「好感度」という希薄なもの | wiseworks1107のブログ

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士業界の”異端児”。社会保険労務士でもある、インディペンデント・経営コンサルタントの「辛口コラム」。
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基本、芸能ニュースは好きじゃない。

というよりも、むしろ嫌いだ。


「芸能レポーター」なる職業は、野次馬根性の醜さのエージェントとしか私には映らない。


突出したチャームポイントが無いにもかかわらず、ベッキーは「好感度」というとても抽象的で基盤の希薄なものの上で巧みに自らの芸能人としての‟居場所=ポジショニング”をコントロールしてきたかに見えた。


私自身、ベッキーのファンでも無いが嫌いでも無いといった目で眺めてきた。


そこに今回の川谷絵音とのスキャンダル


厳しいようだが、今回の騒動でベッキーの商品価値は暴落した。

芸能バラエティ番組や「芸能レポーター」は、ここぞとばかりに川に落ちた子犬を竿で突きまわすような扱いだ。


タレントと呼ばれる、俳優でも芸人でも歌手でも無い不思議な職業の人々。


彼らは独自の‟居場所=ポジショニング”を確保することで、その存在価値を得るというとてもデリケートな自己演出の必要な方々だと思う。


「誰かの失脚」は「誰かのチャンス」


ある意味芸能界は椅子取りゲームなのだろう。


そして、もう一方の当事者である川谷絵音。


彼はいわゆる芸能人では無くミュージシャンだ。


そして独自の豊かな才能を発揮しているし、今後も彼は楽曲で彼自身の「価値」を発揮することだろう。


GRAYのTERU

ミスチルの桜井氏


過去にも同じようなスキャンダルはあったが、時が経てばミュージシャンは本業の「価値」で評価され続ける。


ベッキーも軽率だったと思うが、大きな代償を払ってでも、略奪愛と揶揄されようとも貫き通す愛であればまだ救われたような気がする。