のベッドの脇に供養台が設けられ、一気に広くなった部屋を感じた。
不思議な流れで、私はぽっかりと葬儀の翌日まで4日連続でどこかへ伺う仕事は一つも入っていなかった。
自宅で作業する仕事はいくつか引き受けていたので、仕事先にお詫びして待っていただいた。
義母が亡くなってから、バタバタと、義妹たちと書類の整理などをしながら、お金の流れを把握して行ったけど、同居の義妹さえ知らないことばかり。
義母が一人でおばあちゃんのことや、家のことを管理していて、余命を宣告されても子どもに伝えていなかった。
生きる意志しかなかったのかなと感じた。
もちろん、いよいよ救急車を呼ぶほど身体が悪くなった頃には、伝える余裕もなかったに違いない。
こんなプライベートな金銭のことを嫁に知られたくはないだろうと申し訳なく思いながらも、義妹たちだけに任せる気にはなれず、心の中で謝りながら手伝っていた。
長男を立てる気もあるし、現実的に義妹たちも管理が難しいのもあり、おばあちゃんの施設とのやりとりや、年金の管理、義母のお墓もダンナが受け継ぐことになった。
ただ、仏壇は義弟のところに置いてもらうことになった。
義母はじっちゃんと仲は悪くなかったが、一緒にいるとどうしても喧嘩になってしまうし、もう、30年も前に離婚している。
そんなじっちゃんと末永く一緒にいることになるのは嫌かなと思ったのは、じっちゃんには言っていないが。
ちけがイタズラがひどいので、お仏壇もどうなるかわからないというのもある。
どれだけ気をつけていても、ふと気を抜いた瞬間に壊されてしまうかもしれない。
みんなにはそう伝えて辞退したところ、義弟が、うちに置かせてくれと言ってくれた。
新しい家を建てて、ちょうどお仏壇を置くための場所があったらしい。
奥さんも積極的に置くための提案をしてくれて、じっちゃんも喜んでいた。
うちには遺影とリンと線香立てを、じっちゃんの部屋に置こうという話になった。
じっちゃんの部屋は二階にあって、ちけは上がらない。
お仏壇は義弟夫婦が色々見て回り、きょうだい達に提案して、みんなでこれがいいね、というものを決めていた。
義母らしい、華やかなものになったなと思った。
色々、色々、現実的な手続きや、やらなくてはならないことが押し寄せるけど、どれからどう手をつけていいのか分からず手探りで進めていった。
義母の家も、おばあちゃんもいなくなり、義妹に引き継ぐことも難しいらしく、退去することになり。
そのための整理も進めなくてはならない。
おばあちゃんの施設は、週6日のデイサービスや訪問看護、訪問介護、レンタルベッドから、ショートステイの施設へ週7日で入れることとなり、そこから入所に向けて待つことに。
バタバタと手続きを行い、またしばらくして入所が決まり、また手続きを。
義母とやりとりをして来た担当のケアマネージャーさんが、本当に一生懸命やってくださり、義母の死を悲しみ悔しがりながら、おばあちゃんの世話を満足に出来ない家族の事情を考えて早く入所を決めてくれた。
ショートステイから入所までお世話になる施設は、とても評判が良く、明るくていい環境に思った。
ショートステイが決まるまでお世話になっていたデイサービスの社長も、ショートステイの契約時に立ち会ってくれてお会いすることが出来た。
出来るだけ体を動かしたり、なるべくご飯も柔らかくしすぎないようにしたり、起きている時間を長くしてくれたり、色々とおばあちゃんの体に良いことを実践してくれていたのが分かって感動した。
家で寝たきりになっていた時より、意識がはっきりしてきたのを皆んなが感じていた。
家族だけでなく、こうして頼ることも必要だと思い、ありがたかった。
引き継いでみると、義母が抱えてきたことの多さと重さを感じて切なくなる。
ダンナのきょうだいは6人いて、義母の抱えていたものを分散して引き受けられることも有難い。
義母が重い病気を宣告されたことを知り、気にはなっていたが、何も言わず明るく振る舞う義母に、何か手伝いましょうかと言ってもやんわり大丈夫と言われるだけだった。
嫁の私だけでなく、実の子供たちにも、同じように、大丈夫、大丈夫と言っていたようだ。
もちろん、時には、しんどいとか辛いとかこぼしてはいただろうけど。
6人育て上げるために苦労して、40過ぎてから車の免許を取り、その後、大型トラックの免許を取って、助手席に子どもを乗せて長距離の配送の仕事をしたり、勉強して看護師の免許を取り、夜勤もしたり。
もう定年はとっくに過ぎていたのに、派遣に登録して、看護師を続けていた。
重い病気を抱えながら、治療が一段落したらまた再開して少しずつ働いていた。
亡くなったあと、定期コースで無農薬野菜や、体に良い卵や、人参ジュースなど契約しているのがわかり、何とか直したかったのだと切なく思った。
救急車で搬送された日、スロージューサーと人参一箱持っていって、と、苦しみの中で私たちを気遣ってくれた。
すごい義母だ。
遺影を見て、ふと、もういないんだと思って悲しくなる。
義きょうだい達は、もっと悲しさを感じているだろう。
これからも助け合って行こうと思う。